由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

小浜逸郎論ノート その1(序)

2024年01月24日 | 倫理

Bronze statue of Eros sleeping, 3rd–2nd century BCE, Collection of the Metropolitan Museum of Art, New York

 昨年物故した小浜逸郎さんは、もしかしたら日本最後の思想家ではないかと思います。
 知識人や広い意味のジャーナリスティックな言論人なら今もいるし、これからも登場するでしょうが、思想家は。この言葉を見ただけで、何やら時代遅れのような、場違いのような気が少しするでしょう。思想を、今簡単に、〈言葉で、人間と人間世界の在り方を根源的に捉え、そこから可能な「あるべき姿」を探求しようとする試み〉だとすると、そもそも、言葉に対する信頼感がもうそんなにないんだよ、という気分に突き当たります。これには、いささか心が寒くならざるを得ません。
 それでは何ができるか? もちろん大したことはできせんが、とりあえずの試みの場として、我々には、小浜さんが著作以外に遺してくれた「日曜会」という勉強会があります(左側コラムの「ブックマーク」の一番上にHPのリンクがあります)。元は小浜さんが始めたのですが、30年ほど続くうちには、それなりにいろいろあって、今はかつて事務連絡を担当していた私が主催ということになっています。いままでにももちろん小浜著をテキストに採り上げたことはあったのですが、改めて、若い世代を中心に、小浜思想の検証を行えばどうだろう、と思いつき、その若い世代の賛同を得ることが出来ました。
 その最初として、昨年の11月12日、高校時代から小浜逸郎の著作に親しみ、最近全著作読破をなしとげたという若き哲学徒・Fさんに、小浜逸郎の全体像を概観する発表をしてもらいました。小浜は著作だけでも、新書本を含めて50冊以上あり、短い時間で語るのは至難の業なのですが、よくまとまった、しかも真摯な情熱が伝わってくる発表で、感心しました。
 発表のタイトルは「小浜逸郎 《生活者の思想》」(このときのレジュメ、というよりそれ自体立派な論攷は、なぜかここには直リンを貼れないのですが、左の「思想塾・日曜会」から「しょ~と・ぴ~すの会」GO⇒「現在までの記録」GOの順にクリックしてもらえると、全文アップしているページにたどりつきます)。これは、西洋哲学・思想を初めとする様々な理論を学び、現代社会に対する精緻な分析も示しながら、それを必ず、この世で実際に生きている人間=我々の場において検証することを忘れなかった、そこに小浜さんの最大の特質がある、ということです。そう言うと、けっこうありふれている評のようですが、もっとずっと掘り下げて考える値打ちがあります。
 今簡単に入口だけを言いますと、小浜の出発点であった初期三部作(『学校の現象学のために』『方法としての子ども』『可能性としての家族』)で展開した方法論があります。学校・子ども・家族は、誰にとっても身近な領域なので、改めて思想の対象にされることはそんなに多くはない。なっても、それはいわゆる上から目線の、学校は/家族はこうあるべき、といった「べき論」の立場からのものがむしろ普通です。
 別の言い方をすると理念先行型で、現にそこで生きている人々の実態・実感は二の次にされる。そのため、現実には不幸をもたらすことのほうが多いようにように思います。
 教育論という名の学校に関する言説には、特にこの傾向が強いです(『学校の現象学のために』は当ブログではここでとりあげました)。そこで小浜はまず、それらを「おこさま教」「おめでた教」「おなみだ教」等々とサンプリングして、その非現実的な、今で言うお花畑的な思考、というより、「~教」のネーミングからうかがえるように、例えば「子どものすばらしさ」は絶対の真理とする一種の宗教と言うべきもの、をぶった斬っていく(この論者の中には現役の教師もいる。現に生徒に接しているときと、論を述べる時には自然に別人格になるらしい)。 
 実のところ、「子どもは素晴らしい」「教育は偉大だ」と浮かれているだけならいい。困るのは、では、「すばらしいとは言えない現実はどうして生じたのか」に転じると、ただちに、「それは教育を与える主体たる教師が悪いからだ」になる。最初からこれが言いたかったとしか思えない言説者(評論家や行政者)も多く、教師は、一切の反論は許されず、まともに聴いたりしたら、無力感に苛まれるしかないような代物です。
 しかし見かけだけだと、理念先行型は、都合の悪い現実を些事あるいは夾雑物として最初から捨てているので、一見いかにも颯爽としていて、明快で、「覚悟がある」言いようになる。これは、特筆大書したいのですが、全くの錯覚です
 一方、現実の諸条件を踏まえている言論は「理念はかくかく、しかし現実はしかじか」という具合に揺れるので、どうしても「ああでもないこうでもない」(『男はどこにいるのか』初版の「あとがき」にある小浜の自認)の煮え切らない印象がつきまといがちになります。
 さらには、「それでいい/仕方ない」という意味での現状肯定の動機を秘めているようにも見えてしまいます。それもあって、小浜はやがて、保守的言論人の一人にカウントされるようになりました。

 本年1月に、Fさんの跡を継ぐ形で、私が、男性論、というか男女関係論を定点として、そこから見えてくる小浜思想の特質を考えましたが、このことに改めて気づく機会になりました。
 一つにはこれは、家族や学校より以上に身近過ぎて、本格的な思考の対象にしようなどとは滅多に思わないトピックだからです。誰もが性別のカテゴリーを無視して社会で生きることはできません。具体的な異性を意識することとは別に、男はどうたら女はこうたらいう話を、一度も言ったことも聞いたこともない大人は、たぶんいないでしょう。多くは、飲み会などの場で。たいへん一般的であると同時に、徹底して個人的(プライベート)な問題。非常にデリケートで感情が絡んでくるのは避けられない問題なので。
 逆に、何を言おうと、「そんなの、人それぞれじゃないか」という感想をもたれがちですし、「いろいろコムズカシイ理屈を並べているが、結論は当り前のことじゃないか」というのもあります。むしろこういうほうが多いかも知れませんね。小浜の著作は、そこでまた、読む人を選んでしまうのです。

 それでもこの主題は、小浜の文業の中では家族論→倫理論と(狭い意味の)エロス論、現代社会状況論にまたがっていて、その重要な一部を成しています。今回と次回の二回に分けて、発表のレジュメに基づき、ここで採り上げられている論点のいくつかを整理して、自分の感想を加えて、私の小浜逸郎論の最初にしたいと思います。
 テキストとしては、六冊目の単著、『男はどこにいるのか』(草思社平成2年→ちくま文芸文庫平成7年→ポット出版平成19年)を主に使用します。時に小浜逸郎は43歳。後にこのテーマは、『中年男性論』(筑摩書房平成6年)『中年男に恋はできるか』(佐藤幹夫との対話形式、洋泉新書y平成12年)『男という不安』(PHP新書平成22年)などで展開されるのですが、若い時代の文章は、やや硬いのですが、その分勢いがありますし、また目配りの広さも一番です。引用文末の頁数は断りがなければポット出版版『男はどこにいるのか』のものです。

Ⅰ.小浜の大テーマ・権力とエロス。人間関係の二原則。
 晩年の主著『倫理の起源』(ポット出版平成31年)にまで至る小浜の倫理観、小浜倫理学と言ってよいものは、その基本は人間同士の関係性を二大別するところから始まる。「人間はおおむね社会生活とエロス的生活という二つの生活軸を抱えて生きている」(P.251)
 この二つの中でも小浜にとって重要だったのはエロス(的生活)であったことにまちがいはない。エロスなる言葉については、いろいろなことが言われているのだが、小浜独自の定義と言えそうなものを同書の中から探すと、「自分が誰々に「とっての」存在であると同時に、その誰々も自分に「とっての」存在であるような生き方」(P.142)がそうだろう。つまり、その人間の存在自体が問題になる、真にかけがえのない者としてある関係性がそうなのだ。
 それならば、全人的な関係とか、人格的な結びつきとか、他にも言い方はあると思うのだが、なぜ誤解を招きやすい「エロス」に最後までこだわって使い続けたのか、今回『男はどこにいるのか』を久しぶりにじっくり読み返してみて、わかるような気がした。男女の性愛関係こそその典型だと考えていたのだ。これについては後述する。
 一方社会的な関係の場においては、権力が必要になってくる。権力とは「ばらばらな人間意思を、その個々のものの思惑や属性のいかんにかかわらず一つにしてしまう意思の実現」。従って、「この定義に関するかぎり、権力的であることは、非エロス的である。なぜならば、エロス的関係が本来的な意味で成り立つ場合には、まさに相手の個別性や思惑そのものを媒介として融合することがめざされている」(以上P.126。下線部は原文では傍点部)のだから。
 しかし、「「人間は社会的動物である」という偏った自己確認が、男のアイデンティティを圧倒的に支配してきたために、その領域における人間関係の基本的なポリシー(引用者註、権力関係、だろう)に基づいてエロス的な領域に向き合う傾きが、歴史的に習慣化してしまった」(P.127)。これは誤りであり、エロス的関係の場であるべき、普通は家庭を中心として、その安寧を守ることを外部の共同体、その最大のものは国家、の至上命題とするように編み変えるべきである。そこに、小浜倫理学の眼目があった。「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」(ブログ『小浜逸郎 ことばの闘い』中「倫理の起源61」2015年1月21日よりコピペ)
 以上の二区分は、純粋な理念、概念規定であって、軍隊の指揮官が大勢に号令するような場合は別として、個人に命令する場でも、いっしょに生活する場合でも、必ず幾分かはこの二つの感覚は認められる。企業のような利益共同体であっても、ある者の仕事の上での有能さとは別に、その者の人間性に関する上司や同僚からの好悪は必ず問題になるし、たとえ夫婦二人きりの最小の共同体であっても、社会は社会なのであり、時を過ごすうちに、二人の成員のうちのどちらかが、権力、と言って言葉が強すぎるなら、主導権を握るか、は自然に決まってくる。
 人間はさほど純粋な存在にはなり得ない、ということで、それぐらいは小浜にも当然分かっていた。

