ただ今、夜の12時を過ぎているので、日付はすでに5/18になっているから、「昨日」になるけど…。
昨日のお昼休みに、昼食を食べ終わってスマホでYahoo!を開いた瞬間、「西城秀樹が死んだ??」って??え???
トップニュースが目に飛び込んできて、職場で思わず声をあげてしまった。
「え???秀樹が亡くなったって!!!」
驚いた…まだ、63歳だそうじゃない!?
早すぎるでしょ。
西城秀樹さんが音楽業界に影響を与えた「文化」と「歌唱テクニック」
H30.5.17(木)週刊女性PRIME配信 Yahoo!ニュースより
<取材・文/渋谷恭太郎>
以下、抜粋
その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西城秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』が発売された。
アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。
スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです
スタンドマイクのパフォーマンスも、秀樹が最初だったのね?
野球場のコンサートも??
ペンライトも???
当時としては、斬新な画期的なアイデアだったということなんでしょうね。
いつからかな…?
そう言えば、スタンドマイクを振り回す激しいパフォーマンスをするような歌い手を、そう言えばここ何十年?見ていない気がする。
西城秀樹が初ということであれば、私が子供の頃テレビで見ていたスタンドマイクパフォーマンスの歌い手は、秀樹の後ってことか…。
日本の音楽が黄金期と言われていた時代、70年代、80年代あたりかな、あの頃は、テレビをつければとにかく何かの音楽番組が放映されていた時代で、盛岡のような東京から離れている地方都市ですら、街中に音楽が溢れていた。
CMからヒットが出るというのも珍しくない時代でもあって、またそのCMにもストーリーがあって、ドラマがあって、JR東海やコカ・コーラやマンダムやらあげればキリがないほど、お洒落なCM、カッコイイCM、面白いCM…たくさんあった。
今じゃ、録画したドラマを見る時、CM部分は早送りで飛ばしてしまうけど、あの頃は、「CMが見たくて、わざわざそのCMが提供する番組を録画した」ことすらあった。
「ヒデキ、感激!」(ハウスバーモントカレー)
このフレーズは、とにかく流行りに流行った。私含め、おそらく全国の子供たち、マネしたんじゃないかな?
「ヒデキ、感激!」って。
音楽も黄金期なら、CMも負けていなかったんじゃないかと思う。
いい時代だった。
「西城秀樹」とは芸名なんだけど、当時は子供ながら「カッコイイ名前だなぁ」と思っていた。本名を知った時は、「西城秀樹」で既にインプットされていたのでピンとこなかったが、私の中では「カッコイイ芸名」だと今でも思っている。
(音の響きなのかな?漢字の雰囲気なのかな?背が高く、ハンサムな彼にピッタリの名前だなと。)
ヤフコメを読んでいくと、氷室京介の歌い方が秀樹を彷彿とさせるとのコメントもあれば、T-BOLANの歌を聴いて「ヒデキ?」と勘違いしたというコメントもあったり、影響を受けている音楽人、たくさんいるのだろう。
当時は間違いなく「アイドル」だった。
アイドルだったが、今のアイドルと何が違うのか? … はっきり言いましょう、「歌えるアイドル」なんですよ。
口パクしない、動きながら踊りながら歌える、それが「普通」ってか「当たり前」だったと思う、あのころは。
今のアイドルなんて申し訳ないが、比較の対象にはならない。
そんな時代に若き日を過ごすことが出来た私は、幸運なのかも知れない。
西城秀樹 ・・・ 物まね番組では必ず真似をされるなど、その人気はもの凄かった。
急性心不全なんて…。
早いよ…。
寂しいね…。
心よりご冥福をお祈りします。
たくさんの感動を、ありがとうございました。
合掌。
人気ブログランキング ←いつもありがとうございます。
昨日のお昼休みに、昼食を食べ終わってスマホでYahoo!を開いた瞬間、「西城秀樹が死んだ??」って??え???
トップニュースが目に飛び込んできて、職場で思わず声をあげてしまった。
「え???秀樹が亡くなったって!!!」
驚いた…まだ、63歳だそうじゃない!?
早すぎるでしょ。
西城秀樹さんが音楽業界に影響を与えた「文化」と「歌唱テクニック」
H30.5.17(木)週刊女性PRIME配信 Yahoo!ニュースより
<取材・文/渋谷恭太郎>
以下、抜粋
その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西城秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』が発売された。
アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。
スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです
スタンドマイクのパフォーマンスも、秀樹が最初だったのね?
野球場のコンサートも??
ペンライトも???
当時としては、斬新な画期的なアイデアだったということなんでしょうね。
いつからかな…?
そう言えば、スタンドマイクを振り回す激しいパフォーマンスをするような歌い手を、そう言えばここ何十年?見ていない気がする。
西城秀樹が初ということであれば、私が子供の頃テレビで見ていたスタンドマイクパフォーマンスの歌い手は、秀樹の後ってことか…。
日本の音楽が黄金期と言われていた時代、70年代、80年代あたりかな、あの頃は、テレビをつければとにかく何かの音楽番組が放映されていた時代で、盛岡のような東京から離れている地方都市ですら、街中に音楽が溢れていた。
CMからヒットが出るというのも珍しくない時代でもあって、またそのCMにもストーリーがあって、ドラマがあって、JR東海やコカ・コーラやマンダムやらあげればキリがないほど、お洒落なCM、カッコイイCM、面白いCM…たくさんあった。
今じゃ、録画したドラマを見る時、CM部分は早送りで飛ばしてしまうけど、あの頃は、「CMが見たくて、わざわざそのCMが提供する番組を録画した」ことすらあった。
「ヒデキ、感激!」(ハウスバーモントカレー)
このフレーズは、とにかく流行りに流行った。私含め、おそらく全国の子供たち、マネしたんじゃないかな?
「ヒデキ、感激!」って。
音楽も黄金期なら、CMも負けていなかったんじゃないかと思う。
いい時代だった。
「西城秀樹」とは芸名なんだけど、当時は子供ながら「カッコイイ名前だなぁ」と思っていた。本名を知った時は、「西城秀樹」で既にインプットされていたのでピンとこなかったが、私の中では「カッコイイ芸名」だと今でも思っている。
(音の響きなのかな?漢字の雰囲気なのかな?背が高く、ハンサムな彼にピッタリの名前だなと。)
ヤフコメを読んでいくと、氷室京介の歌い方が秀樹を彷彿とさせるとのコメントもあれば、T-BOLANの歌を聴いて「ヒデキ?」と勘違いしたというコメントもあったり、影響を受けている音楽人、たくさんいるのだろう。
当時は間違いなく「アイドル」だった。
アイドルだったが、今のアイドルと何が違うのか? … はっきり言いましょう、「歌えるアイドル」なんですよ。
口パクしない、動きながら踊りながら歌える、それが「普通」ってか「当たり前」だったと思う、あのころは。
今のアイドルなんて申し訳ないが、比較の対象にはならない。
そんな時代に若き日を過ごすことが出来た私は、幸運なのかも知れない。
西城秀樹 ・・・ 物まね番組では必ず真似をされるなど、その人気はもの凄かった。
急性心不全なんて…。
早いよ…。
寂しいね…。
心よりご冥福をお祈りします。
たくさんの感動を、ありがとうございました。
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