博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

紀念中国古文字研究会成立三十周年国際学術研討会

2008年10月15日 | 学術
まずは2008年10月11~12日にかけて長春で開催された紀念中国古文字研究会成立三十周年国際学術研討会の様子から。

下の写真は開会式でお披露目された于省吾先生の胸像です。于省吾先生は古文字学の大家の一人であり、また主催機関である吉林大学古籍研究所の師祖の一人であります。しかし中国の人って本当にこういう銅像を造るのが好きなんですね(^^;)



肝心の発表の方は私の聴力ではほとんど聞き取れず、大会の要項替わりとなっている『古文字研究』第27輯にザッと目を通して大体の内容を把握するような状態でした。『古文字研究』は不定期刊の中国古文字研究会の機関誌のようなものです。今まで大会開催後に発表者が論文に仕上げて寄稿し、発行されるものだと思ってましたが、実際は大会の要項を兼ねて開催と同時に発行されるものだったんですね。

私は飛び入りの聴講客でしたが、ドサクサに紛れて参加者一同の記念撮影に混ざることに。しかし肝心の写真はあらかじめ参加申請していた人にしか配布されませんでした…… ただ誰がどの位置に写っているかという写真との対照表は貰えたので、この表が唯一私が今回の大会に参加したという証明書になりそうです(^^;)

食事の席などで先生方と挨拶をかわしたりしましたが、日本人の古文字学者というと必ず白川静の名前が出るんですね。この分野で一番多く引用されている日本人の著作が白川先生の『金文通釈』(『金文詁林補』などからの孫引きを含む)なんで無理からぬところですが。(ちなみに次に多く引かれているのは島邦男の『殷墟卜辞研究』あたり。)

あと、「13~14日の長白山ツアーに参加されますか?」と質問すると、行った経験のある人から「前に行ったから今回は行かない」という返答が…… やはり一度行けば充分な所だということでしょうか(^^;)

1日目の夜は夕食の後、東北風劇場という所で東北地方の伝統芸能である東北二人転を鑑賞することに。これについてはまた項を改めて報告したいと思います。
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6 コメント

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お疲れさんです (川魚)
2008-10-16 02:45:28
学会行きましたか、
わたしも、いままで話したことない、知らん人の談話など、
まだまだ半分も聞き取れないですよ。

まず、語学学校の老師の言うことが分かってきますが、
本科の授業中の、同学たちの質疑応答が中々わかりません。

しかし、助言してみようか、とは思たのですが、、
川魚標準の中文まわりは、実際ダメダメなんで、
やはりそちらの優秀なかたに合わせてください(^^;

東北二人転!
知らなかったです~!
字面からして、
二人でやる漫才に曲芸が入ったようなもんでしょうか。
コントかな?
また説明お願いします(笑
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Unknown (さとうしん)
2008-10-16 20:42:16
>川魚さま
今のところ語学講師の話は8割ほど聞き取れている状態です。しかし大学院の講義の方は単語レベルでしか聞き取れないところを見ると、やっぱり生徒のレベルに合わせて話してくれているんでしょうね……

東北二人転は別項に挙げた通り夫婦漫才みたいなもんです。
返信する
おじいちゃんの写真だ!! (小敏)
2009-05-17 17:14:52
私は于省吾の孫娘です。埼玉県の川越に住んでいます。日本にはもう22年います。日本人が甲骨文に熱心に勉強していることに感心します。よほど、優秀な方なんですね。 私は北京の出身ですけど、親戚はまだ長春にたくさんいます。私叔父さんは吉林大学で副校長をやっています。みんなとても優しい人です。長春の冬はとても厳しいけれど頑張ってください。応援してます。
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Unknown (さとうしん)
2009-05-17 21:54:53
>小敏さま
どうもはじめまして!

>私叔父さんは吉林大学で副校長をやっています。

実はその副校長先生というのが長春での私の指導教授です(^^;) 先生の姪御さんが書き込みしてくださるとは、世間というのは本当に狭いもんです。長春に来てから先生には色々とお世話になっています。

>長春の冬はとても厳しいけれど頑張ってください。応援してます。

ありがとうございます!今学期もあともう少しで終わりますが、最後まで頑張りたいと思います。
返信する
さとう さんへ(^-^) (小敏)
2009-05-18 18:35:36
 こんにちは。
 私のおじいちゃんは昔北京に住んでいて、北京大学、輔仁大学、燕京大学で教えていました。59歳の頃は吉林大学の昔の校長の匡先生に再三要請されて(共和国教育史上の“三顧茅芦”とも言われていました)吉林大学に行きました。おじいちゃんは今どき珍しいくらいの大変愚直なおじいちゃんでした。金銭や名誉、肩書きなどには全く無関心でした。特に政治には嫌がって関わりませんでした。学問一筋。だから生前自分の持っている貴重な骨董品と書籍を全部国と大学に寄付しました。例えば中には荊軻が秦の始皇帝を暗殺の短剣と臥薪賞胆の呉王の夫差の剣を国に寄付しました。
 うちのおじいちゃんの一生はすべての時間と心血を学問に注ぎました。死ぬまで、ずっと他人から見てかわいそうなぐらい質素な生活を送りました。だから大学側は銅像を作ったのでしょう。

 今晩、母を通して叔父さんに「日本人のさとうさんを宜しく」と電話で伝えておきます。頑張ってください。
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Unknown (さとうしん)
2009-05-18 21:09:13
>小敏さま
于省吾先生については学問的な業績については了解していましたが、先生自身の人格については全く知りませんでした。この分野でも政治的な活動に励む研究者が多い中で、随分高潔な方だったんですね……

>例えば中には荊軻が秦の始皇帝を暗殺の短剣と臥薪賞胆の呉王の夫差の剣を国に寄付しました。

これは先生の号「双剣誃」のもとになった剣のことですね。これも国に寄贈されていたのですか……

写真にうつっている銅像ですが、現在は吉林大学考古系の会議室の前に安置されています。また機会があったら御覧になってください。
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