※「老いの小文⑤」からの続きです。
備前の旅三日目は朝から霧雨。傘もささずに野辺の道を通って川沿いの県道にでる。この地はどこの河畔にも桜の木を植えていて、一輪なりとも咲いていないかと探すが蕾は固く閉じたままだ。いたしかたなく旧友の家に戻ろうとして、村に入る道の傍らに背の高い石碑を見つける。「素戔嗚尊血洗之滝(すさのおうのみことちあらいのたき)」と標されている。ずいぶんと物騒な場所があるものだと、家に戻って旧友に尋ねると、素戔嗚尊が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した剣に着いた血を洗って禊(みそぎ)をした滝が近くにあるのだと言う。
「天の岩戸伝説の後、素戔嗚尊は高天原を去って根の国(島根)へ行き、そこで八岐大蛇を退治したのではないか。なぜ、備前までわざわざ血を洗いに来るのだ?」と問うと、「そこが備前の備前たるところやがな」と釈然としない答え。
ならば、どうせ雨で畑仕事はできないから血洗いの滝へ行こうではないかと滝へと向かう。山の中のカーブだらけの県道を30分、右にそれて車一台通れる九折(つづらおり)の道を30分して、ようやく小さな駐車場に着く。そこから、雨でぬかるんだ細い山道を150mほど上ったところに血洗いの滝があった。高さ10mほどの滝で、身を浄めるにはちょうどよい滝つぼがある。近年流行りのパワースポットだそうだが、夏なら冷気で心地がよいだろうが、今の季節では寒い。どうしてもっと行きやすい所で血を洗ってくれなかったのかと、愚痴の一つも言いたくなる。
ポケットに手を入れて山道を下りようとすると、ブルッと寒気がしてトイレへ行きたくなる。ちょうど立札があって「トイレ100m」とある。なんでもっと近くにトイレを造れなかったのかと、またしても愚痴が出そうになるが、神域ゆえにいたしかたない。バチが当たったのだと思い直して、都合300mの山道を下りる。「歳をとると下が近くなってあかんなあ」と友人に言うと、「ほんならええとこに連れてってやるわ」と言う。
ええとこに向かう車の中で、素戔嗚尊は八岐大蛇を退治した剣(十拳剣=とつかのつるぎ)と、八岐大蛇の尻尾から出て来た剣(草薙剣=くさなぎのつるぎ)の二つを持っていたのだと気づいた。滝で洗った十拳剣は近くの石上 布留神社に奉納された後、奈良県天理市の石上神社に移される。草薙剣は天照大神に渡されて、後に三種の神器となったのだ。どうやら、備前国の素戔嗚伝説は剣=刀剣=鉄にまつわるものに違いない。だとすれば天下の名刀を生んだ備前長船に行かねば!
「おい、長船へ行こう」と友人に言うと、「さあ着いたで!」と、友人の言う「ええとこ」にすでに到着していた。またしてもつま先上がりの道がある。「金勢大明神(こんせい)へ300m」という立札を見て、入口に備えてある竹の杖を頼りに上る。行き絶え絶えになりそうな所に、ちょうど鳥居があったのだが、写真を撮ろうかどうか? なんやねんここ?
五十段ほどの石段を上ると、こじんまりとしたご本殿があり、ガラス戸を開けると、なんとも立派な賽銭箱がある。明治になって建てられた御神体が男根という何とも珍なる神社である。
倉敷にも同様の神社があり、そこから勧進して建てられたというが、当のご本家は淫靡邪教として衰微してしまった。だが、分家のこの大明神は、山奥にある故か、おおらかな風土のお蔭か、雄々しくも生き残った。子授けや下の病にご利益があるという。賽銭箱の先っぽの穴をやさしく撫でて賽銭をあげ、ありがたく伏し拝む。気圧が変わったのか、すーっと心地よい風が吹き抜ける。
春風一過男根一本
山から下りる途中の大きなカーブを曲がると、にわかに景色が開けて雲海を見ることができた。ずいぶんと高い所に上ってきたものだと、雲上の神代から雲海の底にうごめいていた己を想像してしまう。
雲海の底は浮世の我が宿り
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます