ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

「さかなのこ」は1月23日の「ミュージックライン」を聴いていると256倍楽しめる(当社比)

2023-02-05 14:43:46 | そのほか
映画「さかなのこ」を見てきました。
当初はmorc阿佐ヶ谷で見る予定だったんだけど、その時は放送大学の単位認定試験(日本の近世と日本近現代史)
で忙しく、結局、昨日、早稲田松竹で見てきました!



早稲田松竹初めて行ったんだけど、びっくり!
2本立てで、2本見れる(指定席制で、入館料はらうと、2本分指定席が取れる)ということで、一緒に上映している「川っぺりムコリッタ」も見てきた

ちなみに、「さかなのこ」は、私が最後で、そこで満席!
おお、私が最後なんて、運命的なものを感じますね!!
(この運命の謎は、このエントリの最後に解ける)



(以降、「さかなのこ」のネタバレ含みます)


で、「さかなのこ」。「さかなクン」の物語を「のん」さんが演じます
うん?ということで、初めの字幕(パンフレット表紙裏にも)に、「男か女かはどっちでもいい」って出てきます。
話はコメディタッチ?エンターテイメントで、まあまあおもしろい。
さななくん(映画では「ミー坊」)のお母さんが素晴らしい!っていうことで、まあ、見解一致すると思う。
ものすごい、複線回収をしていって、まあ、楽しいんだけど、

見ている人には、2つの疑問が残ってしまうと思う。

(1)ミー坊は、おさかな博士になりたかったんだよねえ?
 結局、なったの?なれなかったの?
 なれないとすると、夢はかなってなくて、この映画、成立してなくね?

(2)これ、映画の中の話だから、こんだけうまくつながっているけど、
 現実ではこんな奇跡、ありえないよね。
 周りの人たちが、素晴らしすぎる!
 (映画ではお母さんが素晴らしいって見えるけど、
  終わって3分後に、よくよく考えると、周りの人がみんなよくて、
  それでミー坊が成功した?ありえなくね??


2番の疑問を解くために、この映画館は「川っぺりムコリッタ」と一緒に上映しているのだと感じ

1番の疑問は、1月23日の「ミュージックライン」を聴いているとわかるんだけど、

まずは、簡単なほう、2番の話から片づける。


(以降、川っぺりムコリッタのネタバレ含みます)


昭和にエモさ、ノスタルジックを感じる人にとっては名作になるかもしれないけど、自分のような貧しい人(そこにエモさを感じない人)にとっては、

    「この作品、貧しくない、ってか裕福で安全な人たちが、
  ”貧乏ってのも、いいよね。昭和よかったよね!”
      っていう思いだけで作っちゃった作品」

っていう気がします。


たしかに、
・昭和30年代(高度成長前)に社会主義的な貧しさ(いい意味も悪い意味も)が日本にもあって、
・お年寄りをはじめ、今の若い人の一部も、そこに郷愁を感じる人がいる
ことは理解している。

あの映画にでてくる、他人の家のお風呂を勝手に借りたり、勝手にご飯食べたりすることが、「ああいいよね、一人では生きていけないもんね、貧しい人は助け合いだよね!」と思っている人には、いい映画です。まさにそれを描いていますから。

そして、そういう貧しさの中から抜け出そうとしている人を
「助け合いだよね」といって、抜け出すことを防ぐのです。
まさに映画に出てくる「蜘蛛の糸」です。
一人だけ貧しいことから抜け出すことは許されません。

それを映像的に描いたのは「すき焼き」の場面だと思います。
・・・そしてきっと主人公は社会から抜け出せず、
いつか(特殊?)詐欺に手を染めることでしょう



ところが、それに郷愁を感じない私たちは、
あの図々しさは不快感に感じます。

下層社会を抜け出せなくさせて、
「一人では生きていけない」のようなお題目を挙げる人を
嫌悪します

そして、私のような人たちは、
この物語は肝心なテーマにこたえていない
ということに気づいてしまうのです。

「こんなこと(塩辛をつくる単純作業)続けて、意味あるんですかね?」

これ、一大テーマだと思うんです。見ている人も日々の生活の中で感じ、知りたいことだと思います。だけど、これに答えないんです。

これ、答えないから、「ムコリッタ」の意味が(仏教用語)
今一つしっくりせず、

貧乏社会の話(川っぺりの話)と
魂とか死んだらどうなるの話(ムコリッタ)

が結びつかないのです。


この答を知っている(と思っている私たちのような)人からみると、

その答えを言うべきシーンはちゃんとあって、
    (主役が海を見ているところに社長が差し入れを持ってくるところ)

配役もそれなりの人がいるんです
 (「中島」役の江口のりこさん。このシーンがないから、
   なんで、江口のりこさんみたいなすごい人が、
   あんなちょい役なの?と謎になってしまう・・・)

なのに、なぜ言わない・・・・??

なので、話が結びつかない私のような人は「よくわかんない」で終わってしまうと思います。


結果、エモくて感激の人と、よくわかんない人で二極化すると思います・・・・



ですが、よくわかんない(私のような)人は、ここで映画館の意図に気付くのです!!

そっか!

・川っぺりムコリッタは、他人が作った社会的価値観を使って(ミニマリストとか→他人が作った価値観(軸))、自分が幸せになろうとしている土の時代の貧乏人が集まってできたコミュニティ


・さかなのこは、さかなくんの価値観(自分軸)で、すきなことをしていると、そこにいい人たちが共鳴して、いい人たちがあつまってくる昔の価値観にとらわれない水の時代のコミュニティ
→ミー坊(さかなクン)は純真な「自分の」好きという気持ちで、「みんなを」幸せにしていくからいい人たちが集まるのよね!

