【 2017年5月8日 】
1年前、NHKスペシャルで放映された『羽生善治・人工知能を探る』の背景と、その後の「人工知能」の《成長》を加味したレポートである。そもそものきっかけは、この本の「導入」にもあるように《人工知能を搭載した「アルファ碁」が世界ランクの棋士を破ったこと》から始まる。
もちろんその前にも《事件》はあった。2007年、将棋ソフト「ボナンザ」が当時の渡辺竜王を破ったことが驚きと共にニュースとして伝えられた。しかし、圧倒的な《記憶力》をもつコンピュータが人間を負かすことは有りうる話だと思っていたが、その後の【人工知能】の進歩には驚くべきものがある。
日々進化する【人工知能】を前にして、一番の問題意識はやはり【人間にしかできないことは何か!】である。
この本を読む前に、実は下の本を先に読み始めていた。3分の2ほど読みかけたところで、【羽生善治の本】を店頭で見かけ、立ち読みすると、こちらの方が《すっと》入る。早速購入して2日で一気に読んでしまった。
【 奈良 潤 著 2017年 技術評論社刊 】
【奈良潤の本】の方も示唆が多く面白かったが、後半の《ハウ・ツー》めいた章と《政策提言》に関する章に少し退屈していたところに、【羽生善治】の方は、だいぶ話題が重なる所も多いが、より内容豊かでより新鮮だった。
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それぞれの本の内容を紐解いていると、なかなか終わらないので、要点だけを列挙する。
カーツワイルの【シンギュラリティ―】の到来に関しては、両者とも懐疑的である。特に、【人工知能に人間の知能と行動が支配される】という点に着いては否定的である。
その大きな根拠として挙げているのが、【奈良潤】は「直観」の「人工知能」に対する優位さ、【羽生善治】の方は「大局観」と「美意識」を挙げている。今まで、「直観」と「直感」を漠然と曖昧にとらえていたが、【前書】でその違いをはっきり植え付けられた。【後書】を読むと、きちんと「直観」と書かれていたのには正直、《さすが》と思った。
「直観」も「大局観」も、《単なる思い付き》ではなく、【過去の経験や積み重なった学習の成果】の裏付けがあるという点で共通している。
もう一つの「人工知能」と「人間の知能」の根本的な違いは、人工知能には「感情」「価値観」「倫理観」がないということである。もし、あるとしたらそれは人間がプログラムで書き加えたもので、「人工知能」そのものに由来するものではない。
「美意識」も「倫理観」も広い意味での「価値観」の一部であり、生身の人間にしか持ちえないものである。
また、【前書】に出てくる《「無意識下の記憶」や「運動能力」》と、【後書】に出てくる《「可塑性」や「感情や心」、「時間の概念」がない》などの項目は、外部から刺激を取り入れる『感覚器官』や『運動神経』と密接に関わってくるわけで、現在イメージしている【人工知能を備えたロボット】と【人間】とはだいぶかけ離れているといわざるを得ない。
それも克服して、将来自らを再生する【ロボット】が出現するかもしれない《可能性》は否定しきれないが。
その上で、アシモフの「ロボット3原則」も言及済みである。
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「チューリング・テスト」「中国語の部屋」、「マルコフ過程」やら「モンテカルロ法」など知的興味をそそる刺激的があちこちに出てきて興味は尽きない。
本の最後の方にかかれている、【人工知能と人間の共存】(将棋世界においても)の提案は、なるほどと思う。
とにかく、内容の豊かな本である。
『ウーム』、それにしても、NHKスペシャル取材班やプロデューサーもすごいが、羽生善治の知性も光るな。
『羽生善治・人工知能を探る』(NHKスペシャル)-のマイブログ
『「運命の一手」-渡辺竜王と人工知能「ボナンザ」と戦い』-のマイブログ
【「人工知能の核心」関連サイト 】