由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

先生と呼ばれるほどのバカが減っている件

2023年09月02日 | 教育

あもとっと制作 【漫才解説】ずんだもんと学ぶ「ブラック企業」

 公立学校では教員不足だそうだ。なんでも、不足数は全国の小中高全部で2500人ほどに及ぶのだと言う。危機的な状況だ、と教育行政関係者は言っていて、さる8月28日に、中央教育審議会初等中等教育分科会質の高い教師の確保特別部会が、学校における働き方改革に係る緊急提言を出している。その冒頭にはこうある。

 「教育は人なり」と言われるように、学校教育の成否は教師にかかっている。
 教師は、子供たちの人生に大きな影響を与え、子供たちの成長を直接感じることができる素晴らしい職業であり、教師や友人との学校生活は、卒業後も子供たちの心の中に残り続けるものである。そして、これまで、我が国の学校教育が世界に誇るべき成果を上げることができたのは、高い専門性と使命感を有する教師の献身的な取組によるものであることは言うまでもない。
 他方で、子供たちが抱える困難が多様化・複雑化するとともに、保護者や地域の学校や教師に対する期待が高まっていることなどから、結果として業務が積み上がり、教師を取り巻く環境は、我が国の未来を左右しかねない危機的状況にあると言っても過言ではない。

 「我が国の学校教育が世界に誇るべき成果を上げることができた」とは、「言うまでもない」ことであるせいか、あまり聞かないようだが、あとは結局いつもの伝だな、としか思えない。公教育を語ろうとすると、半ば必然的にそうなってしまう見えない仕組みがあるのだ。それが「危機的状況」の改善を困難にしている。今回はそれをできるだけ明らかにしてみたい。

 まず、「素晴らしい職業」「使命感」など、精神論に属する言葉を、雇用者側が使うのは控えるべきだ。それはすぐに、「献身的な取組」というような同じく精神論的な言葉を呼び込み、献身的」であるのが当然だ、なる通念を生む。ここまで言えば勘のいい人にはわかってもらえたと思うが、献身的なのが当たり前の仕事を軽減しようとしたら、どうしても矛盾が出てきてしまう。
 もっとも、「夢」だの「やりがい」だのと上から言われるのはブラック企業の特徴だと、一般に認識されるようになったのは、わりあいと最近のことである。労働者がどんな夢を持とうと、やりがいを感じようと、それに対価が支払われるわけではない。給与はあくまで、労働に対して支払われるものであるのに。
 特に教育の世界は昔から精神論が重んじられている。何しろ、「卒業後も子供たちの心の中に残り続ける」ことこそ何よりの報酬だ、そのための骨身を惜しむのはまちがっている、なんぞというお説教が平気で罷り通る世界なのだ。それに、労働の対価、と言っても、仕事の「質」の部分はなかなか掴みづらい、という難点もある。どういう人がよい教師と言えるか、必ずしもはっきりしないので、業績評価は容易ではないのだ。これらが複合的に絡み合って、教師の仕事はブラック化しやすくなっている。

 具体的に述べる前に、客観性を担保するために、公共の調査による数値をやや詳しく見ておこう。まず、『「教師不足」に関する実態調査』(令和4年1月)のうち「教師不足の要因 (1)見込み数以上の必要教師数の増加」。調査時期からすると、2年近く前の数値になるが、今もそれほど変わらないだろう。
 文科省が各都道府県+指定都市などの教育委員会合計68に、認識している教員不足の原因を尋ねたアンケートで、多数が「よくあてはまる」と回答したトップ3とその回答数は、① 産休・育休取得者数が見込みより増加24、② 特別支援学級数が見込みより増加17、③ 病休者数が見込みより増加16。
 ④ 採用辞退者数の増加(以下略)は5だから、③までが日本全国の主要な問題と言ってよい。因みに、これに「かなりあてはまる」の回答を加えると、①53②47③49で、7割以上の教委がこの問題を抱えていることがわかる。
 このうち①は、令和になる少し前から急増した、男性教職員の育休取得による。公務員は子どもの誕生後3年間取得可能で、最初の1年は給与の半分の手当が出る。地方によって温度差はあるが、男女共同参画社会推進とやらで、わざわざ推進した結果がこうなったのだから、困るといったところで、それまでにちゃんと対策を考えておかなかったのが悪いんじゃないか、と言われて終わりである。
 ②は、精神医学の発達、というより浸透の結果、PDD(広汎性発達障害)とかADHD(多動性障害)とかいう診断名がつく子どもが非常に増えた。そのため、多くの小中学校に、発達障害とされた子どものための支援学級が増えたのだった。特別な時間割で、だいたい一クラス十人以下の生徒数で作られる。学年は混成で編成されるのが普通だが、それでも学校全体ではクラス数が増えるのだから、そのための教員が必要になる。
 この功罪はある。昔なら、ちょっと変わった子とか、落ち着きのない子、と言われるだけだった子どもが、特別視される。しかし、普通クラスで不登校に陥りそうになった子が、こちらでは登校できた例もある。きめ細かい対応、と言ってもいいのだが、そのための教員数が補充されないのであれば、その学校に元からいる教員が分担して負担するしかない。現状そうなっている学校も多い。
 ③は「かなりあてはまる」まで含めれば堂々の(?)第二位になっている。病気の内訳はよくわからないが、昨年度は精神疾患で休職した公立学校の教員数が、過去最多の5897人(全体の0.64%)に及んだというニュースがある。ただし、厚生労働省の「令和4年労働安全衛生調査(実態調査)」の調査結果によると、メンタルヘルス問題が原因で「連続1か月以上休業した労働者」は0.6%、「退職した労働者」は0.2%だから、調査方法の違いその他があって単純な比較はできないものの、ざっと見て教職員のメンタルヘルス問題による休職者が他業種に比べて飛び抜けて高い、とは言えないようだ。
 もちろん、だからいい、というものではない。身体の不調で休職した教職員が以前より増えた、という話は全くないのだから、これも教員不足の主因の一つだと言うなら、学校の精神衛生状態(それが他の仕事場の問題と連動していてもいなくても)がどうなっているのか、考えるしかない。

 ところで、文科省の調査には、続きとして「教師不足の要因(2)臨時的任用教員のなり手不足」があった。実はこれが問題を深刻化している。育児休暇や病欠は、いつかは復帰するのが前提だから、そのために正式な教諭を採用するわけにはいかない。いわばつなぎとして、一年契約の講師が使われる。その講師は、教員免許を持っていることは最低条件で、たいていは教員採用試験に合格しなかった若者や、教員を定年退職した年配者がなり、原則として講師登録名簿登録者が選ばれる。その登録者自体が最近減っている、というのである。それで講師が見つからなかった場合には、その負担は正規職員が負うしかない。
 教師という職業の魅力が一般に乏しくなっていると考えるべきであろう。講師の希望者数のみならず、教員採用試験の志望者も減っているのだから。令和5年度の公立学校の受験者数は40,636人で、前年度に比較して2,812人減少。倍率は全国平均で3.7倍、これも前年度の3.8倍より減少している(東京学芸大学総合教育政策局教育人材政策課『教員採用倍率の低下と「教師不足」等について』)。そして、合格者の中から、前述「教師不足の要因 (1)」中の④採用辞退者、つまり試験にはパスしたが、教壇には立たない人が引かれる。
 これに対処する「働き方改革」の一環として、学校の業務軽減も図られた。その成果は文科省の『教員勤務実態調査(令和4年度)【速報値】』にまとめられている。管理職ではない教諭の、週当たりの在校等時間(出張なども含めた勤務時間)を前回調査の平成28年度と比較すると、小学校で57時間29分→52時間47分、中学校で63時間20分→57時間24分と、確かに減ってはいる。それでも、一般の法定労働時間1日8時間、週40時間を基にしても、小学校教諭で12時間半近く、中学校教諭は17時間半近く超過勤務をしていることになる。過労死の認定基準とされる月80時間、週20時間の超過労働時間はかろうじて下回っているようだが、この数値は平均だから、このラインを軽く超えている教員も1,2割はいることだろう。