 それとは別に、上記について私の疑問があります。大別して二つ。両方とも小浜さんに直接訊く機会があり、うるさがられました。
(1)エロスそのものの中に、権力欲、に似た欲求が認められるのではないか。言い換えると、エロスと呼ばれ得る一個の人格そのものへの親密な感情の中には、その人のためを思う、というのとは逆向きな、完全に支配して、ついには破滅にまで至らせる淫猥な権力衝動が働いている場合があるのではないか。
 このことについての思い出は、このブログでトルストイの家出騒動(をめぐる正宗白鳥と小林秀雄の論争)について触れたとき、小浜さんが妙にのってきて、エロス(このときは、現在普通に使われているエロスの意味に近かった)について、いろいろ語ったことです。それはフェイスブックのメッセージでもらったのですが、どういうわけか今は消えています(たぶん、向こうが消したんでしょう)。それで私が調子に乗って、便乗する形で、ザッヘル・マゾッホと谷崎潤一郎を題材にしたエロスー権力論を↓に書いたら、それっきり何もお応えはなくなりました。
 権力はどんな味がするか その7(槌か鉄床か)

 もっとも、この点では小浜さんのほうがまともなのかも知れません。いずれにしろ、このテーマは、彼とは無縁なので、別途に考察していかねばならないでしょう。

(2)家族(的なものを含む)こそ最重要、そのためにこそ国家などのより大きな共同性は機能すべきだという考えは、革命的であり、あまりに理想的過ぎる。小浜はかなりの部分、その困難には敢えて目をつぶっているふしがある。第一、前記「生活を共有する身近な者たちが……限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」の部分は、これだけなら戦後日本の進歩主義者が言ってきたこととほんとんど変わらない。
 これは小浜倫理学の枢要に関わるので、今後できるだけこだわっていきたいと思います。今回は、参考までに、以前のブログ上のやりとりを以下に紹介するだけに止めます。
 まず『倫理の起源』の元、いわば初出である小浜ブログ『ことばの闘い』の連載記事の一つ。この時採り上げられた百田尚樹「永遠の0」を題材に、日曜会で討論したばかりだったので、それに基づき、私が長文のコメントを寄せました。
 「倫理の起源60」2015年1月15日

 ↑の私へのコメント返しの最後に、「そのうえでまたお話ししましょう」とおっしゃってくれたのを真に受けて、自分のブログで、小浜さんと、当時は日曜会の常連メンバーの一人だったW.H.という人を相手に(するつもりで)書いた拙ブログの記事。
 「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その1)」
 
 私の不躾さに戸惑いながらも応えていただいた小浜さんの文章を読み、掲載させていただいたうえで、さらにもう一度書いた記事。
 「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その2)」
 
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書評風に その6(夢野久作、スティーヴン・キング、アイラ・レヴィン)

2023年12月28日 | 文学
 極私的怪奇小説ベスト3を挙げます。今はホラーと言ったほうが普通なんでしょうが、後に「小説」をつけると、個人的には「怪奇」のほうがしっくりします。ともかく、超自然の要素(らしきもの、を含む)がある小説の中から、比較的強く記憶に残っている長編三作品、並べてみると、改めて、三作とも、作風というか、主題あるいは中心の思想というか、はまるで違うことがわかりました。そこがまた面白い、とこれまた個人的に思っています。ネタバレを含むことは了承してお読み下さい。

◎夢野久作「ドグラ・マグラ」

「ドグラ・マグラ」 松本俊夫監督 昭和63年

 おそらく世界一奇妙な小説です。わけがわからないということなら、私が若い頃文学オタクの間では流行っていたヌーボー・ロマンとか、たくさんあるんですけど、これは一応わけはわかるのに、奇妙なんです。読んだ人は気が狂う、と言われているようですが、私は(たぶん)大丈夫だったので、大丈夫でしょう。
 何が変なのかって、まず時間感覚。分量はドストエフスキー「罪と罰」と同じぐらい。こちらはエピロローグを除いて、作中で〈現在〉として進行する時間は二週間、そこに折々過去の回想がはさまる。「ドグラ・マグラ」の語り手は記憶喪失者で、彼が体験する〈現在〉は一晩、あるいは一瞬かも知れない。それでいて千年以上前の歴史も絡んでくる。それに、これだけ長い小説なのに、章立てがなく、時間は連続しているが、最初と最後はぴたりと重なって、円環を成す。
 ただし、中ほどには、変人の精神医学者・正木博士が、畢生の大論文「脳髄論」の内容をさまざまな形式で書き遺したという「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」など六種の文書が、〈私〉に示され、その中身が本作の三分の一ほどの部分を占める。ここで示される脳の機能論(脳はすべての細胞に貯蔵されている記憶をまとめる、オーケストラの指揮者の働きをする)も、全体の時間概念も、一度だけ名前が出てくるベルクソンを思わせるが、もちろん科学的な真相が問題であるわけはない。また、人間は胎児のうちに、細胞中の記憶を夢に見ている、というユングを思わせる説が、重要なプロットとして使われているが、ユングの名は登場せず、作者がどれくらい本気でこれを信じていたかも明らかではない。
 六種中の他の文書の中には、「ドグラ・マグラ」という題名の、大学の付属病院に入院していた学生(それが〈私〉であることは推測できるが、明確にされない)が書いたとされるものもあって、「超常識的な科学物語」か、などと評されている。中身はもちろんこの小説全体ということになるのだろう。こうして作品の〈内〉と〈外〉もメビウスの輪のようにつながっている。
 ここまで凝った構成なのに、〈私〉の語りは平易で、緊張の糸が途切れることなく持続していて、読み終ると、「とても長い短編小説」だな、という気がします。そこが一番すごい。テーマを一言で表現すると、「時間と記憶の鬼ごっこ」というところでしょうか。それがこんな構成を必要としたのだな、ともよく納得されます。
【↑の映画は、原作小説の一つの解釈を軸にして、迷宮のような世界をうまくまとめた名作です。この中で正木博士を好演した桂枝雀がその後鬱病で自殺したのは、多少因縁めいて感じます。】

