後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

苦しい通院リハビリ

2017年05月21日 20時07分56秒 | 日記
2017年1月27日退院して、1月30日から地元の病院で妻の送迎により通院リハビリを開始しました。
会社には、2月末まで病気休暇を申請しました。妻は母親と義母の介護と夫の病院の送迎、子供達の世話と外に働きに行く暇など無く、自分も休暇中の給与は6割しか支給されないので、出来るだけ早く職場復帰したいと思っていました。リハビリを頑張れば事務仕事ならコルセットを着けて出来るようになると、京都府立医大の先生も言っていました。
それに、病気になってから妻も仕事を辞めて収入がなくなり、住宅ローンと教育ローンの返が経済的に大きな不安となりました。県や市役所に相談してみたけど助成を受ける制度はありませんでした。
リハビリは、毎日40分から60分の時間を午後の時間に入れてもらいました。リハビリまでの時間はベッドに横になってテレビを見ていました。とにかく、背中が痛くて起きていることがたまらなく苦痛でした。2時間続けて座っていられるようになったのは、リハビリを開始して2週間は辛くて毎日泣き言ばかりでした。3週間が経ち職場復帰をひと月延ばすことにしました。リハビリを開始してひと月が経っても、背中が痛くて半日も続けて座っていることが出来きず、手足は痺れと痛みが強くて職場復帰どころではありませんでした。
3月に入っても、状態は少しも良くなる様子も無く悲観的になって行く一方で、リハビリの前に受ける診察では、金沢大学病院から応援に来ている医師から、その病気は治る病気じゃないからいろいろ言われてもどうしよもないとか、痛みの原因を相談したところカルテを最初から観ている時間がないから主治医に受診して聞いてとか冷たい態度を取られました。その医師にしてみれば、週1回の応援で面倒なことに首を突っ込みたくなかったのでしょうけど、痛みに苦しむ患者にとっては辛い対応でした。それ以降もその医師からは症状を聞かれこともなく、ただリハビリカードを渡されるだけでした。
それでも、リハビリのスタッフの人たちはみんな親切で暖かく励ましてくれました。
3月21日、京都府立大病院を受診、装具が硬性コルセットから軟性コルセットに変更になりました。軟性コルセットになるも、背中の筋肉に負担がかかるので3ヶ月は装着するように言われました。その際に背中の痛みや手足の強い痺れと痛み、麻痺を相談しましたが、レントゲン検査では手術後の経過に問題は無く、痛みは背中の筋肉が委縮しているからだろ、リハビリを続けて行けば少しずつ改善していくだろと言われました。
毎日リハビリに通い、3月下旬に、ようやく半日は座っていることができるようになりました。それでも周期的に痺れと痛みが強くなって心が何度も何度も、もう限界だと悲鳴をあげました。

職場復帰は困難な状態でしたが、このまま休職を続けていると解雇されるのではないかとの不安が大きく、家に居ても良くなる訳ではなく、4月から半日のリハビリ勤務をすることにしました。
自宅でのリハビリで近くを散歩するのも、よれよれの状態で近所の人と会うのを避けてました。


脊椎の拡張手術

2017年05月21日 19時54分23秒 | 日記

入院した部屋は、手術が近い患者や手術が終わってすぐの患者、重症患者が入る部屋でした。
入院してから手術するまで検査もたくさん受けました。
それから手術の説明がありました。妻と一緒に聞きましたが、神経を圧迫している脊椎の骨を後側から削って開いて、脊椎7本をプレートとボルトで固定すると言われました。背中が曲がると骨化した靭帯が神経を圧迫するから曲がらないように固定すると言われましたが、そんなことをして日常生活ができるのか、支障が無いのか、他に方法がないのか先生に尋ねました。手術後半年ほどコルセットを着けなければならない、コルセットが取れても背中を固定するのである程は支障が出るが生活するのには問題無い、手術方法は教授とのカンファレンスでもこの方法が一番適切とのことだったと言われました。妻は先生の言うことが一番と納得していましたが、私は背中を曲がらないように固定すると聞いて、もっと身体に優しい方法がないのか不安でたまりませんでした。
12月15日、手術の当日が来て覚悟を決めました。
朝9時、ストレッチャーで手術室に入って行きましたが、途中に幾つもの手術室がありその先にもまた幾つもの手術室が見えました。手術室に入って点滴を始めてから意識がなくなりました。
手術が終わり目が覚めたのは、18時過ぎに病室の中でした。妻の心配する声が聞こえましたが、身体が重く怠く、背中の中から湧き出る痛みで頭も麻痺していました。先生が来て手術は無事に上手く終わったと言っていたと思います。翌日も一日中、ただ天井をながめながら痛みに耐えて誕生日を迎えました。
手術して4日目にベッドで起き上がれ、5日目に歩行訓練が始まり、7日目にトイレでウンコが出せました。妻は、認知症の母親と義母の二人の面倒を見ながらも週に一度の割合で来てくれました。クリスマスもお正月も家族と離れ病室で過ごしました。毎日、リハビリを懸命にやりましたが、なかなか上手く歩けず、夜になると背中が疼くように痛くなって手足も痺れ眠れませんでした。
手術してひと月経って、そろそろベッドを開けて欲しいと言われましたが、背中の痛みと手足の痺れは相変わらずで病院内の歩行がやっとの状態であり、なんとか10日ほど退院を延ばしてもらいました。この後、地元の病院に通院してリハビリすることになりました。
同室の人で肉芽腫の病気の人は、眼の手術をして足の手術をしてまだ車椅子に乗っていました。自分より重い病気で苦しんでいる人、もっともっと頑張っている人はたくさんいるとは思っても、自分の辛さしか考えられません。ついつい、痛い、苦しい、辛いと言ってしまいます。
退院するときは、先に自分で退院手続きを済ませ、妻が迎えに来るのを待って、タクシーで駅まで行き電車に揺られて、すごく辛い思いをして帰りました。
その日は、家に帰れて嬉しい半面、背中の湧き上がるような痛みと、手足の疼くような痺れのため眠れませんでした。