 繰り返すが、教師の仕事を減らすのは難しい。献身的であるのが当たり前の立場であって、しかも、教師自身がそれを疑問視するのはタブーになっている、と言っても過言ではないのだから。
 例えば歌人にして仙台市の高校教師だった佐藤通雅氏は、小浜逸郎氏との昭和60年の対談(『別冊宝島47』)で、「教師自ら自分たちのやっていることは無力なんだと言うことはタブーだった。それがタブーでなくなったのはつい最近なんですね」と言っている。
 そうなのだが、微調整を加える必要はあるだろう。例えば授業内容を一教室のすべての生徒に完全に理解させるということ。それは不可能である。ただし、教師によっても、授業のやり方によっても、生徒の理解度に相当の差が出ることは否定できない。その意味で、教師の仕事は無力とは言えないし、よい授業ができるように工夫することは義務だと言って差しつかえない。しかしそもそも、まず生徒全員に授業内容に興味を持たせようとすることからして容易ではない。教師ではなくても、自分の学生時代、いつも教師の説明や教室内の学習活動にちゃんと集中できていたか、虚心に振り返ればわかるはずだ。
 もっとも、生徒全員にテストで100点を取らせることができる、と言う小学校教師もいたが、それは、嘘をついているのでなければ、一番理解の遅い子に合わせた問題を出す、ということであって、平均以上の学力の子には無駄な時間を強いていることになる。しかも、いつまでもゴマかせるものではない。もし全員が本当に同じ学力を身につけたなら、そのクラスの生徒が同じ私立中学を受験したら全員合格しなければならないはずだが、そんなことはないのだから。
 だから、こんな無意味なことをやったり言ったりする教師が減ったことを「タブーではなくなった」と佐藤氏は言ったのだろう。けれど、「教師自ら…言うこと」は現在でもタブーではないか。「どんなに一所懸命授業をしても、どうしても理解できない生徒は出てきてしまう。これは仕方ないことです」と、教師が言ったとしたら、あなたはすんなり「そりゃ当たり前だ」と認めますか?
 私が直接知る限り、そういう大人はいなかった。現実は誰でも知っている。それでも、ではなくて、だからこそ、教師が「それでいい」なんて認めるのは問題だ。できなくても、どこまでも理想(か?)を求めて努力すべきなんだ、できないのは、生徒の側に原因があるのではなく、自分の力量不足のせいだ、とひたすら反省すべきなんだ、という意味の言葉を、何度聞いたろうか。
 昔はそれでも特に問題がなかったのは、世間一般に、理想、ではなくタテマエはそれとして、実態は別にあり、タテマエ通りにはできないからって、個人としての教師を責めるなんて酷だ、という健全な大人の常識が今よりはまだしも働いたからだ。それが少なくなったのは、公平に言って、世間一般より、学校内部、及び教育行政やそこに採用されている教育学からの声が大きかったせいだと言わざるを得ない。
 特に後者は、これまで何回も言ってきたように、教育現場の実際の改善より、教育の「理想像」を守ることを至上命題にしている。だから教師が「~はできません」と言うのを決して認めず、言うこと自体が怠慢でしかない、とする。教師の中にも、同僚にマウントをとりたくて、「それはお前の指導力不足だ」などと直接間接に圧力をかける者が出てくる。
 最後にモンスター・ペアレンツが、タテマエを全面的な盾にとって、その通りにはできない教師を責める。「保護者や地域の学校や教師に対する期待が高まっ」た、とは、具体的にはそういうことだ。そして、高圧的教師とモンペが、自分たちを棚に上げる技術だけは、まことにすばらしいものだ。
 かくて、一番割を食うのは、小心で真面目な教師である。彼らは、できないことは依然としてできないが、せめて、必死でやろうとしているという姿勢だけは、学校の内外に示さなければならない、と励むようになる。すると、一度やり始めたことは簡単にはにやめられない。
 こんなに宿題を出す必要はない、と思っても、出さないで生徒の成績が下がったりしたら、その原因は実ははっきりしていなくても、きっと宿題を減らしたせいだ、これは教師の手抜きだ、と言われるだろう。まして現在は、毎年デジタルで人事考課(業績評価)がなされている。どうしてそんな危険なまねができるものか。

 こういうところに、上から教育改革のお達しが来る。行政職は、教員よりは偉いが、文科省にしても、行政全体の中でそれほど立場が強いわけではない。改革案自体はいいものでも悪いものでも(いいものなんて一つもなかった、というのが私の実感だが)、実践になると教師を使う以外の権限はないから、必ず教師の仕事を増やす。
 そして、その実践報告をするというオマケまでもれなくついてくる。学校の中で一番仕事量が多いのは教頭だということは、前出の調査にもはっきり出ているが、それは、そのとりまとめがほとんど教頭の仕事になっているからだ。もちろん、一般の教師でもこれを免れるはずはなく、「仕事をした証拠を作る仕事が膨大に増えた」という嘆きは、ずっと以前からあった。
 だいたい、今度の「働き方改革」でも、各学校がどう取り組んでどういう成果があったかの報告は必ず求められるから、その分教頭以下の仕事は増える。教師の仕事を軽減しようとしたおかげで忙しくなる、こんな冗談みたいな事態が普通に起きるのが学校なのだ。
 さらにもう一つ、この報告には、決して失敗例を挙げることは許されないと、誰も言わないが、学校では誰でも知っている。「かくかくの指示に従いしかじかの実践をしましたが、うまくいきませんでした」なんて正直に書いたりしたら、「それはお前たち教師の力量不足だ」と言われるだけであることはわかりきっているからだ。ここでも、教師が「できません」と言うのは、「自分は無能だ」あるいは「怠慢だ」と言うのと同じで、つまりタブーなのである。
 「ゆとり教育」のような、一般に失敗だったとされている施策であってもそうだ。総合的学習の失敗例など、もし公に報告されているとしたら、是非教えていただきたい。成果はあったが、「(あくまで自分たちの)課題は残る」ぐらいが精一杯のところだ。  
 公式には、成果はあった、それなのに、よそから批判が出て、廃止される。いや、完全に廃止されたならまだしも、中高では週1時間程度は残っている。もちろん教師の要望からではなく、完全に失敗、などと認めたら、これを推進した行政側の汚点になってしまうからだ。やがて時が過ぎたら、かつての必修クラブの時間と同様、忘れられて、消滅するだろう。
 他にもたくさんあるが、ざっとこのような経緯で、教職はブラックになりやすい。仕事が無造作に精神論に結びつき、それでいて、ではなくて、そうであればこそ、教師の主体性など全く等閑にされる。給与は悪くはないし、倒産で仕事場がなくなることはないという意味で安定はしていても、さほど多くの人が積極的につきたがらないのが当然なのである。この根本の部分を見直さない限り、危機的な状況は変わりようがないのだと、一人でも多くの人に知ってもらいたい。もし、あなたが、本当に「危機」だと思っていればの話ではあるが……。

【一番上の、Youtubeのずんだもん動画に引用されているのは、「仕事とはお金のためにするのではない。相手を幸せにした分だけ『ありがとう』が返ってくる。それを集めるためにするんですよ」という言葉です(出典不明)。これを言ったとされるブラック企業の社長さんがかつての「教育再生会議」のメンバーだったのは、なかなかよく利いたブラックユーモアですね。】
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最強の言葉には顔がない・下

2023年08月20日 | 倫理

荻田浩一構成・演出「Tabloid Revue『rumor~オルレアンの噂~』」令和3年1月赤坂RED/THEATER

メインテキスト:エドガール・モラン/杉山光信訳『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用 第2版』(原著の出版年は1970年、みすず書房1973年)
芥川龍之介「震災雑記」(『中央公論』大正12年10月号初出。『筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻』昭和46年に「大正十二年九月一日の大震に際して」の表題で、大震災関係の他の文章といっしょにまとめられた)