◎スティーヴン・キング「It」

It, directed by Andy Muschiett, 2017

 一番根幹のはずの、怪物イット〈それ〉の設定が、ちょっとどうかなあ、と思えます。宇宙の誕生時に既にいた、悪の根源なんだとされるんですが、そんな究極的にすごいものが、アメリカの小さな田舎町の地下に潜んで、子どもの恐怖心を餌にしている、というのは、スケール感がちぐはぐじゃないか、と。
 だいたい、〈それ〉の本当に本当の正体なら、小説の最初の頃に、簡潔に言われている。「あいつはこの町そのものなのよ」と。至って平凡な町なのだが、その底には人々の集合無意識と呼ぶべき悪意が淀んでいる。七人の主人公たちは最初ローティーンとして登場し、虐待、喘息、肥満、などが原因で、それぞれトラウマがある。前々回述べたことだが、子どもにとって我が身に降りかかる悲惨は、不条理で、悪意そのもに見えるものだ。彼らが「負け組クラブ」を結成して、悪意の象徴である〈それ〉と戦うことでトラウマを乗り越えようとする、それが本作のプロット。
 しかし子どもの頃には〈それ〉を倒しきることはできず、27年後、町からは再び子どもが消えるようになる。かつての戦いを通じて固い絆で結ばれた七人は、黒人の子一人を除いて、町を出て皆けっこう社会的な成功者になっているのだが、このときの戦い後に交わした約束を思い出し、故郷に戻る。ただし、そのうちの一人は、おぞましい体験が再び甦ってくることに耐えきれず、自殺してしまう。残る六人が、町の不潔な地下道を辿り、再び〈それ〉と巡り会う。
 本作は成長物語です。大人になるためには、発達課題をクリアしなければならない。しかしそれが成し遂げられたとき、辛かったけれど懐かしくもある子ども時代は失われる。その端的な象徴として、成長した元「負け組クラブ」の誰にも子どもはいないし、〈それ〉の消滅とともに、幼い頃の記憶は失われる。後には達成感と裏腹な哀切感が残される。奇怪な冒険物語を借りて、そのような心の過程を痛切に描き出した、そこに本作の真価があります。
【最近できた映画は、けっこうヒットしたようですが、どうも少し……。主人公たちの子ども時代を描いた前編はいいのですが、後編の「End」は(原作では子ども時代編と大人編が交互に、ないまぜに進行するのですが、それを映画でやってはエンタメとしてはあるまじきほどにわかりづらくなるから、時代別に二つに分けた配慮は、しかたないことでしょう)。風船に結ばれて宙に浮いている子どもたちの画像は怖いですけど、ペニーワイズが蜘蛛の格好になって暴れるのは、「これが恐怖の本体だっていうなら、結局全部冗談かよ」という気分になってしまいました。】

◎アイラ・レヴィン「ローズマリーの赤ちゃん」

Rosemary's Baby, directed by Roman Polanski, 1968

 揺るぎない構成が冴え渡っています。題材は「悪魔の花嫁」とでも言うべき、いかにも古いゴシック・ロマンそのものなんですが、それを1960年代のアメリカに完全に生かしきっています。
 夫は駆け出しの俳優で妻は専業主婦の若夫婦が、ニューヨークの近代的なアパート(ジョン・レノンが住んでいて、その前で射殺されたダコタがモデルだという話を聞いたことがある。でもあれ、高級アパートのはずで、売れてない俳優の稼ぎだけで借りられるのか? と少し疑問)に引っ越すことになった夫婦の、日常的な生活の、トリビアに渉る描写から、周到に伏線をはりめぐらせていって、ついに完全に異常な世界にまで違和感を抱かせることなく話を運ぶ。そのために、話の途中で妊娠する(これがキー・ポイント)妻の不安定な心理状態も非常に効果的に使われていて、作者は男性なんですが、よく勉強しているなあ、と思えます。
 そしてまた、母性の強さによって、強大な悪と戦うヒロインの姿は、非常に感動的です。
【こちらの映画は、今日まで名画として知られていますね。ミア・ファローのスクリーン・デヴュー作で、若妻を初々しく演じているのも好感度が高いですし、原作の本質を生かして、さりげなく恐怖感を高めていく演出も見事です。先に小説を読まずに見たら、きっと怖い思いをしたでしょう。】
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LGBT理解増進法 誰のため? 何のため?

2023年11月29日 | 近現代史

「理解増進ではなく差別禁止法を」LGBTQ当事者団体が声明(『毎日新聞』令和5年2月14日)

 本年の6月に成立・公布されたいわゆるLGBT法、正式名称は「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」については、私は、昨年までほとんど知識・関心がなく、今年になって法案が大きく取り上げられるようになってから、「これはなんだ?」「なんで今頃こんなのが出てくるんだ?」と、疑問を持つようになった。こういう人は決して少なくないと思う。
 だいたい、なぜ私がLGBTなどの性的嗜好、じゃなくて指向か、を理解せねばならんのか、いやそれより、理解せよと上から(直接には法律を作った国会から)命令されねばならんのか、なんとも不審で、なにか不快だった。
 最近、旧知のLGBT当事者(G)にこの問題を訊く機会があった。彼は大企業勤務で、もう公私ともにカミングアウト済みのうえ、長年のパートナーである男性ときわめて幸せに暮らしているそうで、個人的には法律の必要性など感じない。しかし、この法律制定には外部から協力した、その理由は以下の二つ。

(1)欧米を初めとする自由主義諸国は、たいてい同性婚まで認める段階に至っており、そことの外交・貿易のためには、LGBT問題に対して日本が国として無関心ではないことを示したほうが有利。
(2)「人権擁護法案」(平成14年)や、これに近い理念を掲げる野党や人権派諸団体が推進しようとする法制度は、人権侵害=差別に関する定義が曖昧なままに、規制だけを強める非常に危険なものである。今回の理念法は、その先手をうって彼らを黙らせるカウンターとしての効果を持つ。

 別に彼のせいではないが、なんだかさらに萎える気分になった。これが本当に立法者たちの動機なのだとしたら、LGBTそのものは二の次の、口実のようなものだということになりはしないか。
 特に(1)は、いつまで後進国意識を持ち続ける気なのか、と言いたくなる。
 関連して、5月にラーマ・エマニュエル駐日米国大使が、EU、欧州10ヵ国、オーストラリア、アルゼンチンなど合わせて15の在外公館の大使らを語らって、X(旧ツイッター)を通じてビデオメッセージを発表し、差別の根絶を訴えた。もちろん法の制定を促すためのものだが、ここには日本における差別の実態についての言及は、従ってそれへの対策としての法律の実際的な必要性を指摘した言葉は全くない。
 たぶんエマニュエルにとっても、他の大使たちも、日本のことなどよく知りもしないし、そもそもどうでもよかっただろう。彼らは「差別反対」のリベラルの代表として、自国内でも決して少なくないアンチLGBT派に対するカウンター活動の一環としてやっただけなのではないか。
 そうでないとしても、diversity(多様性)の尊重を言いながら、各国・各地域の歴史や文化の相違に対する配慮がないのは明らかである。宗教(キリスト教)によって長年同性愛が明確に禁じられた西欧諸国と、明治5年に「鶏姦律条例」が発令され、明治15年から施行された旧刑法からは消去された10年を除いて、同性愛が公に禁じられたことのない日本が、この問題に対してなぜ同じように振る舞わなければならぬのか。

 やはり付け加えておくべきだろうが、私はこの国にLGBT関連問題が全くない、と言うのではない。この性的指向のために苦しんでいる人はいるだろう。その人たちの自殺率は、彼らからはノンケと呼ばれるいわゆる普通の異性愛指向の人々の倍に及ぶそうで(どこにどのような統計があるのかは知らない)、だからこれは命に関わる問題だ、と言った人もいる。
 そうだとして、ではこの法律が、どのようにこの問題の解決あるいは改善の役に立つのか。
 この問題は、直接(2)にかかわる。少し細かく見ていこう。

 小泉内閣によって提出された前出「人権擁護法案」以後も、平成17年には民主党による「人権救済法案」が出され、平成24年には野田内閣が「人権委員会設置法案」を閣議決定している(いずれも審議未了のため廃案)。ここまでの中心課題は、一貫して人権委員会の設置だった。
 上のうち最後の「人権委員会設置法案」は「人権擁護委員法の一部を改正する法律案」とセットになっている。周知、と言えるかどうかはわからないが、人権擁護委員会は既にある。昭和23年,人権擁護委員令に基づき発足し、翌昭和24年には人権擁護委員法が成立し,全国の市町村に置くことになった。それを「一部改正する」とは、大きく改廃するというわけではなく、委員は「法務大臣が委嘱する」から「人権委員会が委嘱する」としたのが最大の眼目。
 つまり、人権擁護委員会の上に、国家の機関である人権委員会を置く、ということ。その組織の行政機関上の位置づけや構成については、「人権擁護法案」から「人権委員会設置法案」まで変わらず、法務省の外局扱い、委員長と四人の委員から成り、委員のうち三人は非常勤、ただ、「人権委員会設置法案」では「委員長及び委員のうち、男女のいずれか一方の数が二名未満とならないよう努める」(第九条の2)ことになった。男女の構成比を3:2か2:3と決めて、「多様性」に配慮したわけだが、ここにLGBTの人が入ったらどうなるのか、などとつい不謹慎に考えてしまう。
 委員の要件は「人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」(「人権擁護法案」「人権委員会設置法案」ともに第九条)
 ここまでで、差別撤廃制度を推進する側(以下「人権派」と呼ぶ)の不満が出てくる。「人権委員会設置法案」では男女の比率こそ偏らないようにしたものの、相変わらず全部で五人の構成では、社会階層や出身地、人種その他の多様性を繰り込むことが出来ない、というのもあるが、最大なのは、委員長・委員は総理大臣の任命により、委員会は法務省の外局とされるなら、結局は行政の一部であり、行政機関によって行われた差別的な人権侵害行為には手心が加わるのではないか、というものだ。「人権擁護法案」以来ずっと「人権委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う」(第七条)とあるが、それだけでは不満は消えない。人権派は元来反権力・反政府の立場の人が多いので、そうなりがちなのだ。
 そうでない立場はマスコミでは「保守派」などと呼ばれることがあるが、実際は行き過ぎた差別糾弾によって阻害される怖れのある側の人権を配慮しようというのだから、これは適当ではない。ここでは仮に「逆人権派」と呼んでおくが、そこからの反対意見もある。
 既に民主党政権下の平成21年の参議院に、「人権擁護法の成立に反対することに関する請願」が出ている。

 包括的な人権擁護を目的としたいわゆる人権擁護法が成立すると、正当な言動まで差別的言動として規制され、憲法第二一条で保障された表現の自由が侵されるおそれがある。また、特別救済措置の下に申告だけで令状なしに捜査が行われるという人権侵害が起こる危険性がある。

 現行の人権擁護委員は無給のボランティアで、人権侵犯事件の調査や救済を実行するための権限はほとんど与えられていないとされる。やるのはせいぜい報告であって、あとは法務局の人権擁護部か人権擁護課(地方法務局に置かれている)の仕事になる。
 そこで人権擁護法案以下で新設が提唱されている人権委員は、どれだけのことができるようになるのか。実際にはまだないものだし、法文を読んだだけではよくわからないが、だいたいの仕事はこんなふうになるようだ。
 ある人から不当な差別による人権侵害を受けた、という申し出があったら、調査を開始する。犯罪捜査ではないのだから、これはあくまで任意である。とはいえ、警察の任意同行を断れる人はそんなにいないだろうと思うので、実際の威力は計り知れない。
 そして、この調査によってわかった事実に基づき、要請や指導、関係調整を行って、双方合意の元に事案を解決に導くのが理想。それですまなければ、人権侵害を行った側に勧告し、関係行政機関に通告もし、犯罪に当たると思料された場合には被害者に代って告発もできる。
 また、人権侵害者が公務員の場合には、本人のみならず、その者が所属する機関等に対し、被害の救済又は予防に必要な措置をとるべきだと勧告をすることにもなっている。公立学校の教員に生徒や父母に対して差別的なふるまいがあったとされたら、教育委員会に処分を勧告されるわけだ。
 あるとき何気なく口にした一言のために、突然捜査されたり捕まったりということまではなさそうである。もっとも、「人権擁護法案」の第三条「何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない」二のイに「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」というのも入っているから、そんなに軽く見てばかりもいられない。
 最大の問題は、何が「不当な差別的言動」に当たるのか、なんとなく常識ではわかるような気になっているが、ギリギリの線引きは時と場所と人によって変わってくるものである。それを人権委員会が一方的に決定してよいものだろうか。そのうえで、「勧告」ではあったとしても、個人の社会的評価を下げるような処置が公に認められるべきなのだろうか。
 危険性の一部は、前出の請願にあったように、これらの法案が擁護しようとする人権が包括的であって、やたらに範囲が広いために、深刻に扱うべき差別とそうでもないものの区別がつけづらくなるところから来ているだろう。
 何しろ、「人権委員会設置法」第二条で、差別的な取り扱いそのものはもちろんのこと、それを助長・誘発することも禁じられるべき社会的な属性は、「人種、民族、信条、性別、社会的身分(出生により決定される社会的な地位をいう。)、門地、障害(身体障害、知的障害、精神障害その他の心身の機能の障害をいう。)、疾病又は性的指向」までが挙げられていて、これでもまだ足りないという意見もある。それでは、いろんなところに「差別者」のレッテルを貼られかねない地雷が、仕掛けられているような気になってしまいかねない。
 それかあらぬか、平成24年に行われた衆議院議員選挙において、安倍晋三が総裁となった自民党は、「人権委員会設置法案」には反対した上で「個別法によるきめ細かな人権救済を推進」することを公約にしている。この言葉はその後、政府側の機関によって何度か繰り返された。そして、具体的な個別法の最初が、先のリストの末尾にある「性的指向」を対象としたLGBT理解増進法であった、ようにも見える。
 もっとも安倍は、LGBT関連の立法には反対だったようだが……。そして、人権委員会設置のほうは、見事に消え去った。
 してみると、やっぱり、LGBTそのものははなから問題ではなく、本丸は別のところにあったように思えてこないだろうか。
 もっとある。LGBT理解増進法には元来逆人権派や保守派からの反対が根強い。そのうち一番大きな理由は、この指向を「権利」として認めるなら、「体は男だが心は女」を自称する者が、実際は猥褻目的で、女子トイレ・女子更衣室・女風呂、などのいわゆる女性スペースに侵入するのを防ぎづらくなる、即ち結果として、女性の権利が侵される、というもので、実際にそのケースはもう発生した。
 これだと、同種の人権擁護法にも疑惑の目が向けられるようになるので、もはやその方針も消えるかも知れない。そこまで見越して……というのは、我ながら穿ち過ぎだと思うが、何しろ、さまざまな思いが交錯するこのような事態を一挙に解決しようとすると、およそ正反対の結果を招くことになりかねない。もっと慎重な配慮が必要であることは明らかであろう。

 この機会に、あと二つ、自分の主張を言っておきたい。
 第一に、前述のようなことがあっても、差別撤廃を目指す人権派は今後も陰にも陽にも運動をやめないだろう。それ自体は思想信条の自由に属することなので、文句をつける筋合いはないが、ただ、同じ観点からして、次のことは心得ておいていただきたい。
 それは、法や制度は人間の内面に直接立ち入ってはならない、という近代の大原則である。だから、差別感情そのものを外からどうこうしようとしてはならない。
 ある人が他の人に殺意を抱いたからという理由で、殺人予備罪にも問うことはできない。問うためには、実際の計画に着手するなどの行為が必要となる。差別による人権侵害も同じこと。新たな罰則規定は、前述のような属性を理由にして、ある人の意欲・能力・適性などを無視して、その人がある社会的な地位に就くことを妨害した、などのケースに限るべきだ。
 その他、その人を面と向かって罵倒するのは、理由にかかわらず侮辱罪だし、悪い評判を余所に流すのは名誉毀損罪になる。このような既存の法の適正な運用で解決を図るべきところに、新たな法律を作るのは往々にして害のほうが大きくなる。
 第二に、LGBT理解増進法そのものについて、元教師として最も気になるのは、やはり学校教育に関する第六条の2と第十条の3の条文である。「学校は、当該学校の児童等に対し、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する理解を深めるため、(中略)教育又は啓発、教育環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする」(第十条の3)という。
 事実LGBTである教師、についてはどうだかわからないが、生徒については、制服や更衣室について配慮した、という学校の例は最近聴いた。それを基にした差別的な言動への対処まで含めたら、たいへんだろうな、とは同情されるが、原則として公的な機関が配慮すべき事案であろうとは思う。
 しかし、「教育又は啓発」はどうか。これまで触れなかったが、LGBTは現在ではLGBTQとかLGBTQ+などと言われるのが普通で、従来言われている範囲より多様性ははるかに広がっている。さらにはBDSM、ペドフィリア、ネクロフィリアなどまで含めて、教えることができるか、教えるべきか。単に知識の問題ではない、まだ性に関するものを含めてアイデンティティが固まっていない青少年を相手にしての話なのである。
 実際は、「世の中にはいろんな人がいる」ぐらいに止めるしかないだろうし、また、それ以上を期待すべきではない。それが昔からある大人の健全な常識というものであり、現代日本のLGBT問題にはそれを覆さねばならないほどの重要性は見出せないのである。
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書評風に その5(フランツ・カフカ 孤独の三部作)

