備前の旅の初日に溝にスッポリと落ちたにも関わらず九死に一生を得たのは(前回100の記事)、閑谷学校で買った「論語みくじ」を胸ポケットに入れていたお陰ではないか。
孔子の徳(立派な行い・考え)が、我が身を守ってくれたに違いない。
君子(くんし)は諸(こ)れを己れに求む。小人(しょうじん)は諸れを人に求む。
(立派な人物は事の責任・原因を自分自身に求めるが、つまらない人間は他人に求める)
すべては自分自身の行いが悪かったのだと反省し、孔子の徳にあやからんと、二日目、三日目は友人の畑の草抜き。
子(し)し曰(いわ)く、君子 德を懷(おも)へば、小人 土を懷ふ。
(孔子先生がおっしゃった、君子たる者が常に立派な行いを心掛けると、人民は安心して土に親み、耕作にいそしむ)
草を抜いてすっきりとした畑を眺めながら、少しは君子に近づいたかと独り悦に入る。
君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草、之(これ)に風を上(くわ)うれば、必らず偃す(ふす)。
(君子の徳は風だ。小人の徳は草だ。草の上に風が吹けば、人民は必ず君子になびき従う)
まる一日草抜きをした畑の中で、少し冷たい晩秋の風に坊主頭を吹かれて、またもや君子は独り悦に入る。
鳶の秋 坊主頭に陽の暮るる
三泊四日の最終日、昼前に帰路につくというので、帰り支度をしてテレビを見ていると、姫路市家島にある坊勢島の「しらす丼」の特集をしていた。
おお、美味そうではないか、昼飯は、この「しらす丼」にしようと君子の我がまま。
美味い店を一軒知っていると友人が言うので、JR姫新線にそって姫路へ。
途中、三日月、上月という、なんとも情緒ある駅で休憩をとり、12時過ぎに妻鹿漁港にある天晴水産直営の「みのり家」に着く。
入口のメニューを見て、「しらす丼」の中と味噌汁と決める。丸亀製麺式の御膳を持ってカウンターに並んで注文するセルフ形式。ほぼ満員ちかかったが、なんとか座れそう。
丼鉢の見本が小・中・大・メガとあるが、小でも小食の吾にとっては普通の丼鉢の大きさで、果たして食べきれるかといぶかる。
カウンターの上には様々な出来合いのおかずが並んでいる。
フグの野菜炒め。美味そうではないか! 思わず膳に乗せる。
坊勢サバのみぞれ煮。美味しそうだ! 思わず膳に乗せる。
レジで小ご飯と味噌汁を注文して支払い。
もはや「しらす丼」は頭にない。いとも簡単に「君子は豹変する」のである。
友人はというと、目的通りの「しらす丼」の大。
上に乗った卵の黄みとしらすが合って美味そうな・・・。
・・・いやいや、「君子は和して同ぜず(=君子は他と調和するが、むやみやたらに同調はしない)」でなければ・・・。
しかし、やはり「しらす丼」にすべきだったか・・・と君子の心は揺れ動く。
君子は豹変す。小人は面(おもて)を革(あらた)む。/『易経』
(立派な人物は過ちがあればすぐに改めるが、つまらぬ人間は表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない)
君子の化けの皮は見事にはがれ、小人に戻る。
小人の馬脚も尻尾も薄寒し
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