 最後に、私が最も恐いと考えているものについて述べる。プロパガンダからは少し離れるが、恐怖アピールグランファルーンに関連する。
 人を行動に駆り立てる最大の感情は恐怖だろう。生命を、生活を、地位や財産を奪われる危険は誰しも怖い。そして危険はどこに潜むかわからないのだから、用心するのは自然だし当然だ。そのために、保険を初めとして、危険に対応する商品も各種売られている。危険への恐怖、軽く言って不安、が強ければ強いほど、そういう商品の需要は高まるわけだから、宣伝家たちは危機感を煽りがちである。特に悪いことではない。度の過ぎた誇張や、ノーマン・メイラーの言う事実もどき(factoid、P.83)という嘘を使うのでなければ。
 しかし、事実もどきは、野心的な政治家や宣伝家が作るだけではない。民間から自然発生的に出てきたとしか思えないものもあり、これは普通「」、少し硬い言葉で「風評」と呼ばれ、時たま非常にやっかいなものになる。意図が全然ないか、大勢に拡散されているので、麻原彰晃やヒトラーのような個人が、ちょっとしたことでボロを出して、嘘がばれる、少なくとも威力が減る、ということもない。
 『プロパガンダ』に載っている事実もどきの例は、発生元はわからないとしても、誰かが政治的か経済的な目的に利用しようとしたものがほとんどで、それは本の主題からして当然である。ここでは、噂の拡大と伝播について、瞥見しておきたい。

 1969年、英仏百年戦争時にジャンヌ・ダルクが解放したという逸話以外には日本人には馴染みのないフランスの一地方オルレアンで、ある噂が広まった。ブティックの試着室に入った若い女性のうち何人かが消え、売春組織に売られた、というものだ。警察の公式記録ではこの時期に行方不明になった人は一人もいなかったにもかかわらず、この話は口伝えでどんどん広まっていった。エドガール・モランと彼が率いる研究グループがこれを調査して考察を加え、今日社会学の古典の一つとされている一書『オルレアンのうわさ』にまとめている。
 話(E.モランは「神話」と呼んでいる)の由来、というか、神話学で言うアーキタイプ(元型)はあった。売春組織に拉致される娘の話はフランスの各地にあり、オルレアンの噂が立ち始めた頃、雑誌に、ブティックで麻酔で眠らされた上に、地下室に監禁された若妻に関する、根拠不明の記事が出た。ただそれは、オルレアンとは遠く離れたグルノーブルでの出来事ということになっていたが。
【その後1980年代の日本で、これらに基づいたと思われる「だるま女」という神話も生まれた。海外のブティックで誘拐された日本人女性が、四肢を切断されたいたましい姿で見世物にされたという、より猟奇性の強いもので、一度雑誌に取り上げられたこともある。外務省はこの「事実」を完全に否定している。】

 新しい要素としては、このブティックがどこか、かなり最初の段階から特定されていたことがある。それは、ユダヤ人の夫婦が経営する新しいお洒落な店だった。
 それなら、この店のライバル店や、経営者夫妻に恨みを持つ者の仕業か、とすぐに思いつくが、警察も、モランたちの調査でも、見つけることはできなかった。エロティックな現代神話、現在の日本では都市伝説と呼ばれているものに、ナチス崩壊後もずっとヨーロッパでくすぶり続けていた(そして今もある)反ユダヤ感情が結びついたことが確認されるだけだった。
 もし、首謀者は実際にはいたのに、見つからなかったのだとしたら、その人物こそマーク・アントニーやヨゼフ・ゲッペルスを凌ぐプロパガンダの、そしてアジテーションの天才と呼ばれるべきかも知れない。
 それというのも、誰が作ったかはともかく、何のために作られたかは明らかなのが広告だが、その意図があまりに露骨な場合は、それ自体が鬱陶しくて反発を招く場合があるからだ。誰にもせよ、他人に操られていると思えば、不快になるだろう。だから現在の広告制作者は、意図を、うまく見つかるように隠すテクニックに磨きをかけているように見える。
 しかしそもそも、明確な意図などなく、大衆の感情、あるいは集合無意識とかいうものが、ある方向へと惹きつけられたらどうだろう。反発を向けようにも、その対象はない。しかも、そうなるとまた、浮遊するイメージに、後からさまざまなイメージがくっついて雪だるま式に大きくなりがちであり、稀には、ある社会全体を揺さぶるまでになる。
 オルレアンの雪だるまの中には、犯罪の規模に関するものもあった。「怪しい」ブティックは一軒から、同じくユダヤ人の経営する六軒に増え、「被害者」の女性の数は六十人以上にふくれあがった。誘拐の手口も、女性たちは川から船で大都市にある秘密の売春組織に運ばれ、そこからさらに中近東や南米に売られる、というような具体性を増したものになった。
 川から運ばれることについて話をした最初の人物は、例外的にわかっている。当のブティックの経営者が冗談として知人にしゃべったものが基だった。その後の経過からすると、軽率とも言えそうだが、彼としては、噂は全く根も葉もないもので、自分も気にしていないことを示したかったのだろう。「てなことがあったら怖いですな。ハハハ」という風に。彼はユダヤ人だが、地域社会に溶け込んでいて、誰かに恨まれる覚えは全くなかったのだから。
 翻って考えると、この話を口から耳へ、それからまた口にして広めた地元の人々は、どの程度に「本気」だったのか。むしろ冗談に近い軽いノリで、女学生たちの雑談から、その友人知人、家族、そして地域社会全体を覆うものへと成長していった可能性が高い。最初の頃に聞いた人の中には、そんな他愛もない話、わざわざむきになって否定するのも大人げないしな、と思ったこともあったかも知れない。実際、放置するうちに、自然に消えてしまう噂が大部分なのだ。
 けれどこの場合は、あまりにも大勢の知るところとなり、するとそのこと自体が、信憑性のように見えてきて、女学校の教師(その中にはユダヤ人もいた)や娘を持つ家族が、保護する責任のある女の子たちに、件のブティックへ行くことを禁ずるに及んで、事態は冗談ではすまなくなってきた。

 早い段階で公的な機関が対処すればなんのこともなかったのではないか。例えば、警察がブティックを調査して、怪しい節は何もないと発表すれば。しかし、大統領選挙が近づいていて、警察としては、わざわざそんなことをする余裕もないし、必要性も感じなかったようだ。
 そのうちに、失踪した女性たちの捜査をしない(そりゃ、いない人の捜査はできない)警察も、事件を一切報道しないマスコミも、行政当局も、すべてユダヤ人から買収されているんだ、という話も出てくる。それまで皆が信じたら、どんな調査をしてその結果を発表しても、「それはインチキだ」と言われてしまうだろう。
 幸いなことに、騒乱が起きる手前で事態は収束した。名指しされた店の付近をぶらついたりたむろする者が増えて、本当に恐怖を感じた店主たちが訴えた結果、市当局もやっと本腰を入れ、ユダヤ系の人権団体はキャンペーンをくりひろげた。
 最も効果的だったのは、いくつかの新聞・雑誌が、この話は元来反ユダヤ主義の陰謀から出てきたものだ、と書き立てたことだったようだ。こちらにも、しっかりした根拠などない。多分、事実もなかったろう。モランたちはこれもまた神話であるとして、「対抗神話」と呼んでいる。けれど、多くの人が、この噂を口にしたら、「反ユダヤ主義者」のレッテル(それは公的には、悪いこととされていた)を貼られるのではないかと恐れた結果、控えるようになった。もともと、「そんなの嘘だ。こっちが本当だ」とむきになって主張するほどの動機や信念のある人などいなかったのだから。
 それにしても、根拠のない噂を打ち消したのが同じように根拠のない話だったというのは、皮肉なような、また当然のような、妙な気がする。
 いずれにしろ、人々の関心の焦点は自然に大統領選挙へとシフトしていった。その後改めて、事件、ではなく噂について訊かれると、ほとんどの人が「もちろん私はそんなことは信じていませんでしたけどね」などと付け加えた。
 そんなものか? そんなものだ。それでも人々の不安と怒りは、自然発火近くまで至っていたのかも知れない。日本で起きた痛ましい事件からして、そういう推測も出てくる。