2023年10月29日 | 文学

The Trial, directed by Orson Welles, 1962

メインテキスト:カフカ/池内紀訳『失踪者』(白水社uブックス平成18年)
        フランツ・カフカ/原田義人訳「審判」
        同「城」

 最近ようやく「失踪者」(元は「アメリカ」と呼ばれていた)を読み、へえ、カフカって人もまともな小説を書こうとしたことがあったのだな、と一瞬思った。
 主人公はカール・ロマンスという十七歳のドイツ人。女性から「可愛いわね」と何度か言われるところからすると、美少年らしい。おかげで、三十代の女中に誘惑されて、孕ませてしまい、両親に家を追い出されて、アメリカへ赴く。カフカ自身はこの新大陸へ行ったことは一度もなく、従ってこの地の描写は読んだり聞いたりしたことから作者がこしらえたものだが、かなりのリアイティを感じさせるのはやはり才能と言うべきだろうか。
 ここで主人公はしょっちゅういさかいばかり起す。招待されて行った銀行家の邸宅では、そこの令嬢と取っ組み合いの喧嘩さえして、しかも負けている(もっとも、勝っていたら、若い女性に暴力を揮ったということで、もっとやっかいなことになっていたろう)。
 そんなこんなで、彼はやっと落ち着いたかな、と思えた場所から必ず追い出される。最後に調理長(女性)の好意で就けたホテルのエレベーター・ボーイの職も逐われる。この部分の筋立ては、濡れ衣を着せられる話で、その経緯はちゃんとわかるように描かれている。
 だから主人公に感情移入しやすいのだが、この作品中の男性たちは、非人間的なまでに厳しく、自分のルールを一方的にカール君に押しつけてきて、しまいには彼を捨ててしまうので、どうも幸福な結末は見えてこない。
 カフカは、チャールズ・ディケンズ「ディビッド・コパフィールド」のような小説が書きたい、と友人のマックス・ブロートに言っていたらしい。これに限らず「オリヴァー・ツイスト」や「大いなる遺産」など、ディケンズの青少年主人公の周りには、悪人も出てくるが、それ以上に親切な人々がいて、主人公を助けるので、彼らは最後には幸せになる。
 どうも都合がよすぎる、いわゆるご都合主義だ、なんて言うのは野暮というもの、それはそういうフィクション(作り事)として楽しむしかない。
 カフカは、読むときはそれでいいとして、自分では書けなかった。才能より、世界観の問題として。だからカール君は、しまいには広大なアメリカ大陸の中で、失踪してしまう、つまり、一定の結末にたどりつく前に消えてしまう。

 さらに言うと、近代の長編小説は、ハッピー・エンドではなくても、首尾一貫した世界を、言葉で構築するものだ。なになにという男/女がいて、かれこれやって、これこれの結末に至る、と。小説だけではなく、一般人でも、自分の体験を人に説明するように求められた時には、嘘をつくつもりはなくても、できごとを取捨選択して、整理して言うので、「事実」とは微妙に違った何かになってしまう。そこまで踏み込むと収拾がつかなくなるので、やめよう。
 とりあえず、バルザックを初めとするリアリズムの大作家たちは、自分から見た世界とは例えばこういうものだ、という雛形を示して見せた。それがどの程度に「事実」に基づくか、作家の頭の中でこしらえたものかは、二次的以下の問題でしかない。ただ、物語全体が、必然性、と感じられるものに貫かれていないと、文字通り話にならない。
 言い換えると、小説とは、普段は現実世界に埋没している一般人に、ある「見通し」を与えるものだと言えるだろう。この場合、作者はいわば神の視点に立つわけで、それ自体が欺瞞と言えば欺瞞だ。なんて言うと前と同じ野暮になる。イヤなら読まなければいいだけの話なんだし。

 でも、自分ではそんな見通しは持てない、と思いつつ、読むだけに止まらず、物語めいたものを書こうとするとどうなるか。
 その一つの実践例が、カフカの三つの長編小説(これを「孤独の三部作」と命名したのは例によってブロート)で、すべて未完になるしかなかった。
 もっとも、「審判」は、最初を書いてからほとんど直ちに、主人公が「犬のようだ」と呟きつつ無残に殺される最後が執筆されたらしい。あとはこの中間を作ればいいわけで、実際かなりの分量が書き残されている。それでも、「あるとき、なぜだかわからないままに告発された」から「やっぱりわからないままに処刑される」までを、必然性を伴って繋いでいく筋を見つけることは、どうしてもできなかったらしい。では、なんのために何を書くというのか?
 カフカを生涯支配した最も強い感情は、この世界は理不尽な支配構造でできている、というところにあったらしい。そこを一部でも可視化する、つまり見通しをつける(例えばジョージ・オーウェル「1984」はそういう小説だ)ことさえできないけれど、この支配は人間を踏みつけにする不当なものだ、という思いは捨てられない。
 そこからして、ジタバタと抗う心理的な必然性はある。特に「城」は、不可解な権力に完全に絡め取られているような状況と、単身で戦い続ける話だ。
 構造がぼんやりとしか見えていない以上、この戦いが有効かどうかもわからない。それでも続けられるのは、カフカは、この世に正当な秩序を与え、善と悪の根拠を、罪と罰の真の照応を、さらには救済をもたらす何か(やっぱりベースはユダヤ教かなあ)はあると信じた、あるいは信じたがっていたからだろう。
 「審判」中の有名な「掟の門」のエピソードにあるように、そこに至る門は、彼のために用意されていて、しかも開かれているのに、なぜかどうしても入ることはできない。しかし、ともかくそれはある。
 あるいは「皇帝の使者」という印象的な短編小説、というより散文詩というべき掌編にあるように、福音(喜ばしい便り)がもたらされる見込みはまずないのに、「夕べが訪れると、君の窓辺に坐り、心のなかでそのたよりを夢想」せずにはいられない「単独者」こそ彼であり、そのような存在に共感が持たれる人のために、かつまた、そこから振り返って見た世界の姿に悪夢のような説得力を感じる人のために、カフカの文学はある、と言えるだろう。

 せっかくだから、未完とはいえ、このような文芸作品が登場した背景について、思うところを書きつけておきます。
 これらの作品の執筆時期は、「失踪者」が1912―14年、「審判」が1914―15年、「城」が1922年。つまり、20世紀の初頭。
 その少し前に、前回述べたロシアのアントン・チェホフが人生に意味を見出せず、苦しんでいる者たちの劇を書いた。それでも彼らは、孤独と徒労感に耐えて生き続けることを選ぶ。「ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだお仕舞いじゃないわ。生きていきましょうよ! (中略)もう少ししたら、なんのために私たちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ」などと言って(「三人姉妹」神西清訳)。
 彼らが静かに生活していけるのは、ぎりぎりのところで、神、としか呼びようのないものを信じているからだ。カフカもそれを完全に捨てているわけではないのは前述した通りだが、「ワーニャ伯父さん」(1900年)や「三人姉妹」(1901年)にあるような、深い諦念を抱えて生きる心境を描くことはできなかった。
 それは、本人の性格の他に、勤労者の身分がけっこう関係しているかも知れない。
 チェホフ劇に出てくるのは、当時のロシア社会の上流か、中の上には属する人々で、働いてはいても、生活のために是非そうしなければならないというほどのことはない。だから、他人に使われている意識は薄く、社会的上位者(上司)からの圧迫は、さほど感じずにすんでいる。
 一方、例えば「城」の主人公・Kは、測量士を職業としている。城に住む領主・伯爵に雇われて、ある村にやってきた、はずなのだが、「城の一部だ」と自称する村人たちには疑われ、証拠を見せても、まともに相手にされない。城には行けず、責任者には会えないし、連絡もつかない。そうなると、彼がここにいいる最低の権利も認められない。それなら、普通、そんな場所からはさっさと離れるか、正式なお達しがくるまで大人しく待ってみるか、だと思うのだが、Kはどちらも選ばなかった。
 彼はあくまで自分の正当性を主張した。対手の村人は、それに正面から反論するのではなく、宥めたりすかしたり、脅したり(「そういう態度はあなたの不利になるばかりですよ」など)するばかり。どうも彼ら自身が、Kの雇用の実態についてはまるで無知だし、城と村の権力関係についても詳細は知らず、ただ昔からの慣習に従っているばかりのようだ。
 いわゆる「お役所仕事」で、このようなことを経験した人は少なくないだろう。これは実は、本当の権力者と直接対峙するより、徒労感が増すから、よりやっかいだと言えるし、すると、こういう曖昧な層を纏うことが、権力構造を守る役にも立っているようでもある。
 これに対してKは、「ああ言えばこう言う」方式を倦まずに繰り返し、葛藤し続ける。そのやりとりは、焦点が定まらず、従って決して噛み合わない。思い返してみると、これまた、我々の日常生活のコミュニケーションには、その類いはたくさんある。だからリアルなのだが、小説という枠組みの中に大幅に取り入れたのは、カフカをもって嚆矢とするのではないかと思う。
 そのようなコミュニケーション不全の関わりを続けるKを、宿屋の女将は「反抗的で子供のよう」だと評する。「いつでも『ちがう、ちがう』といって、自分の頭だけでうけ合い、どんな好意ある忠告さえも聞きのがす」のだ、と。そうだ、Kも、「審判」のヨーゼフ・Kも、「失踪者」のカール少年と同様、あるいはそれ以上に子どもっぽい。
 だからカフカが憧れつつ反抗しているものに敢えて名をつけるとしたら、ユダヤ教の強い家父長制下の「父」であることは、ごく一般的な見方で、異論はない。後の作品の方向性を決めたとされる短編「判決」(1916年発表)は、父に完全に否定されたために、自殺する青年の話だ。「失踪者」や「審判」に実際に登場して主人公を叱ったり否定したりするのは、父ではなく伯父だが、これは家庭の構造を一般社会にまで広げて見るための工夫と言ってよい。
 とはいえ、「変身」(角川文庫)の最新の訳者である川島隆によると、フランツ・カフカの父は行商人から身を起こして、アクセサリーショップのオーナーとして成功した苦労人だが、特に高圧的ではなく、当時の水準ではむしろリベラルと呼んでもいいくらいだった。子どもへの体罰用の鞭が家庭に備えてあるのも珍しくなかったこの時代で、フランツを殴ったこともたぶん一度もなかった。
 ただ、一度、夜中に起きて水が飲みたいと言ったフランツを怒って、一晩中ベランダに置いていたことは、「父への手紙」(実際の手紙だが、母や妹の反対で父のもとにはもたらされなかった)に恨みがましく書かれている。
 そんなことか、と思えるだろう。しかし、多くの場合、親を筆頭とする大人の要求は子どもにとって非常に理不尽なものであり、子どもには、そんなことにも従わねばならない屈辱感を残す。出来事自体は成長するにつれて忘れてしまうから、それは「そんなこと」になる。大人になっても、よほど幸運な人でない限り、職場や家族、近所づきあいで何度か同じような目に合うが、それもやり過ごして、忘れてしまう。やはり、ぼんやりした屈辱感だけを残して。子どもの時の体験は、それに耐える訓練にはなるだろうか。
 そして、やがて自分が父になったときには、「これが普通だ」と思って、同じように子どもを躾ける。それが本当に正当かどうかはわからない。いちいちそんなことを考えていたのでは生きる障りになるばかりだし。
 カフカ自身は、三度婚約しながら、よくわからない理由で破談にしている。思うに、自らが圧政的な家長になるのが、とりわけ、そうなるしかないと感じることが、本当に恐ろしかったのだろう。
 「掟の門」の説話を語る教誨師の僧は、また次のようにも言う。「すべてを真実だなどと考えてはいけない、ただそれを必然だと考えなくてはならないのだ」。主人公のヨーゼフ・Kは応える。「憂鬱な意見ですね。虚偽が世界秩序にされているわけだ」。

