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最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

北イタリア個人旅行-フィレンツェとベネツィアを訪ねる(その6)

2011-07-03 13:28:58 | 山・旅行


                     【 2011年1月22日(土)】  旅行第4日目の午後



 フィレンツェからユーロスターで2時間。長い橋を渡り、ヴェネツィア本島にようやく到着。列車を降り、FSのホームをまっすぐ進んで駅の外に出ると、もうそこがヴェネツィアそのものだった。


          
             




 駅前広場の前に運河が横たわり、さまざまな船が頻繁に行き来している。ヴォバレット(これは乗り合い水上バス)やら水上タクシー(モーターボートのようなつくり)、荷物を運ぶ船、小さな個人の船、それとゴンドラ。水の上はさまざまな乗り物でにぎやかだが、地面の方はというと、列車を降りたら自分の足以外、移動手段はない。車のタクシーはもちろん、バイクも自転車も車椅子もない。せいぜいモッコみたいな一輪車だけだ。 地面は水面から1mほどしかないから、すべての橋-大きい橋、路地のような狭い水路にかかる小さな橋も-は錦帯橋のように中央部が膨らんで高くなっていて、そこに階段が刻まれている。だから、車椅子などは使えないのだ。足の不自由なお年寄りなどはどのように移動しているのかちょっと気になる。



                                       
                                        【サンタルチア駅前の『①番コース』のヴォヴァレット乗り場】


 ともかく、ヴォバレットに乗り、ヴェネツィアでの滞在ホテルのあるサンマルコ広場に向かう。ヴェネツィアの街を『S字状』に切り分けている大運河をほぼ終点までいくことなる。
                                               


 このヴォバレットの乗船代だが、べらぼうに高い。1回券、24時間券・・・72時間等があるのだが、3日間分の72時間券は33ユーロもする。それにしても『乗り合いバス』が1回で6.5ユーロ(約750円)とは高い。3日券なら6回乗れば元が取れる計算だが、無理して6回も乗ることもないだろうと、出発目に算段しておいた。ガイドブックにも、”運賃は高いが、運河から両岸の景色を眺めるのなら1回くらい乗ってみる価値はある”とあったので、往き帰りだけにすることに決めていた。



 




                                     




                 




                                           
                                                            【 リアルト橋 】





 
            【 アカデミア橋の下からのサルーテ教会 】





 ヴォバレットはサンタルチア駅の乗り場をでると、右岸と左岸の乗り場を交互に結んで進んでいく。ガイドブックにあるようにいろいろの建物が臨まれる。 



   
                       
                                                【 アカデミア橋 】





 大きな旅行カバンを持っている旅行者にも負担が大きい。さすが、サンマルコ広場に近い、到着したばかりの、車つきのバッグを引っさげた観光客がひっきりなしの行き交うヴァバレットの発着場あたりの橋には、階段とともにスロープが設けられているが、他の橋にはそんなものは有りはしない。

                  
                       
  
           【大運河から見た『ドカーレ宮』、『サンマルコ寺院』と『鐘楼』】



 私たちも、ヴォバレットを降りるなり苦役が待っていた。小さな運河を渡るたびに、たとえ数段でも重たいカバンを抱えあげ、上がったり降りたりするのに難儀した。
 困ったことに、ホテルの所在地がわからない。住所と地図はもらっていたが、思ってた以上に通路が複雑なのだ。水路と陸路が混在し、普通に道路から建物に出入りできる場合のほか、建物の入口が直接水路に開かれていたり、水路にかかっている橋がそのまま入口の通じていたりとか、ともかく地図で見ただけでは、通路と建物と玄関の関係がどういう具合になっているのかわからない。

 で、すぐ近くまで来ていることはわかったが、どうしてもホテルが見つけられない。別の近くのホテルに飛び込み、ホテル名と住所を書いたメモを渡し、道を尋ねる。フロントで応対してくれた女性にもわからないようで奥から人を呼んでくれ、ようやく道順を示してくれる。重い荷物を置いて確認に走る。やっと見つけられた。

 狭い通路を抜け、行き止まりと思われるところの水路を右に曲がり、その先の水路にかかった小さな橋を渡ったところがホテルの玄関だった。これでは、わかるわけないと思った。個人旅行の辛いところだ。添乗員か現地の案内人がいれば、こんなことにはならないのだが、これだけのために案内人を高い金で手配するのもどうかと思うので、やめたのだが。


 問題はそれだけではなかった。むしろ、これから先のことのほうが大変だった。にこりともしないフロント・マネージャ(?)に、宿泊のクーポンを渡しチェックインの手続きをするのだが、しばらく書面をにらんだ後、ポーターを呼び部屋に案内する。大きなかばんを両手にかかえた若い背の高いポーターは先に進んでいく。エレベーターで上の階に上って狭い通路を通りさらに奥に進む。どこへ行くのだろうと思ったら、その先に人が一人ようやく通れそうな急勾配の階段があって、そこを這うようにそのポーターは上っていくではないか。はしごのような階段を登りきったところに屋根裏部屋のような空間があった。ポーターは荷を下ろすと「ここだ。」というようなしぐさをする。斜めの天井が頭に迫ってくるわずかな隙間にベッドがある。どう見ても一人しか寝られそうもないスペースなので、いぶかしがっていると、「もう1つはむこうにある。」と指差す。そちらを振り向くと、3段ほどの段差を上ったさらに狭い空間にベッドが置いてある。寝るのがやっとの寝台車のようなスペースしかない。バスタブを置いてあるような部屋が見当たらないので、「バスルームはどこか?」と尋ねると、半畳ほどのスペースにしつらえた、海水浴場にあるような簡易シャワーをその戸をあけて示す。