 大正12(1923)年の関東大震災時に、多数の朝鮮人や朝鮮人に間違えられた人が住民に殺された。これは我が国近代最大の黒歴史と言うべきものである。
 未曾有の災害によって多数の死傷者を出し、人々の恐怖は極限まで高まった。流言蜚語が飛び交い、混乱に乗じた火事場泥棒的な犯罪も多かった。治安維持のためには、警察では足りないと感じられたので、行政の呼びかけに応じるかまたは自発的に、民間の自警団が組織された。この自警団が、見回りにとどまらず、犯人捜しや制裁まですすんでやろうとした挙句、しばしば、蛮行の主体となったのだった。
 芥川龍之介も自警団に参加した一人だが、震災時の見聞及び感想「震災雑記」には、以下の印象的な一章がある。

 僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
 戒厳令のしかれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤(もっと)も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣(わけ)ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「譃(うそ)だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手(ついで)にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「譃さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも譃か」と忽ち自説(?)を撤回した。
 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜しまざるを得ない。
 尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。


 「○○○」の伏せ字部分の一部には「朝鮮人」の文字が入っていたのは明らかである。明治43(1910)年の日韓併合から、かの国の人も日本人となり、東京でもよく見かけるようになっていたのだが、彼らからは、ヨーロッパにおけるユダヤ人と同じ、「異物感」が拭えなかった。それが、大震災という本当の危機の際に、「井戸に毒を投げ入れた」「民家に火をつけた」「この機会に乗じて革命を起そうとしている」という噂が流れると、不安が一気に極限まで高まり、蛮行にまで至ったのだ。
 芥川は上の文章を書いたときには、殺戮の事実についてはあまり詳しくは知らなかったのではないかと思われる。知った上で「もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬ」などというアイロニカルな一文を書いたのだとすれば、かなりタフな神経で、この作家の繊細なイメージに合わない。いや、それもまた根拠のない印象論だな、とすぐに反省されたので、さておくとして、彼はここで「同調圧力」についてまことにうがった見方を示している。

 構造の部分を考えると、こうだろう。
 ある噂が流れる。最初誰が言ったのか、わからない。複数の場所で、大筋では同じ話を聞く。「聴いた話」として、自分でも言ってみると、「それ、俺も聞いた」という者に出会う。そのうちに、それは「みんなが言っている」ことになる。「みんな」の実数は五、六人のこともあるが、それでも、前述した信憑性があり、さらに「公共性」まであるような気になる。伝達ゲームの過程で、比較的想像力豊かな者が、新たな話・イメージを付け加えることもある。こんなふうにして、雪だるまが膨れていく。
 そうなっても、公的機関や大手メディアが何も言わないとしたら、それはどこまでも内輪話の性格を保ち続ける。実は、これにも噂にとっては都合が良い条件になり得る。事実はどうか、なんて面倒な検証とは縁がなく、仲間内の雑談として気楽に喋れる感じになるから。
 そう、こういうのは仲間同士の話なのだ、というか、元々の仲間ではなくても、話を共有する、それも、「まあ、そうなの」「へええ~、そんなことが」という感じで聞いてくれるなら、即席で、その場限りでも、仲間になる。
 そして、仲間同士の「」ができるなら、同時に「」もできる。共同性は必ず、排他性を含む。この場合の「外」とは、もちろん、身近にいながら、この話を全く信じないか、「それは本当か?」などと真顔で訊いて、なかなか納得しない者のことである。そういう不穏分子から共同性を守るべく、この仲間の結束は固くなり、一方で、仲間ではない者を排除する傾向も強くなる。これらは、共同性という同じ盾の表と裏なのである。
 関東大震災の時は、単なる「仲間はずれ」ではすまなかった。何しろ、危機は眼前にある。これに対処するという大義名分もある。実際は、普段は仕方なく抑制している暴力衝動を発露できる絶好の機会だという暗い情動も、かなりの部分を占めているだろうが、それはもちろん禁句。行動はしないまでも、話を信じる、最低でも信じている顔をするのが、共同性に忠実な「善良なる」者であり、そうしようとしないのは共同体の共同性に背く背信者、即ち「悪しき」者である。このような心理が、広い範囲に受け入れられ、ついに恐るべき蛮行まで引き起こしてしまった。
 もちろん、当時の東京でも、全員がこんな状態に陥ったわけではない。菊池寛も、それから芥川も、朝鮮人陰謀説など全く信じていなかった。それが昔も今も「良識」というものだ。しかし普段なら当たり前の良識、否むしろ退屈な常識が、危険とみなされることも、最悪実際に攻撃が加えられることさえある。通常の市民社会の中に、もう一つの社会ができて、の境界が変わってしまったからだ。自分は全く動いていないのに、世の中のほうが「兎に角苦心を要する」場所になってしまうことがあるのだ。

 どうすればいいのだろう? 共同体を離れて生きられる人などいない。我々は皆、共同体のエートス(一定社会の倫理・慣習・行動様式)の中にいて、それを自分の中に取り入れて「」となる。こういう普遍的な事情に対して、自分の立場をいちいち反省して、それに基づいて行動したりするのは、かなりのストレスになる割には、実効はあまり期待できない。たいてい、周りから、「変わり者」と呼ばれて終わり。上述のような危機的状況になったら、なんとか逃げ道を見つける必要はあり、そのために「変わり者」ポジションは有利なようにも思えるが、実はそれも怪しい。かえって、普段から怪しい奴なのだからと、真っ先に攻撃衝動が向けられる恐れもある。
 では、根拠のない話は信じない? しない? 難しいですね。私など、根拠のあやふやな話はするなと言われたら、今の半分も喋れなくなってしまうでしょう。それはきっと、我慢できない(笑)。
 では? これならなんとかできるし、大事かな、と漠然と思うことは以下です。どこかに悪辣な陰謀家や宣伝課がいて、私たちをダマそうとしている、と用心するのは良い。しかし、悪なる存在は世界のどこかにいて、我々はダマされることはあっても、全く潔白な、「善良なる市民」なんだという思いがあったら、できるだけ軽くしたほうがいい。主観的には確かにそうでも、無自覚のうちに、害のある思いに囚われ、さらにそれを広めているかも知れない。言葉を覚える以前の赤ん坊でない限り、誰もが完全に無罪ではあり得ない。
 そう心得ておけば、最悪の事態を回避するには、いくらか役に立つのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
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最強の言葉には顔がない・中

2023年08月14日 | 倫理


メインテキスト:高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中公新書平成26年)

 最初に、プロパガンダとは「他人にあることを信じ込ませる説得術」だと言ったが、現在この定義は修正ないし補足したほうがよいように感じられる。「説得」には、「理を尽くして相手を納得させる」ことだという含意があるが、大衆を相手にした場合、「理」は、あるにはあっても、あまり目立たせぬようにしたほうがよい。人間は理屈より感情に動かされやすい。集団になればますますそうだ。戯曲「ジュリアス・シーザー」はその具体例を示している。そしてプロパガンダが社会で重視されるようになったのは、19世紀以降、大衆が社会の表面に本格的に現れるようになってからだ。
 ここでは人の感情に訴える、いわゆる胸の琴線に触れる言葉(視覚的イメージを含む)こそが主流になる。それは愉快なものとは限らない。不安や焦燥を掻き立てるものもある。なんであれ、心を動かし、購買や投票のような、一定の行動にまでつなげることを目指す。ここでの宣伝家は、説得者と言うより扇動家というほうが相応しい。
 なぜそんなことが必要とされるのか? そのモノなり人なりに、本当に価値があるなら、特に何もしなくても自然に認められるはずではないか? と、言ってみると、ただちに「なかなかそうはいかないな」という苦い思いに囚われる。だいたい、ここで言う価値とは、かなりの部分、人が心に抱く価値観のことで、つまり主観的で、相対的だ。ある行為が正義感の発露か、許しがたい裏切りか、少し観点を変えれば正反対にもみえてしまうことも稀ではない。

