原っぱを思いっきりかけまわる。時には畑や田んぼなども遊び場の一つだった。
小さい頃はチャンバラが好きだったから、リーダーとなり、よく近くの土手などへも出かけてそれらを楽しんだ。場合によってはその遊びは戦争ごっこやお祭りのまねごとなどにも発展した。だからか「露営の歌」とか「若鷲の歌」「暁に祈る」などの軍歌を幼いわりには好んで口ずさんだ。童謡も歌ったが、今思うと戦争の歌も好きだったと記憶している。
それから中学生になって、これらの歌は古関裕而という人が作ったのだと名前だけは覚えた。そして今から19年前に初めて福島市にある彼の記念館を訪ねたのである。市の教育委員会の方や館長さんとお会いした時に、館内に展示してある古関さん愛用のハモンドオルガンでどなたかが生演奏されたらどうかと提案し、それが実現した時はさすがに嬉しかった。
次に訪ねた折りの菅野さんという職員の演奏ぶりの見事なこと。聞けば大阪の音大を卒業したばかりだという。それから4~5年、回数で7~8回くらいこの記念館で、古関氏愛用のハモンドオルガンでの彼女の名演奏を拝聴したが、彼女から退職するとはがきが届いた時にはショックだった。そして彼女の演奏のない記念館をその後も何度と訪ねたが、ハモンドオルガンでの名曲は他の方の演奏で数回聴いたことになる。
昨年にNHK朝のテレビで放映された「エール」。見るたびにその頃がなつかしく思えた。「とんがり帽子」「高原列車は行く」「長崎の鐘」「君の名は」などをイメージしては、一緒にこの福島の古関裕而記念館に同行してくれた人たちのことを思い出している。
一昨年は2度訪ねたが、ちょうどその年の11月が最後の訪問であった。それからは計画はしたものの、コロナのために行くことは断念している。
今年は57年ぶりに再度東京で開催されるオリンピック。その年、つまり昭和39年の10月での開会式の行進時に使用されたのが「東京オリンピックマーチ」。素晴らしい行進曲だとは思ったが、彼が作ったというのは後で知った。
過ぎてしまえばみんな思い出。
死後に奥様が国民栄誉賞を辞退した彼の記念館を、再びコロナ終息後には訪ねてみようと思う気になっている。
「心に残る旅(5)古関裕而記念館のこと」
古いものを尊敬するように。
しかし、新しい曲もまた暖かい心で接するように
R.シューマン (1810~1856)