 フェミニズムの観点からすれば、これこそ「男性原理(あるいは父性原理)による社会構造だ」ということになりそうだ。そうも言えるかも。この用語の意味するものを非常に広くとればだが。
 なぜなら、カフカの世界では、女性は、一般に男性よりは好意的に描かれているようだが、最終的な救いをもたらすものではないからだ。「審判」のエルザも、「城」のフリーザも、主人公に一時の慰安を与えながら、いつのまにか消えてしまう。
 「君はあまり他人の援助を求めすぎる」とも、先の僧は言っている。「そして特に女にだ。いったい、そんなのはあてにならぬ援助だということがわからないのかね?」。これに対しては、二、三人の女を自由に使えたら、うまくやることもできる、とKは返すのだが、これは「ああ言えばこう言う」の一例で、実際にそんなことができる男など、めったにいるものではない。
 そして、女性、というか「女性的なもの」は、支配構造を作り出すものとは別種であるように見えても、現実世界にある以上、やはり構造の一部であるしかない。好例は「変身」中の母と妹で、最初は虫になった主人公の世話をするが、結局は彼を排除する側にまわる。そして、彼を埋葬することで、父と彼女たちの一家は幸せになる。

 支配と排除がなければ、人間世界は保たれないのだろうか。ここにこそ、人間の不完全性が最も端的に現れている。いかにも、憂鬱な見解だ。しかし、この根本的な人間の条件を一遍に変えようと夢想し、実行に移したら、革命党派によるものでも宗教団体によるものでも、いつもさらなる悲惨しかもたらさなかった。

 文芸の世界では、1954年にサミュエル・ベケットが、どことも知れない場所で何者ともしれぬ者をただ待ち続ける劇を書いた。ベケットはこれを喜劇だと考えていたらしい。【ただし、バスター・キートンとチャールズ・チャップリンに演じさせたいと言っていたという話の真偽は不明。】
 そしてチェホフも、「かもめ」(1896)と「桜の園」(1904)は、はっきり喜劇と銘打たれているし、この間に挟まる前出二作も、喜劇的色彩はある。状況に適応しないドタバタを演じる古典的な道化劇で、それを見出すには、かなり引いた視点が必要になる。これも神の視点と言ってもいいかも知れないが、なんらかの意味や見通しを与えるものではなく、逆に、こちらをじっと見つめるだけの視点。
 そこに浮かぶ人間の姿は、滑稽で悲惨だが、同時に、非常に愛おしい。それだけで、希望は何も見出せないとしても、人間として生きることを放棄するのはまちがっていると思えてくる。現代文学のもたらす、不思議な効用であろう。

【オーソン・ウェルズ監督「審判」は、類稀な場面構成に、膨大なエキストラ、さらにはジャンヌ・モロー、ロミー・シュナイダー、エルサ・マルティネッリなどの名だたる美人女優を贅沢に使っていて、ずいぶん金をかけてウェルズのこだわりを全開させた映画です。個人的には、アンソニー・パーキンスの演じるヨーゼフ・Kは、むしろ軽い演技で、カフカ作品の、状況と行為のズレからくる喜劇性を際立たせているところが一番印象的でした。】
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別役実論ノート その5(中仕切り・小市民の劇)

2023年09月30日 | 

「紙風船」 UPSつつじヶ丘アトリエ公演 平成19年

メインテキスト:川口一郎「二十六番館」(昭和7年。『川口一郎戯曲全集』白水社昭和47年より引用)
岸田國士「紙風船」(大正14年)

 本年9月16日に、日本演出家協会関西ブロック主催「日本の戯曲研修セミナーin大阪202」に招かれて、川口一郎「二十六番館」について話をする機会がありました。
 この戯曲は今では知る人も少なくなりましたが、戦前の日本戯曲の中で一番西洋演劇に近づいた作品だと思います。と、言うより、当セミナー中のディスカッションと俳優さん達のリーディング(朗読劇、最小の所作は含まれる)、それに三人の若手演出家による演出プランの発表、を通じて、そう確信するに至ったと言うべきでしょう。お招きいただきました演出家の山口浩章氏には、この場を借りて心からお礼申し上げます。
 それともう一つ、研究者の端くれとして招かれて、一応レクチャーをすることになったので、考えてみて、ある問題に改めて直面する思いをしました。それは日本の近代劇の問題ですが、大きく言えば日本の近代の特質そのものに結びついているでしょう。
 となると広大すぎる主題で、私は当日までまとめきることはできず、舌足らずで終わってしまいました。少し心残りなので、もう一度愚考を進めてみようと思います。日本で西洋風の劇を創る困難、を通じて日本の精神的な近代化の困難、その一側面を瞥見しようとする試みとして。

 それでも一応、戯曲「二十六番館」のあらましを紹介しておく。
 舞台は1927年のニューヨーク。ただし登場人物八人は全員日本人。二十六番館とは日系移民が住みついている安アパート(家主はユダヤ人)で、あと一ヶ月で取り壊される予定になっている。ここに住む、商売でけっこう成功した山下夫妻は、息子の良一の嫁にと、妻の姪の春子を日本から呼び寄せる。しかし渡米してきた春子は、長尾安二郎という現地の大学で勉強中の青年と懇ろになり、妊娠する。このため安二郎は、プロフェッサーになる夢を断念し、春子と結婚するが、この子は生後間もなく亡くなる。希望を失った安二郎は、自暴自棄な言動が目立つようになり、仕事も辞める。この夫婦も二十六番館に住んでいるので、春子は、新たな住居も探さなくてはならないという実際上の悩みと、安二郎がこうなったのは自分のせいだと思う自責の念の、双方から苦しめられている。
 以上はいわゆる設定で、幕が上がる前にこれだけのことはすんでいる。