 もう少し細かく言おう。モノ本来の価値はある。空気や水がなくては困るにことは誰でも知っている。ただ、いつでも手に入る限り、その価値は特に意識されないだけだ。一足す一は二と同じような、退屈な真理というに過ぎない。しかし環境活動家が言うように、空気が汚染されるとか乏しくなったりすれば、大問題だ。その恐怖や危機感があるなら、空気も商品になり得る。二酸化炭素の排出量を権利として売買するアイディアはそれに近い。
 一方水は、現に乏しい地域はある。「砂漠で水を売る」ようなもの、という言い方がビジネスの世界にはあるらしいが、それは昔から日本にある「濡れ手で粟」に近い。絶対的な需要があるのだから、必ず売れる、ということ。しかし実際にはそう簡単にはいかない。そんなにおいしい商売なら、やりたがる人間はたくさんいる。その間に競争が生じる。政治的な制約がないとしたら、「神の見えざる手」が働く、自由市場が形成されるわけだ。そこで水は商品として、価格・品質・輸送速度・売る側の信用、などが他より多く売る条件になってくる。ならば、それらの情報を伝える活動にもまた、必要性が生じる。古典的な宣伝活動の始まりである。

 大衆社会では、モノが大量に、多様に作られる。そして、空気や水のような、それがないと誰もが生きていけないというほどの必需品でなければそれだけ、実利からは少し離れたイメージが重視されるようになる。加えて、TVが各家庭にあるのが当たり前になってからは、視覚的な、見かけのイメージは直ちに、大量に伝達される。
 バブルの頃は、「自動車はデザインで売れる時代」などと言われた。どんなにかっこいい車でも、乗ったらすぐに壊れる製品がそんなに売れるとは思えないから、それは言い過ぎであるにもせよ。と、いうか、10年乗ってもまず一度も故障しない製品を作る高い技術力が普通になった上で、新たな付加価値として、「見かけ」の重要さが全面的に出てきたのである。
 需要と供給のどちら側が先にそうしたかはわからない。需要に応じて供給はなされるが、新たな需要を作って新たな供給への道を開かなければ、経済発展はない。そして、新たな製品や性能を開発するより、イメージを更新するほうが容易ではある。そこに需要が見つかるなら、作って売る側も重視せざるを得ない、といった、いわゆる卵―鶏関係が認められるばかりだ。そこで宣伝広告は、商品の優れたところを伝えるだけではなく、イメージをアピールし、時には作り出すものとして、かつてより大きな地位を占めるようになった。

 もう一つ留意しなければならないのは、品質や性能については虚偽の広告はあるが、イメージにはそもそもそれはない。
 昭和44年、丸善石油(現コスモ石油)の「Oh! モーレツ!」というTVCMが放映された。車の通過音の直後にミニスカートの裾が捲れ上がり、そこにオフ・スクリーンの「Oh! モーレツ!」という声を重ねる。性的な刺激の露骨な押し出しで、今そのまま使うのは難しいだろう。【平成13年にリメイク版が作られたが、下着に見える部分はギリギリ隠された。】当時もたぶん問題視されたろうが、それより「猛烈なダッシュ」というキャッチ・コピーが誇大広告の例としてどこかが公にやり玉にあげたのを、NHKのニュースで見た覚えがある(するとますますこのCMが世に知られる結果になるのだが)。何が猛烈で何がそうでないか、客観的な基準などあるわけではないのに、誇大と言ってもどうなんだろう、と当時中学生だった私は思ったものだ。
 嘘と言えば、車がどんなに速く走っても、上昇気流が発生するわけではないから、外にいる女性のスカートが捲れ上げるなんてまずないが、そんなの面白いツッコミにもならない。だいたいこのCMは、当の製品であるガソリンが、セクシーだと言うわけではないのはもちろん(笑)、車に優れたダッシュ力を与えると言うわけでもない。そのような「主張」は。時に押しつけがましくて鬱陶しく感じられるから、「本当にそうか?」「言うほどのことはないじゃん」というような疑念や反発を招く可能性がある。
 それは避けて、セクシーで軽快なイメージの「奥」にあるものとして、製品を提示して見せた。それが売り上げにどれくらい貢献したかは知らないが、高度成長時代初期の社会風潮を端的に表現したものとして、本作は日本CM史上屈指の有名作品になっている。

 人間にイメージを纏わせる場合でも、同じような手法は用いられる。モデルやタレントなら、イメージ自体を売りものにするから、それで充分。例えば上のCMで主演を務めてセクシーさが強調された小川ローザは、これ一本で有名になった。
 他の分野で、特に多くの人を動かそうとするなら、さすがにそれだけでは足りない。何ができるのか・できそうか、は必ず問題にされる。そのため、彼らの人格や能力の大きさを語る言葉が使われる。「彼は公明正大な人間だ」とか「彼女なら難しい仕事を成し遂げる力がある」など、抽象的に言われてもそんなに説得力はない。
 過去の実績が具体的に語られるに如くはない。マーク・アントニーの語ったシーザーの逸話から、現在だと「東大法学部を主席で卒業した」とか、「他の社員の三倍の売り上げを達成した」などなど各種あり、並外れたものは「伝説」などと呼ばれる。信憑性からすると、実態が強調されたものから誇張されたもの、さらに完全なデタラメまであるが、一番の問題は説得力だ。そこに加えて、彼/彼女の身体像や話し方などの現在のイメージが重なって、最もうまくいった場合には、カリスマ性と呼ばれるものを生む。
 これを中核とした集団は、「預言者や──政治の領域における──選挙武侯、人民投票的支配者、偉大なデマゴーグや政党指導者の行う支配」の下にあるものだとウェーバーは言っている(前掲書)。
 この中では預言者(神の言葉を伝える者)に拠る宗教団体が最もそうなりがちである。政治的・経済的な集団は、権力や利益などを追求するという明確な目的があるので、構成員相互の連帯感はそんなになくても、存在価値は認められる。宗教は現実の代償を求めるものではない。もっとも、現世利益を約束する教団もあるが、そのやり方は「祈り」に拠るので、個々人でやるしかなく、集団の必要はない。そこで一番重要なのは信仰を同じくする者同士の支え合いであって、それなら信徒同士の、中でも中心にいる人・教祖への信頼は正に肝心要になる。
 そうは言っても、現在時折メディアに登場する教祖にはそんなにカリスマ性は感じられない、と思う人はいるだろう。内部の人の目にはどう映っているのか、よくわからないが。その点では、大昔に起源を持つ大宗教はとても有利で、開祖が超人的な能力を発揮したことになっており、基本的なイメージ形成はもうできている。後の人は、それを「受け継いでいる」と言えばいい。「処女から生まれ、死人を甦らせるなどの数々の奇蹟を行い、処刑されたが三日後に復活した」などは代表例。「そんなのは科学的に不可能だ」なる批判は、今更、と自然に思えるくらい、この伝説は信徒以外の人にもよく知られていて、それだけでも一定の力を持つ。
 ここでは開祖は伝説を纏っているというより、伝説そのものであるわけで、ならば生身の肉体はもうこの世にないほうがいい。人間は、生きて活動している限り、好むと好まざるとに関わらず、人間的な弱点を曝け出しがちなものだ。麻原彰晃のウリだった伝説の、空中浮遊は、彼が東京拘置所に入れられたら、「なんで空を飛んで脱出しないんだ」という、多少は面白いツッコミのネタになってしまう。
 それより、ソクラテスやシーザーやイエスのように、非業の死を遂げたほうが、自身の聖化にはよほど役に立ったろうが、信者や教団に対するそこまでの親切心はなかったようだ。

