後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

闘病生活の始まり

2017年05月10日 20時49分51秒 | 日記
闘病生活の始まり
手術して2日間は、首に装具を着けてベッド上で寝ているだけ、首が痛くて手足が痺れて辛くて仕方がありませんでした。手術して3日目にベッドの上に起き上がることができるようになって、ベッドの上でリハビリが始まりました。
4日目にトイレに行けるようになったけど、足に力が入らず歩行器を使ってやっとの状態でした。オシッコはなんとか行けるようになったけど、出しにくいのと残尿感がありました。それから、お腹に力が入らずウンコが出せなくて下剤を飲んで浣腸までして、6日目にやっと出せました。肛門が切れて便器が血で真っ赤になっていました。
手術して7日目、首に装具を着けてリハビリ室で運動リハビリが始まりました。寝ながらの足の運動、腹筋のトレーニングなど体幹と下半身の運動が1時間、それから手と腕の運動と指を使った作業など上半身の運動が1時間ずつありました。毎日少しずつ運動の質が重くなって行き、退院前には病院内の売店や図書室にも自由に行けるようになりました。
入院中、同室の人たちがみんな明るい人たちだったのが救いになりました。両足を骨折した人、腰椎ヘルニアで手術した人、右手を複雑骨折した人、みんなで励まし合いながらリハビリを頑張った。そんななか、入院が長くなった人たちは、別の病院への転院を勧められるようになりました。
毎日のリハビリで、少しずつ筋力が回復して2週間で首の装具が取れ、シャワーの許可もでました。シャワーを浴びて身体を洗ったときは、首から下の皮膚の感覚が麻痺しているのにすごくショックを受けました。
何と言っても、首の骨を無理やり広げて人工骨を入れ固定した状態なので、曲げたり捻ったりするのがすごく怖く感じました。
リハビリは、段々と苛酷になり、毎日汗だくになるようになりました。
手術して3週間、歩行器なしでなんとか歩けるようなったところで、そろそろ退院するように言われました。まだまだ首に痛みと手足の痺れ麻痺があり入院を希望しましたが、医療保険制度の決まりだとか言われ受け入れて貰えませんでした。弱者は、常に切り捨てられる、そんな世の中なんだとしみじみ感じました。
人は、その立場になって初めて、その立場がどんなものなのか分かります。
6月13日退院、その夜は首の痛みと手足の痺れが強く不安で眠れませんでした。
退院して翌日から、毎日、妻に送り迎えしてもらって通院リハビリに通う日々となりました。
やはり、自宅での生活は、病院と違って容態を見てくれる看護師さんもいないので不安になり眠れない日々が続きました。そんなある日、睡眠剤を飲み過ぎたのか、夜中に一人で、台所の椅子に座ってお菓子を食べたり、冷蔵庫からお茶を出して飲んでいたそうですが、まったく憶えていませんでした。
病院にリハビリに行っている時間は、不安はありませんでした。今もあまり変わっていませんが、かなり精神がまいっていたかと思います。

続く