ってことなんでしょうね。

(このほかの川っぺりムコリッタの感想)

※ただ、満島ひかり さんはよかったです。とくに骨を食べるところ(のあと1分くらい)
あと笹野高史さんの「ばーん」

※薬師丸ひろ子さん、どこに出てるか気づきました?
 パンフレット見るまで気づかかなった。
 「いのちの電話」の答えている人(声だけ)

※↑の赤字のところ、説明していると長いので、別エントリにします



で、ここから、以下の話

(1)ミー坊は、おさかな博士になりたかったんだよねえ?
 結局、なったの?なれなかったの?
 なれないとすると、夢はかなってなくて、この映画、成立してなくね?

これは、1月23日の「ミュージックライン」
で、ザ・クロマニオンズの甲本ヒロトさんの話を聴いていればわかりますね。
そこで言ってた。

「さかなクンは大学受験には失敗したけど、
 その落ちた大学に、さかなクンは教授として
(と甲本さんは言ったけど、正しくは准教授)行っている。」

准教授といえば、おさかな博士と言ってよいのではないでしょうか?
つまり、さかなクン(ミー坊)はおさかな博士になったのです。
夢はかなったのです。いままでのコースとは違った道のりだけど…



では、そんな大事なメッセージを、どうして、「さかなのこ」のストーリーの中ででてこないのでしょう。

ここからは、個人的見解ですが、「はじめ入れていて、何らかの事情で抜いた」と考えます。

この物語には3か所、疑問があります

・歯医者さんの水槽の魚をあつめるところで、
 おじいさんとおばあさんが出てきて、ミー坊が魚をとりにいき、
 とってきたどーといって、魚を取ってきて、
 おばあさんが「さかなのこ」だ!っていう、
 この映画の題になる大事なところなんだけど、
 その魚は、歯医者さんの水槽の中に、入っていない
 (水槽の中に魚はない)

・ヒヨがテレビ局の人になったのかな?で、キャスター(たしか谷崎
 ゆりえ、間違ってたらゴメン)と一緒にミー坊を高級レストランに
 呼んだとき。キャスターがミー坊に何になりたいのか聞いたとき、
 ミー坊が「おさかな博士」と答えたら、笑われて(まあ、それは普通の
 反応だからいいんだけど)、ところがそのあとでヒヨはキャスターと
 別れたところ。なんでわかれた???

・はじめの題字に「男か女かはどっちでもいい」と書いたら、じゃあ、なにが「どっちでもよくない」大事なことなんだ?って聞きたくなりますよねえ。
 それにこたえていない。
 この題字、パンフレットの表紙裏に書いてあるんだけど、
 じゃあ、パンフレットの裏表紙の表側?(ちょうど反対)
   に何が書いてあるのかっていうと、すしネタが書いてある??
 意図不明。

ここで、【個人的見解】

・たぶん、この映画の最後に、「さかなクンは夢を追いかけていたら、
 従来とは異なる、破天荒な方法で、夢をかなえることができた」
 っていう意味の言葉が入り、最後に題字を書いている人の名前と職業

  東京海洋大学准教授 さかなクン

 と入り、「夢を追いかければ、おさかな博士になれるんだ」という
 物語に仕上げたかったのではないだろうか
 これが、最後の題字とパンフレットの背表紙にはいると、しっくりくるし、
 この映画の視点も変わってくると思う。

・そうすると、たぶん釣り上げた魚は、さかなクンが学会デビュー?
 したきっかけの「クニマス」の発見ということになる。
 あの歯医者さんの水槽のくだりは、ミー坊がクニマスを釣り上げた
 ことにより、(絶滅したと思われている魚が釣れたので)
 おばあさんは奇跡だ「さかなのこ」だといったのではないだろうか。

 そうすると、クニマスを水槽に入れたら・・・
地味なので、魚歯医者さんからは却下されるだろう。
ここで話はつながるし、そのあとのペットショップの店長の
「華やかな魚を好むからね~グッピーとか」とつながる

・そして、キャスターと別れた理由は、キャスターは土の時代の常識
 の学歴とかにとらわれている。だから、ミー坊が「おさかな博士」と

 言ったときばかげていると思って笑った。

 しかし、実際には学歴などは関係なくミー坊はおさかな博士になる。
 そのことをヒロは肌身で分かっていて(なぜならヒロは暴走族から
 一流大学に受かってテレビ局に入るという、当時ではありえないことを
 成し遂げたから。成し遂げた人間だからこそ、「ミー坊も将来やるぞ、
 こいつ」というのがわかる)、そのミー坊をハナから馬鹿にした
 キャスターとは合わないなと感じて別れた・・・

 ってことで、話がつながる。

 やっぱり最後に、夢をあきらめなければ、周りの人の助けとかで
 奇跡はおこる。おさかな博士になれる」っていうオチがないと不自然なんだよね。
 ただ、これがないってことは、気が付かなかったというより、何らかの大人の事情があるのかなあ~



っていうか、これ、ミュージックライン聴いてたから自分も気が付いたわけで、聴いてなかったら、最後、「でおさかな博士は?」って疑問に残っていたと思う。

 ってことで、ミュージックライン GoodJobなんだけど、
 これ、1月23日だから、

 いつもいく
   はじめに見ようと思ったmorc阿佐ヶ谷で
   みていたら見れなかったし、

 ミュージックラインのクロマニオンズの回を聴いていなかったら
   わかんなかったし

 昨日、自分の後に満席になったけど、もしちょっとずれてたら、
   見れなかったかもしれないし・・・

・・・なんて考えると、奇跡的なわけで、
これは、「夢を追いかければ、おさかな博士にすらなれる!」ということを
書きなさいという神様かだれかの引き寄せかもしれない???ので、
長くなりましたが、今回書いてみました。

以上です(赤字は別エントリでいつか書くつもり)

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