 20世紀最大の悪夢の一つであるナチス・ドイツを考えるためにも、上の視点は抑えておくべきだろう。
 アドルフ・ヒトラーは「偉大なデマゴーグや政党指導者」としてのカリスマの典型だ。そのイメージは「戦う者」だった。ドイツ国民にとって、第一次世界大戦での敗北は、それ自体が屈辱だし、その後のいわゆるベルサイユ体制下で、戦勝国であるヨーロッパ各国による経済的軍事的な締め付けから、現に苦しめられていた。そこへ、ニューヨークに端を発する大恐慌の波が押し寄せたのだ。安定した生活を取り戻すためには、思い切った行動が必要だと自然にみなされるようになった。
 敵は内部にもいる、国際金融資本の手先として、ドイツの民族的団結を妨げるユダヤ人がそれだ、と言われた。これらすべてと断固として、妥協なく戦うこと、ドイツの栄光を取り戻し、より輝かせること、それができるのはヒトラーしかいない。そう自分で言い、またヨゼフ・ゲッペルスたちの卓抜な宣伝によってこのイメージを浸透させるところに、ナチスの最大の政治戦略が置かれた。
 つまり、反対側のマイナス・イメージを強調して、こちらにプラス・イメージをつけるやり方、というと、高等テクニックのように思えるかも知れないが、国政レベルなら政治家は、程度の差はあれ、たいていやる。ジョー・バイデンの支持には、反ドナルド・トランプ感情がかなりの部分含まれているだろうし、現代日本の野党には反自民以外の存在意義を見つけることは難しい。
 中でヒトラーがずば抜けていたのは、まず彼自身の個性による。彼はオーストリアの出身で、ドイツとオーストリアは統一されるべきという大ドイツ主義者であり、1938年にはそれを実現した。ただし第一次世界大戦に従軍する以前には、一所不在で定職もないニートだった。つまり、彼は何者でもなかった。
 何者かになろうとしたとき、一気に跳躍して、ドイツの運命と一体化することに自己の根底を見出したのだろう。普通なら誇大妄想で終わるしかないものを実現するためには、宝籤の特賞に当たる以上の運(あるいは、不運?)と、政治家としての才能も努力もあったことは認めねばならない。
 しかし何より大きいのは、ルサンチマンをバネにして出てきた熱狂だろう。それは熱心な愛情、この場合は愛国心、にも見えてしまう。もっとも、すべて主観の話なのだから、ヒトラーは120%の愛国者であったと言ってもまちがいとは言い切れない。いずれにしろ、例えば彼の演説の力は、その内容よりもはるかに、溢れ出る熱気から出ていることは明らかである。
 宣伝相ゲッペルスはヒトラーを心から敬愛していた。1945年5月1日、前日に自決した総統を追って、家族と無理心中を遂げた。こういうことをしたナチス高官は他にはいない。
 その彼がやったことは、ヒトラーの理想を全国民に広げ、もってドイツ全体を、さらには全世界をヒトラーのものにしようとすることだった。そこで彼は当時可能なあらゆる媒体(メディア)を宣伝に利用した。ヒトラーの政治活動開始とほぼ同じ時期に拡声器が発明され、大群衆にまで演説の言葉を届かせることができるようになっていた。次にラジオは、かなり高額だったのを、ゲッペルスは自分が資金を出してまで安価な製品を作り、家庭でも彼らの言葉が聞けるようにした。さらに新式なメディアとして映画があり、旧来の新聞やポスターももちろん活用された。

 そこでのプロパガンダの基本理念の点では、二人はほぼ完全に一致していた。大衆は原始的で、移り気で、忘れっぽい。だから長々と理屈を述べて説得しようなんて無駄以上に、有害でしかない。そんなのには直に飽きて、聞かなくなってしまい、ひいては語る者への愛着も信頼もなくなってしまうだろう。そこで大衆を動かすために心得ておくべき原則については、彼ら自身の言葉もいろいろ残っているが、私なりに簡単にまとめると、次の三点になる。①目立つこと、②単純明快であること、③繰り返すこと。
 例えば「永遠のユダヤ人」という紅いイタリック体の太文字に、黒服でキッパ(ユダヤ帽)を被った顎髭の、ステレオタイプのユダヤ人を描いたポスターを見よう。元は1937年にミュンヘンで開催された政治ショーのためのもので、1940年には同名の映画も作られ、その宣伝にも同じ絵が使われた。両方とも制作者はゲッペルスである。
 この戯画中のユダヤ人は右手の掌に金貨を載せ、左手には鞭を持ち、左の上腕か脇の下には、ソ連の地図を象った上に鎌とハンマー(共産主義のシンボル。上に星をつけるとソ連の国旗のデザインになる)が描かれた瓦礫が突き刺さっているように見える。当時のドイツ人にはその寓意はすぐにわかったろう。「永遠のユダヤ人」とは別名「さまよえるユダヤ人」というヨーロッパの伝説中有名なキャラクターで、刑場に牽かれていくイエスを嘲った罰で、再臨の日まで死ぬこともできず地上をさ迷い続けなければならない。この呪われた者のイメージに、金と支配と共産主義のシンボルを重ねる。目立つし、メッセージも明確で紛れはないが、言葉の持つ押しつけがましさはない。
 同じような絵柄の画像は今でもざらにあり、つまり宣伝手法としてはまだ有効ということだ。これらと、演説の肉声、新聞の文章、映画の映像などで、ナチスこそ悪を打倒する正義のヒーロー、のメッセージはドイツとその支配地の隅々まで浸透したろうか。大成功だった、だからナチスの暴走は止まらなかったのだ、という見方が一般である。

 必ずしもそうは言えないと論じたのが『ヒトラー演説』である。それによると、1932年に国会で第一党になった時が彼らのプロパガンダ活動の絶頂期だった。ヒトラーは選挙運動のために軽飛行機に乗ってドイツ全土で遊説した。ラウド・スピーカーによる大音量で響かせる言葉と、高揚した口調、大仰な身振りを総合したパフォーマンスは、大勢の人を魅了することができた。これによってナチスは政権を手中にした、と言っても過言ではない。
 が……。早くも翌34年には、ヒトラーを揶揄する声が民衆の間からけっこうあがっていたことを伝える秘密警察の報告が残っている。
 一つには、明らかなやりすぎがあった。ゲッペルスのおかげで普及したラジオから、毎日のようにヒトラーたちの言葉を聞かされたのでは、いくら表現を換えて「ヴァリエーションをつけた反復」を心がけたとしても、内容は結局同じなので、そのうちには「擦り切れ」てくるのは避けられない。それが言葉による説得の、免れがたい宿痾である。もっとも、ナチス側からすれば、自分たちのメッセージを充分に浸透させるためには、その疵には目を瞑るべきだと考えていたのかも知れない。
 もう一つ、媒体がどれほど多種多様であっても、メッセージは結局は一つの方向から、究極的にはヒトラーその人から来ているのは明らかで、彼から人間的な弱点が綻び出た場合には、それだけ信用は失われる。
 政権奪取後は、ます首相として、34年以後は大統領も兼ねた総統として、ドイツの現状を説明する義務も生じたが、そういうときの演説は、今も日本の政治家がよくやる、原稿をただ読み上げるだけの熱のないものとなった。攻撃に強い者が守りに回ると弱いと言われることの典型で、これも幻滅を与える一因となったろう。
 対抗手段としては、ヒトラーを中核とした強固な団結心を形成することが一番だろう。
おそらく最も悪魔的で効果的だったナチの宣伝戦略は、恐怖アピールとグランファルーン法を結びつけたものだろう」と、『プロパガンダ』にはある(P.296)。恐怖アピールはこれまで述べた、ユダヤ人や共産主義者への恐怖心を煽る手法。グランファルーン法とは疑似共同性を作ること。同書でとりあげられているのはヒトラー・ユーゲントの制服や集団訓練の例だが、これはあくまで特別な集団である。
 広い範囲を対象にした場合には、演説なら、折々あがる聴衆の大歓声が、さらに集団行動時のシュプレヒコールや行進で醸し出される、高揚感と一体感が最も有効な手段となる。集団内の信頼感に基づく連帯と違って、言わば身体的な感覚だから、直ちにイコールふだんの共同性になるわけではないが、傍で見ていたり映像で見たりしただけでも、「一丸となる」こと自体の愉悦は伝わるだろう。時には「サクラ」を使ったりして、うまく組織できさえすれば、権力の強固な基盤になりそうから、今でも、野心的な政治家や宣伝家は熱心に研究していることだろう。
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最強の言葉には顔がない・上