 これだけでもある程度察することができると思うが、これはdisillusion(幻滅、幻想破壊)を中核とした劇なのだ。ギリシャ悲劇以来最もポピュラーなドラマツールギー(作劇術)の一つで、「かくあるべき自分」と「現にかくある自分」の落差でドラマが展開する。
 例えばソフォクレス「オイディプス王」は、スフィンクスの呪いから都市国家テーバイを救った英雄王だと思われ、自分でもそう思っていた者が、実は父を殺して母を娶るという人間として最もやってはいけないことをやった人間だった。眼も眩むような激しい転落。
 ただこれは、「運命の転変」ではない。厄災が外からやってくるわけではないからだ。主人公オイディプスは、幕が上がる前に、決定的な行為はすべて成し終えている。劇中で起きるのは、彼自身がそれを認識することだ。
 アリストテレス「詩学」にあるように、アナグノリシス(認知)によってペリペティア(急展開)に至り、我々は主人公を通じて、「〈私〉とは何か」→「人間とは何か」という問いが立ち上がる場面に直面する。これこそ最も劇的な瞬間だ、と観じる感性が西欧では主流、とまで言えるかどうか、太い流れにはなっていて、そこで今我々も劇(ドラマ)とは例えばこういうものだと、漠然と考えている。
 そこで、近代劇でもこのパターンはしばしば使われている。ヘンリック・イプセン「人形の家」(1879)のヒロインは、三人の子がいる主婦だが、自分と夫は理想的な夫婦だと信じている。正確には、不安を抱えつつ、信じようとしている。それが幻想だと分かった瞬間に彼女は家を出る。規模は全然違うとは言え、すべてが明らかになった末に放浪の旅に出るオイディプスと同じ道を辿るのだ。
 ただ、こういうふうに、舞台上でアナグノリシス→ペリペティアが露骨に起きる劇は少ない。そんなことは現実にはめったにないからだ。だから劇になる、とも考えられるが、他方、「作り物(フィクション)」感はなるべく少ない方がいいという近代リアリズムからの要請もある。
 そこで、例えば、アントン・チェホフの主人公達は、劇の開始時点でもう幻想から醒めかかっている。ただし、諦めきれないので、「人生とはもっと美しい、意義深いものだったはずだ」などと嘆いている。
 それでどうなるのか? どうにもなりはしない。最初の頃の作品でこそ、主人公は自決したりして、自己の幻想に言わば復讐を遂げるのだが、「ワーニャ伯父さん」(1897)と「三人姉妹」(1900)では、彼ら/彼女らの境遇は劇が始まったときと終わるときで変わらず、皆幻滅の人生を歩み続ける。自分たちと悩みや苦しみにはどんな意味があるのか、神はご存じであって、そうであれば私たちにもやがて、多分死後に、分かるだろう、と言って。
 一方、「二十六番館」の安二郎は次のように嘆く。

若々しい情熱も冷めちゃった。(微笑して)春ちゃん、お前じゃないが、お伽噺の世界だったね。[中略]僕は僕らしく生きる必要があるんだ。[中略]僕等はね、この大きな機械の、有ったって無くったって、全部の運転にゃあ、一向差し支えのない一部分なんだ。その癖僕等は、次第に、擦り減ってゆくんだ。

 これはいかにもチェホフ的な科白であり、その影響は顕著である。ただチェホフ劇は田舎が舞台で、主人公たちは直接にはそこの味気ない単調さに苦しめられている。近代的な巨大都市の、絶えず動き続ける文明=経済機構(≒機械)の中で、自分たちは、いくらでも取り替えのきく部品でしかないと感じる者の悲哀は、今でこそありふれているようだが、「二十六番館」発表の時代ではかなり新しかったろう。
 その違いはあっても、両者の劇の開始時点で、主人公達は幻想をほとんど失っていて、それを自覚もしていることは共通する。劇中で起きるのは、言わば最後のダメ押しのようなものである。
 「それだって意味があるはずでは?」「意味ねえ……。いま雪が降っている。なんの意味があります?」(「三人姉妹」)。人生に究極的な意味などない。あっても、人間には見つからない。この苦い認識を抱えて生きていかなくてはならないのは、根本的な人間の条件だと思うが、具体的な現れ方は各々違う。
 「二十六番館」の安二郎は、妻に未来の希望を語るのだが、一方で、本当はそれを信じておらず、手っ取り早く自分の人生に決着をつけようとしているように見えるところもある。それがはっきりせず、どっちつかずなのは、弱点と言えるかも知れない。最後の彼の死は、事故死なのか自殺なのか? 後者だとすれば、彼はチェホフ劇では「かもめ」のコスチャに似ている(後者の自殺も、私には唐突感が残る)。
 好意的に見れば、これには作者は解答を出さず、上演に際して演出家や演者が自分で考え出す余地を敢えて残したのかも知れない。
 ここではこれ以上この問題に深入りすることはやめて、なぜこのような幻滅の劇が日本ではあまり見かけないのか、それは日本の近代の特徴と関連しているのではないか、という見通しを辿りたい

 ざっくり言って、日本人には「私とは何か」「人生の究極的な意味は」などとしつこく問いかける思想的な、心(精神)の習慣は、なくはなくても、乏しい。
 それはいいことでもある。だいたい、こういうのは呪われた問いであって、いつでもどこでも誰でも納得できる一定の答えなどあり得ないのはもちろん、厳しく、妥協なく問い詰めようとしたら、そのこと自体で人間は不幸になるしかない。だからこの劇形式は日本語では悲劇と呼ばれる。いや、不幸になってもなお、「意味」や「真理」を求める試み自体に人間の偉大さがある、というのが西洋の思想的感性。そんなことは神様仏様にお任せして、微力な人間は、目の前の生活に一所懸命取り組もうというのが日本的な良識、と一応言えると思う。
 しかし、明治以降、日本は開国して、西洋世界と付き合わねばならなくなった、というより、向こうの文明を目の当たりにしたら、戦争で勝てるはずがないことはいやでもわかってしまったから、その点では西洋化するしかなかった。それは西洋文明の地球全体に渡る進展に巻き込まれた、ということを意味する。
 そこで日本は、驚くべき能力を発揮して、アジアの中で随一の進歩を成し遂げた。もちろん、表面的には。あまり人間の内面の、精神などには拘らないで、目に見えるものに懸命になる日本的現実主義がこの場合功を奏した可能性が高い。
 とは言え、表面の底にはそれを支える深層がある。機械ならともかく、資本主義経済や議会制民主主義のような制度は、人間が直接運営するので、精神の部分は関係ない、というわけにはいかない。日本人はそれも学んだ。実用とは離れた思想問題でも、例えば朝永三十郎『近世における「我」の自覚史』(1916)というような研究書も出ている。
 だから、「(男女を問わず)個人の人格」の大切さも、理屈としては、わからないことはない。しかしそれを、たとえ外国語が出来るインテリの家庭であっても、実際の生活の中に浸透させるとなると、そう簡単にはいかない。そして劇は、特にリアリズムの演劇は、日常の振る舞いに基礎を置いて創られるものだ。
 日本の普通の主婦が、夫に向かって、「あなたは私をペットのように可愛がるだけで、一人の人間として見てくれなかった」などと実際に言ったとすれば? 少なくとも戦前なら、何かのパロディにしか見えなかったのではないだろうか。「板につかない」絵空事に過ぎない、と。絵空事には絵空事の需要があるが、そんなに高いわけはない。供給側でも、翻訳劇をやればよしとして、戯曲の段階から新たに創っていこうなどとは滅多に思わないのが当然なのである。
 因みに「人形の家」の文芸協会による初演は明治44(1911)年、同年にはたまたま平塚らいてう主幹の『青鞜』も発刊されていて、最初期のフェミニズム(女性参政権運動)が開花した年でもある。そのためかどうか、「人形の家」は女性解放を訴える劇とされ、今日までそのレッテルが貼り付けられている。一人の女性の、家庭での悲劇と見られることはほとんどない。また因みに、この時期、女権に目覚めた、今で言う「意識高い系」の女性をからかう劇も、いくつか出ている。
 こういう点で、演劇は、社会の真の姿を映し出す鏡になり得る。などと言うと、抽象的な話の常として、どんな根拠や感覚に基づいてどんなことを言おうと、曖昧なところは残るし、逆に、どんなに曖昧でも、それなり(かな?)のことは言えそうにも思える。それは承知の上で、演劇に即して、別の視点を取り上げてみよう。