 

                                



 場所といい間取りといい、住み込みの下男が使うような屋根裏部屋そのものだ。愕然とする。どうしようかしばらく、考える。
 
 1日だけならまだしも、ここで3泊するのだから、これではたまらない。とりあえず、フロントに戻り、申し込み内容と違うと苦情を言う。間取りや部屋の広さに関しては、具体的な記載はないが、ホテルの『グレード表』の全4ランクある内の上から2番目のランクで、『バスタブのある部屋』の表記がある。これをよりどころに、「バスタブのある部屋に代えてくれ。」と迫る。一旦、部屋に戻ってから、ロンドンに今回の旅行のトラブルを日本語で対応するというツアー・デスクがあると聴いていたので、そこに電話をする。
「こちらからも、ホテルにあたってみます。」との返事だった。

 しばらくしてフロントから連絡があり、「部屋を変える。」という。例のポーターが来て荷物を持って急な階段を下りていく。フロントで部屋の位置を確認して、ポーターのボーイは「俺について来い。」といって、ホテルの入口から出て行く。橋を渡り、水路に沿って進む。ボーイに「どこから来たか。」とたずねると、ロシアからと応える。そういえばロシア人らしい顔をしている。190cmも有りそうな長身の細身だが、片方の足を引きずっている。不敵な笑いを浮かべ、どこか気味悪いが、今はこの男についていくしかない。
 100mほど進み、また橋を渡り、進んでいく。どこに連れて行かれるか不安になる。
 広場を横切り、広場の端まで来ると1つの入口の前で立ち止まり、鍵の束を出し、開ける。
 
 次に案内された部屋は、ごく普通の部屋だった。部屋があるのに、どうしてはじめからそうしないのか、いぶかしく思う。
 「ここは、ナンなのか」たずねると、先のホテルの別館だという。訳がわからない。パリの時の個人旅行とえらい違いだ。ともかく、これから3泊する場所ができて、落ち着く。



              




 やっと、荷物が解ける。三日分の衣類やらを引き出しに収める。部屋の差額代を請求されるといった無茶な要求をしてこないか気になったが、コーヒーを沸かし一服してから、外に出てみることにする。

 来るとき迷ったのが嘘のように、サンマルコ広場まで出る。

 

                 



 すでに時計は4時を回っていたのでチケットを購入しての入場・見学はやめた。



     

            【 夕陽を受けるサンマルコ寺院(改修中)】

                                        
                                                   【 サンマルコ広場と鐘楼 】




 広場の西のはずれまできたら、人がたくさん並んでいる。何かと思ったら、両替である。T/C(トラベラー・チェック)を若干用意していたが、ここイタリアではT/Cがほとんど使えない。大きな店で高額な買い物をするならともかく、スーパーとかちょっとした買い物では受け取ってくれない。ユーロの現金も少なくなってきた。フィレンツェでは、どこでもそんなにレートは変わらないと思って、行き当たりばったりで入ったが、たまたまその両替所がぼったくりで、300ユーロのT/Cが240ユーロにしからなかった失敗を思い出した。注意深く換算率を見ると「2%の手数料をいただきます」遠慮気味に申し訳なさそうに書いてあった。それで、並んでいるんだ、と納得。しばらく待って換金する。



                      



 街をしばらく探検してから、夕食をどうしようということになった。適当な店がないかと、サンマルコ寺院からホテルへの道を歩いていると、『海城』という中華レストランがある。今までの経験から、『中華料理は世界どこへ行っても当たり外れの少なく、不足がちな野菜もとれるし、割と安価に食事ができる』と思っていたから、そこに入ってみたが、まちがいだった。



                                           

                                                【 左奥が貧弱な『自称:八宝菜』-どうみても下手な家庭の『キャベツ炒め』】


 『八宝菜』と『チャーハン』など、2~3の品物を注文したが、小皿にこじんまりともっただけで、量も少なく味は最低だった。『八宝菜』だといって持って来た品物は、キャベツともやしが炒めてあるだけで、わずかににんじんの切れ端が散らばっているだけの代物だったので、「八宝菜ですか、これ?八宝菜をたのんだんですよ。」と確認すると、それが『八宝菜』という。
 「二度と来るものか、こんな店!」と思いながら、33.3ユーロの代金を払い、チップは添えず、さっさと店を出る。

 ホテルの部屋に戻り、日本から持っていったカップ麺と、途中の店で買い求めたワイン、パニーニで夕食の続きをする。

 今日は、ぐったりと疲れた。



                             【つづく-その7にジャンプ】

 

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