2023年07月29日 | 倫理

Julius Caesar in Flint Hills Shakespeare Festival in 2016

メインテキスト : A.プラトニカス/E.アロンソン『プロパガンダ 広告・宣伝のからくりを見抜く』(原著の出版は1992年。社会行動研究会訳、誠心書房刊、平成10年)

 令和4年7月の言語哲学研究会において、小林知行さんのレポートで、上記をテキストに読書会を開いてから1年経った。その時の出席者だった河南邦男さんからこの題材に関して小林さんに意見を述べるメールを送り、受け取った小林さんが藤田貴也さんと由紀草一にも意見を求めるべくそれを転送したのが昨年末。由紀草一がこれを受けて、テーマとしてたいへん重要なので、できるだけ広い範囲から意見を求め、プロパガンダ再考」としてもう一度研究会を持つように、小林さんから会員に呼びかけていただいた。残念ながらこの呼びかけへの応答はなかった。皆さんそれぞれお忙しいのだから、仕方ない。しかし本年6月30日、藤田さんからこれに関する本格的な論考をいただいた。これで最後に由紀草一が愚考を述べれば、最初に小林さんが考えた意見交換の範囲はカバーされる。やらなかったら、義理が悪い、だろうな、やっぱり。
 のみならず、藤田さんの論考は、狭義のプロパガンダから推論の一形式としてのアブダクションから、現在SNSを中心に広がる陰謀論といった、言語の問題を広く深く考察したものであった。あるいは「プロパガンダ」というテーマからすれば逸脱、とも見えるかも知れない。しかし、私見では、重要な言語問題につながるものである以上、いっこうにさしつかえない。
 これに元気づけられて、私も、現在いよいよ大きな問題になっていると思える言語状況について以下に云々してみよう。それで、最初に投げかけられた問題からは離れすぎていて、混乱を招くばかりだ、と読む人に思えたら、それはそれまでの話として。
【上記の各文は以下のリンクで、ネット上で読めます。
 小林知行「【日曜会・言哲】2301プロパガンダ プロパガンダ再考に向けた改稿」
河南邦男「再読:プロパガンダ」
藤田貴也「プロパガンダ再考:アブダクションと陰謀論」

 プロパガンダの核心を「他人にあることを信じ込ませる説得術」のことだとすれば、古代ギリシャからある。ソフィストと呼ばれる弁論の専門家がいた(B.C.5世紀頃)。ソクラテスが彼らを、真理を歪める者として嫌ったことは有名だが、そのソクラテス自身が、黒を白と言いくるめる詭弁術の大家だと、同時代の劇作家アリストパネスに批判されている(「雲」)。西洋だけではない。チャイナの戦国時代(B.C.3世紀頃)には、蘇秦、張儀、といった縦横家、後には名家(諸子百家)とも呼ばれる弁論術の達人たちが活躍した話は「史記」にある。
 文明が発達すれば言葉も発達する。現実の何とどう結びつくのかよくわからない抽象語が増えていく。比喩(メタファー)と言われる観念連合を使ったいわゆる文学的な言い回しも出現する。「飛んでいる矢は止まっている」「白馬は馬ではない」なんぞと、逆説という、言葉の曲芸をしてみせる者さえ現れる。
 かくて、言葉は結局何を伝えようとするのか、よくわからなくなっていく。弁論術の専門家とは、むしろそれをいいことにして、言われていることが本当(真実)であると思わせる者たちだが、一方、洋の東西を問わず、「口舌の徒」というと、なんとなく信用がならない者とのイメージがつきまとうのもゆえなしとはしない。

 とは言い条、言葉はコミュニケーションの中心ではあり続けた。言葉は知識を集積し、それを伝達する手段として欠くことのできないものではあったから。知識の伝達は教育と呼ばれ、文明が複雑化するにつれて、そのための施設、つまり学校が出来上がり、子どもはそこへ通うのが当たり前になり、などで、言葉の地位は確固たるものになった。
 教育とプロパガンダはどこが違うのだろう? 
 学校教育に限定して言うと、一番は、他人に信じ込ませようとする「あること」が「真理」であることが疑われないところだろう。これ自体がけっこう怪しいことは、『プロパガンダ』にある。
 学校で教わることは純粋で客観的で主義主張のバイアスがかかっていないものであると信じられている。しかし、例えば小学校の算数の教材を見てみよう。そこでは労働や品物の売買、金を借りた場合の利子のことが書かれている。これは、この資本主義社会における金銭の流れをただ反映しているだけではない。「系統的にそのシステムを支持し、正当化し、当然で標準的な方法であること」を無意識のうちに生徒に刷り込むものだ(『プロパガンダ』P.252。以下ページ数はすべて同書から)。
 これは非常に微妙で困難な問題なので、この内部には踏み込まず、周辺的なことを考えておこう。知識伝授の過程で、必ず他の事柄(一定のイデオロギーや社会通念)も伝えてしまうにもせよ、やはり純粋な知識はある。それを習得しない限り、人はこの社会では生きられないし、そんな人が増えたのでは社会が成り立たなくなる。だからやはり、知識伝授の必要はある。
 一足す一は二だ。地球は約24時間で地軸を中心にして一回転する。それを疑ってどうしようというのか。午前9時は誰にとっても午前9時でなければ、共同作業は成り立たない。もっとも地球には時差があるが、それを具体的に意識しなければならぬほどのスピードで実際に人が移動できるようになる頃には、グリニッジ標準時を基準にした全地球の日時の決め方は定まっていた。それを全部覚えている人はごく稀だろう。日本の午前9時はニューヨークの何時に当たるか、即答できる人は、それよりは多いだろうが、社会の多数派ではないだろう。多くの人にとって日常的に必要な知識ではないからだ。必要が生じたら、今ならインターネットなどの手段で、すぐに知ることができる、ということを知っているだけで充分なのだ。
 ところで、上記のようなことを私はいつどこで習ったのだろう。親からか教師からか知人からか、あるいはTVからか、本からか。もう忘れた。これもまた、最も広い意味の教育の強みである。近代の学校の教師は、主に実際の生活とは直接関係のない知識を教える専門職だが、その権威も結局のところ、知識の、つまり真理のそれに依っている。それはそうだ。ある教師が一足す一は二だと言い、他の教師が一足す一は三だと言うなら、そして、どちらが正しいか決定する手段がないのだとしたら、そんな知識は真理ではなく、覚える値打ちはない。「誰が言ったか」は二次的な意味しかない、ということだ。
 以上が教育の強みである。「人を説得しようとすること」だという点ではプロパガンダと共通するが、基本的に、誰が、何を目的として言っているか問題とされないところは対極的なようだ。別の見方からすると、教育は理想のプロパガンダと言える。伝えられることが意図ではなく、真理だと納得させることができたならば、説得はもう成功している。そのためにはどうしたらいいか、人は頭を絞るのだ。

