6月に映画館で見て、このブログにも書いた『ローズの秘密の頁』は長い間精神病院に収容られていたアイルランド女性の感動的な話だったが、先日テレビで似たような話-こちらは日本でのドキュメンタリ―で60年以上も「強制入院」を強いられた日本人男性の記録を見た。強制入院から解放されたきっかけが「福島原子力発電所の事故」だったというから皮肉というか、運命のいたずらとしか言いようのないやるせなさを感じる。
放映は、映画を見る前にあったようだが、機会を逃して今回改めて観たのだが、世界でも同じようなことがあったのだなとあらためて感じた。時の権力者は、自身に都合の悪い思想の持ち主や政策上の反対者を思想犯や政治犯として刑務所に投獄する一方、障害者まで世の中の厄介者として多くを精神病院に強制収容してきた。病院が保護の名のもとに第2の刑務所-強制収容所として機能させてきたわけである。
日本で「優生保護法」(1948〜1996年)が改訂されて20年以上たった今年になって、戦後の早い時期から旧法下での強制的な不妊手術が約1万6千件も実施されていたことが初めて報道された。一連の報道のきっかけは、今年の1月に宮城県の佐藤由美さん(仮名、60代)が、15歳のときに知的障害を理由に優生手術を受けさせられたことに対し、国に謝罪と補償を求めて提訴したことだったという。
「ハンセン病」もそうであったが、長い間-法律が改正された後も-誤解と偏見で旧態然とした扱いが継続していた。
また最近、新聞やテレビでも、「障害者雇用における水増し」であったり「医学部入試における女性一律減点」の事実が報じられたが、障害者蔑視や性差別が依然として存在していることが明らかになたっが、別の見方をすれば、それまで闇の中に埋もれたままだったものが、一部の《勇気ある人》の行いで表に出てきたと言えないこともない。
問題はそれを受け取った人がどう考えて、また多くの人に問題が波及し新たな世論が形成されるかである。
ニュース解説や論文もいいが、リアルな背景や生きた人間の感情を伴った小説や映画といった媒体も、固い論文には得られない独自の役割があると思う。喜怒哀楽を体感し、その感情を表現することは人間の特権である。
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かつて見た映画の中で、精神病院への強制入院とその解放を扱ったもの、思い出深い映画に『カッコーの巣の上で』と『人生、ここにあり』があった。前者は、最後のシーンが衝撃的で、希望に満ちているし、後者はイタリアでの精神病院廃止の取組を描いたものだ。ハンセン病患者が登場するものでは『ふたたび』が、そのジャズの響きと共に印象深い。いずれも、感動的ないい映画だった。
【 カッコーの巣の上で 】
私の場合は、【映画】こそが精神の主要な栄養源のように思える。
『長い入院』-NHKドキュメンタリーのサイト
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イタリアで精神病院を全廃した話を紹介した映画『人生ここにあり』-のマイブログへジャンプ
映画『カッコーの巣の上で』-に関する記事
『強制不妊手術の問題』-「東洋経済」オンラインのページ
『雇用水増し』問題にに関するコメント記事