 近代日本の産み出した階層と言えば、なんと言っても給与生活者、即ちサラリーマンである。
 江戸時代には農民が全人口の八割以上を占めていた。それが、厚生労働省の資料によると、大正期の1920年代で、第一次産業は産業別就業人口の六割を割り、第二次産業で20%、第三次産業がそれより少し多くて、合わせると五割近くを占めている。第二次産業の代表は工場労働者、第三次は広い意味のサービス業で、ものを売る仕事、の違いはあっても、会社勤めの点では共通している。そして大企業の多くが東京・大阪などの大都市にあるので、地方からの流入者も急速に増えた。
 これには農村から見ても有利な点があった。戦前の日本は基本的に長子相続で、土地を含めた全財産を長男が相続する。すると次男、三男は、他家に養子に出るか、さもなければ生活の基盤からして新たに築かねばならない。そこで、経済的に余裕のある家庭はそういう子を旧制中学校まで進学させ、いわゆるホワイトカラーの事務や営業職に就ける。そうでなければブルーカラーの労働者、当時の言葉では職工となる。これがさらに亢進して、農村の過疎化を招くのは戦後のこと。
 さて、このようにして急速に、多数発生したサラリーマンたちこそ、日本の近代化を根底で支えた存在であることにまちがいはない。しかし特に、前者のホワイトカラーを描いた文芸作品は、この時代、ほとんど見当たらない。私が知らないだけの場合には、ご存じの方のご教導をお願いしたい。
 後者の、工場労働者なら、小林多喜二や德永直のプロレタリア文学に登場するが、それはもちろん社会主義リアリズムの実践例としてである。後にプチブル(←プチ・ブルジョワジー。多少の知識と事務能力で資本家に仕え、革命を阻害する愚か者たち、ぐらいのニュアンス)と呼ばれて蔑まれた階層は、洟もひっかけられない感じなのだ。

 超例外としてある岸田國士の初期の戯曲を見ると、その理由がなんとなくわかる。四作目の「紙風船」は、当時としては郊外の(現在の京王線沿線あたりだろう)、たぶん貸家に住む結婚一年後の若夫婦を描いている。
 倦怠期にしては少し早すぎるようだが、たまの日曜日、彼らにはやることがない。「散歩か」「散歩でもなんでも……」。彼らは、生活にも、お互いにも、これと言って具体的な不満はない。なんとも言いようがない落ち着かない感じがあるだけ。

お前が、さうして、おれのそばで、黙つて編物をしてゐる。お前は一体、それで満足なのか。そんな筈はない。おれの留守中に、お前は、どこか部屋の隅つこで、たつた一人、ぼんやり考へ込んでゐるやうなことがあるだらう。おれは外にゐて、お前のその淋しさうな姿を、いくども頭に描いて見る。百円足らずの金を、毎月、如何にして盛大に使ふか、さういふことにしか興味のないおれたちの生活が、つくづくいやになりやしないか。今更そんなことを云つてもしかたがないと諦めてゐるかも知れない。しかし、お前は決して理想のない女ぢやないからね。おれは、今のお前がどんなことを考へてゐるか、それが知りたいんだ。かういふ生活を続けて行くうちに、おれたちはどうなるかつていふことだらう。違ふか。それとも、お前が、娘時代に描いてゐた夢を、もう一度繰り返して見てゐるのか。

 これはいくぶんかチェホフ風の科白だが、もっとずっと漠然としている。それは岸田劇の主人公たちの階層が一段低いことに関係する。チェホフ劇の主人公達は、皆けっこう金持ちで、働かなくても食っていけるブルジョワだった。対して、こちらはプチブル。何より、学歴と会社での地位以外には資産がない。
 彼らは、田舎の土地と、現在でも消えたわけではない煩わしい地縁血縁から逃れ、自由を手にしている。どこへ行ってもいいし、いなくてもかまわない。よく考えると、人間は元来は、皆そうなのかも知れないが、故郷で、どこそこの家の誰それという、何世代かにわたってその場に住みついた一族の一部となると、その存在の、共同幻想中の重みは、格段に違う。そのしがらみの重しから外に出たからこそ、自由な個人となった。
 しかし、この個人のなんという頼りなさ。自立しようにも、どこに軸足を置けばいいのだろう? 教養か?
 女性について言えば、勤め人として、学歴が高くなった男の伴侶となるべく、女学校進学者の数も増えた。そこで学んだ「理想」や「夢」とはなんだろうか? 百円ぐらいの金(ざっと現在の六、七万円に当たるだろうか。生活費を差し引いた若いサラリーマン家庭の、いわゆる可処分所得は今でもそんなものだろう)でどうなるものではないことは明らかだが、では?
 社会的にはもう一つ、ここで、専業主婦が大量に発生したことは注目される。農家を初めとする第一次産業の家庭では、嫁さんも、手伝いという形であれ、労働に携わるのが当り前だった。これは商家でもそうだろう。家事労働しかしない主婦は、人口の5,6パーセントを占める武家階級にしかいなかった。
 それで、サラリーマンは江戸時代の武士の末裔である、という人もいる。その最大のエートス(実生活上の倫理)は、かつては主家(藩)に対する忠節だったものが、その対象が会社に変わったのだ、と。これはある程度当たっているかも知れないが、するとここにも個人が生きる余地はないことになる。
 「紙風船」の家庭は夫婦二人きりで、戦後の「核家族」に似ている。専業主婦は家を守るのだ、と言っても、目下その家には舅姑も、子どももおらず、第一大半が、貸家の仮住まいなのだ。
 そういう家には、ひいては、そこで暮らしている自分たちには、なんの意味があるのだろう。夫婦二人で一日中顔を合わせていると、ふと、そのような呪われた問いが立ち上がることがある。「あたし、日曜がおそろしいの」「おれもおそろしい」。ここに、意識と現実の乖離から来る、幻滅は認められる。しかし、一見してあまりに些細なので、これを文芸で、特に劇で表現しようとする試みは滅多にない、ということである。

 「二十六番館」の価値を最初に認め、演出まで務めたのが、この岸田國士だった。

舞台は紐育だが、人物は悉くわが移民の群である。そこには、「根こそぎにされたもの」の姿が、特殊な雰囲気のうちにそれぞれ面白く描き出され、諧調に富む心理的リズムが、この無装飾に近い「ビルディングの物語」を、切々たる「生活の詩」ともいふべきものにしてゐる。(「川口一郎君の『二十六番館』」昭和7年)

 アメリカへの移民となると、日本の共同体から完全に離れた「根こそぎにされたもの」(デラシネLes déracinés。元来はフランスの右翼作家モーリス・バレスの言葉で、もちろん悪い意味)であって、その自由な気楽さは譬えようもない。
 「こんな暮らしいいところはないじゃないか。〈中略〉毛唐のうちへ奉公すりゃあ、こづかいぐらいはすぐ出来る。あきたらやめる。困ったら、また働くさ」。これを言う登場人物は寡婦である。男はなかなかこの心境には留まれない。地縁血縁はほぼ全く関係ないが、この地にはまた別のエートスがある。いわゆるアメリカン・ドリーム、社会的な成功がすべて、という。
 この戯曲には四人の男が登場する。一人は、一応成功して小金を貯めたが、いまだにアメリカ風に馴染めず、日本へ帰りたがっている。その息子はかなり軽い性格だが、その分迷いなく金儲けに邁進しようとする。もう一人は、生業につかぬ一種の無頼漢で、「おれの生活には何かしら、不足なものがある」と不安を抱いている。
 最後の一人が前述の安二郎で、夢破れた後の自分をどう扱ったらいいかわからない様子でいる。妻の春子は新たに妊娠したことを彼には言えずにいたが、安二郎もそれを知っていて、親子三人の家族で「根気よく始めるか」と言う。
 しかし一方、彼が「普通の生活」を恐れていたことは、春子の科白でわかる。「その落ち着いた生活って言うのを、安二郎さんはひどく気にするの。[中略]結婚生活の破綻というのも、そんなところから起こってくるんですって」。これに前述の「僕は僕らしく生きる必要があるんだ」という当人の科白。彼にとって、家族と根気よく暮らしていくなど、およそ身の丈に合わず、一旦は春子のために妥協しようかとも考えたが、最後にはそれは無意味だ、という思いを克服できなかったのかも知れない。

 このようなプチブル、は差別語なので、小市民と言ったほうがいいだろうが、その悲劇を描いた作品として「二十六番館」は先駆的な作品と言えるのではないだろうか。アーサー・ミラー「セールスマンの死」は、第二次世界大戦後の1949年の作だ。
 そう言えば、大学を辞めた後の安二郎は、重いサンプル・ケースを抱えてあちこち歩く仕事をしていたというのだから、セールスマンだったのだろう。「人生に固い地盤はなく〈中略〉靴をぴかぴかに磨き、にこにこ笑いながら、はるか向こうの青空に、ふわふわ浮いている人間」だからこそ、「夢に生きる」者。最後に奇妙な、曖昧な死を遂げるところまで、ウィリー・ローマンと安二郎は共通する。

 さて、以上を踏まえて、またもう少し時間をかけて、近代日本で最も意識的な劇作家・別役実の小市民劇について考えてみたいと思います。
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