『大秦賦』第73~最終78話まで見ました。
燕では太子丹が荊軻をスカウトして嬴政暗殺を画策。ここで荊軻が暗殺遂行のため樊於期の首を要求するという展開に。このドラマの樊於期は序盤から登場し、特に前半は出番が多かったので、その死についてもひとしきり何かあるのだろうなと思ってたら、本人の意に反してあっさり殺害されて終了(´Д`;)
一応こういうシーンもありますw まあ荊軻より樊於期の出番の方がずっと多いというのはこのドラマの個性ではありますね。で、荊軻による暗殺は失敗し、太子丹も父王から責任を問われて殺害。燕は彼の首を秦に送って詫びを入れます。話の都合でここで燕が滅亡したという扱いになります。
お次の標的は魏。秦は魏都大梁に水攻めを仕掛けて降伏に追い込みます。ここで魏将として張耳が登場してます。
一方、楚では項羽の祖父の項燕や公子景涵らが楚の新王として負芻を擁立。秦に対して徹底抗戦の構えを見せます。秦はこれに対して楚の王族出身の昌平君を陳郢に派遣して対楚工作を仕掛けさせますが、項燕&景涵はこの昌平君の取り込みを図ります。
で、楚側の工作により昌平君は前線に送るべき兵糧を送れず、秦法により重罪は免れないということで楚に寝返ることに。完全に目が死んでます (^_^;) 彼は楚都陥落後に楚王に擁立されますが、王翦に攻められて項燕とともに死亡。
残るは斉ですが、ここで斉出身の国夫人離秋の出番。彼女は兄にあたる斉王建に降伏を説くべく斉都臨淄へと向かいますが、丞相后勝の陰謀により幽閉されてしまい……
【総括】
ということで何とか天下統一までたどり着きました (^_^;) この作品、プロパガンダだの何だの非難囂々で(個人的にはこの非難はほとんど的外れではないかと思っていますが)、中国のレビュー・ランキングサイトの豆瓣では現在10点満点中5.5点という評価となっていますが、点数自体は妥当な所なんですよね…… 駄作というほどではないのですが、第3部までのような名作とも言い難い。
第2部・第3部の路線を離れて第1部の王道大河ドラマ路線へと原点回帰を目指したような感じなのですが、それがどうもあまりうまくいっていません。初っぱなから嫪毐や樊於期を登場させているのは(非難されているプロパガンダ要素なんかよりもずっと)制作者の意図が出ている部分のはずで、この2人をオリジナルキャラのように動かして物語に深みを出そうとしていたのでしょうが、特に樊於期の扱いについては不発気味に終わってしまっています。このあたり大変残念感が出た作品となってしまっています。
燕では太子丹が荊軻をスカウトして嬴政暗殺を画策。ここで荊軻が暗殺遂行のため樊於期の首を要求するという展開に。このドラマの樊於期は序盤から登場し、特に前半は出番が多かったので、その死についてもひとしきり何かあるのだろうなと思ってたら、本人の意に反してあっさり殺害されて終了(´Д`;)
一応こういうシーンもありますw まあ荊軻より樊於期の出番の方がずっと多いというのはこのドラマの個性ではありますね。で、荊軻による暗殺は失敗し、太子丹も父王から責任を問われて殺害。燕は彼の首を秦に送って詫びを入れます。話の都合でここで燕が滅亡したという扱いになります。
お次の標的は魏。秦は魏都大梁に水攻めを仕掛けて降伏に追い込みます。ここで魏将として張耳が登場してます。
一方、楚では項羽の祖父の項燕や公子景涵らが楚の新王として負芻を擁立。秦に対して徹底抗戦の構えを見せます。秦はこれに対して楚の王族出身の昌平君を陳郢に派遣して対楚工作を仕掛けさせますが、項燕&景涵はこの昌平君の取り込みを図ります。
で、楚側の工作により昌平君は前線に送るべき兵糧を送れず、秦法により重罪は免れないということで楚に寝返ることに。完全に目が死んでます (^_^;) 彼は楚都陥落後に楚王に擁立されますが、王翦に攻められて項燕とともに死亡。
残るは斉ですが、ここで斉出身の国夫人離秋の出番。彼女は兄にあたる斉王建に降伏を説くべく斉都臨淄へと向かいますが、丞相后勝の陰謀により幽閉されてしまい……
【総括】
ということで何とか天下統一までたどり着きました (^_^;) この作品、プロパガンダだの何だの非難囂々で(個人的にはこの非難はほとんど的外れではないかと思っていますが)、中国のレビュー・ランキングサイトの豆瓣では現在10点満点中5.5点という評価となっていますが、点数自体は妥当な所なんですよね…… 駄作というほどではないのですが、第3部までのような名作とも言い難い。
第2部・第3部の路線を離れて第1部の王道大河ドラマ路線へと原点回帰を目指したような感じなのですが、それがどうもあまりうまくいっていません。初っぱなから嫪毐や樊於期を登場させているのは(非難されているプロパガンダ要素なんかよりもずっと)制作者の意図が出ている部分のはずで、この2人をオリジナルキャラのように動かして物語に深みを出そうとしていたのでしょうが、特に樊於期の扱いについては不発気味に終わってしまっています。このあたり大変残念感が出た作品となってしまっています。