 動機についてはどうか? 説得が、善意から出たものか、それとも悪意からか。これは依然として大きな問題で、また教育とプロパガンダを分かつポイントではないか。
 実際、最初からこちらを陥れようとするプロパガンダ、いわゆる詐欺は昔から今まで絶えることはない。インターネットの普及以後は「あなたに~千万のお金をさしあげます」といったなかなか笑えるスパム・メールもよく届くようになっている。つまり、インターネットは、真理と同じくらいかより多く、嘘も伝える。これは言葉を使う人間が変わらない限り、変わりようがない。もちろんごく素朴なものから、もっと手の込んだ説得術を駆使した手口もたくさんあり、油断はならない。『プロパガンダ』の第5章には、人をうまく乗せようとするやり口のサンプルが列挙されていて、とても有益である。こちらは文章による教育と呼ばれるべき、か? つまり教育は動機も効果も良きもの、か? そうかも知れない。
 難しいのは、良い動機からした説得でも、悪い結果を招く場合が決して少なくないことだ。「良き意図が良い結果しかもたらさないと考える者は、政治のイロハも知らない」と、マックス・ウェーバーが言っているとおり(「職業としての政治」)。意図したことが必ず意図通りに実現するものなら、政治と呼ばれる営みの多くが必要なくなる。少なくとも政治家という専門職は不要になるに違いない。
 ソクラテスは近代学校制度以前の優れた教師と言っていいが、彼の言説が若者に悪い影響を与えたというのは、部分的には本当だろう。一方、ソクラテスに死刑判決を出した方は、アテネの若者に、ひいてはアテネの未来に害をもたらす者を除こうとする純粋な愛郷心にかられたのかも知れず、あるいは邪な利己心にかられていたのかも知れない。そのへんはどれくらい自覚されていたろうか。
 人間は全知全能ではないどころか、自分の心についても完全にわかっているとは言えない。言葉は嘘もつく。それは、自分自身を騙すためにも使われる場合がある。そしてどうであれ、ソクラテスの刑死というような、一定の結果は出る。
 詐欺は、意図が明確なだけ、このような面倒は少ない。その意図が明らかになることが即ち企図の失敗を意味して、紛れがないからだ。

 ここで説得される側に目を移すと、ソクラテスが語ったのは彼に惹かれて集まってきた若者たちだし、蘇秦たちは王たちに献策して歩いていた。誰に聞かせるために喋っているのかは明らかだったということだ。一方ナザレのイエスや釈迦牟尼ら、宗教者の説法は、対面ではあっても、不特定多数の聴衆に向けたものであったろう。近代以降では、政治の分野でも、民主制なら、この活動は不可欠になる。古代にも、奴隷つきではあっても、民主制はあったから、その実例を見つけることはできる。
 B.C.44年、ローマの政治家にして武将のジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が暗殺された。当時のローマは共和制だが、シーザーの実績と人気は大きく、終身独裁官になっていた。現ロシアの終身大統領・プーチンみたいなものだと思えばいい。シーザーはさらに、主権(sovereign power国家のことは自分の意思だけで決められる)のある 帝王になろうとしたのだと疑われ、共和制主義者たちの刃に斃れたのだった。
 1599年、ウィリアム・シェイクスピアはこの事件を基に悲劇「ジュリアス・シーザー」を書いた。タイトル・ロールのシーザーはあまり登場せず、途中(全五幕中第三幕第一場)で死んでしまう。主人公は彼の暗殺者のプルータスで、シーザーの腹心マーク・アントニーとの演説合戦、即ち言葉による戦いが、劇の最大のクライマックスになっている(同第二場)。シェイクスピアは材料をほぼ完全に「プルターク英雄伝」に拠っているのだが、構成と言葉(台詞)は自身の創作であり、歴史的な事実には拘らず、大衆に自らの意図を届かせる説得術という政治の要諦の一つを、迫力をもって描き出している。
 シーザーを殺した後のプルータスの言葉は簡明だ。「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのである」(福田恆存訳。以下同じ)。
 内容は、この力強い格言風の言い回しがすべてだ。少し広げて言うと、シーザーはまことに優れた人物であって、私も彼を敬慕する点では人後に落ちない。しかし彼は、個々人の自由を重んじるローマ人にとっては最も忌むべき存在、即ち帝王になろうとした。この野心によって彼は死なねばならぬ者となったのだ。
 この結論を聴衆(ローマの自由民たち)に伝え、理解を得るために、プルータスが採った手段は、「誰にせよ、このなかに、みづから奴隷の境涯を求めるがごとき陋劣な人間がゐるだらうか? もしゐるなら、名のり出てくれ、その人にこそ、私は罪を犯したのだ」。これとほぼ同じ内容を、最後の「もしゐるなら」以下は言葉もほぼ同じで、三度繰り返すこと。よく知られた反復による強調(P.155)に、疑問形で言われることで、「自己説得」(P.141)と呼ばれる技法も使っていることが認められる。正面から疑問がぶつけられるのは、答えを強要されるのと同じである。それでもその答えはやっぱり自分で出したものだ、と思えるから、納得するしかない。そうではないか? 
 しかもこの質問は、「お前は陋劣な人間か?」と問われているのと同じなので、なかなか「そうだ」とは言えない、という「恐怖アピール」(P.185)も少し入っている。かくしてプルータスは市民から「そんな奴はゐない」という答えを得て、彼の主張は一時的に受け入れられた。
 しかし、後ですぐにわかるように、説得術という観点から見ると、彼の演説は拙劣なものだった。だいたいプルータスは、術を弄しているつもりはなかった。
 『プロパガンダ』中に示された分析・分類は有益だが、あらゆる学問・科学がそうであるように、後付けである。文法以前に言葉は存在していたし、人を説得する必要性も生じていたことはまちがいない。あまり親しくない人に何かを信じさせようとするなら、言葉に頼るしかない。プルータスはこの事情に充分に自覚的ではなかった。彼は詐欺師とは正反対の、自他共に認める公明正大の士だったからだ。意図を隠したり飾ったりするのとは真逆に、自分の真意を伝えることこそが関心事だったのだ。
 それで彼の言葉は、いわゆる上から目線の、傲慢さを纏ったものになった。たぶん、自身の親や師や先輩たち(その中にはシーザーも含まれるかも知れない)の自分に対する語りと語り方を無意識のうちに倣ったのたろう。彼は、すべての大前提である「シーザーは帝王になろうとした」のは事実であると論証しようとさえしなかった。
 根拠として言われたのは、「私の人格にたいする日頃の信頼を想ひ起してくれ」、つまり、人格者たる自分が言うのだから、それは真実だ、とばかり。自分が公明正大であることは自分が一番よく知っている。他人もそう認めているはずだ、と確信するまではいかなくても、そう信じる、言わば権利がある、とは思い込んでいたろう。
 そしてこの自信は、彼の言葉に力を与えたろう。その場にいた誰もが彼を信頼した。けれどこのような信頼はイメージに過ぎず、移ろいやすい。「チャンピオンが口にするのを食べる」(P.103)ように導く宣伝広告はCMが始まって以来絶えたことはないが、タレントや有名アスリートのイメージを商品につけられるのも、イメージそのものが元来無根拠でいいかげんで、さらにそれでもいいと認められていればこそではないか。
【それに、専制より自由のほうがよい、という価値観自体、現代の自由主義国ではそう教育され、真実とされているが、この時代でもそうだったとは限らない。現にローマは、B.C.24年にシーザーの養子が初代皇帝に即位すると、西ローマ帝国だけでも、A.D.476年まで帝制は維持された。】

 マーク・アントニーは、プルータスの論敵として、その論拠のなさを突けばよかった。ただ彼は、議論を申し出るのではなく、プルータスの後でシーザー追悼の演説をさせてくれ、と言うので、最初から意図を隠した詐術を使っていた。
 だいたい、議論なら、後から喋るほうが有利であることは、よく知られている。そこでアントニーは、論理、即ち理屈を弄したり、プルータスらシーザーの暗殺者たちを正面から非難することは避けた。代わりに、シーザーのエピソードを挙げた。
 「生前、シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰つたことがある、しかもその身代金はことごとく国庫に収めた」「貧しきものが飢えに泣くのを見て、シーザーもまた涙した」「過ぐるペルカリア祭の日のことだ、私は三たびシーザーに王冠を捧げた、が、それをシーザーは三たび卻(しりぞ)けた」。
 これらはすべて事実と言えるかどうか、わかる者はほとんどいなかったろう。たとえ事実と呼ばれ得るにしても、二番目の「貧しき者が」云々など誇張があるかも知れず、三番目のは野心を隠して実現し易くするためのよくある政治的なパフォーマンスだったかも知れない。しかし、確実に見せかけだ、と断言できる者もいないから、とりあえず素直に聴くしかない。
 その上でアントニーは、その事実に反するものとして、必ず「が、プルータスは言う。シーザーは野心を抱いていたと。そしてプルータスは公明正大の士である」と付け加え、これを三度繰り返す。反復は、ある主張を大衆に浸透させるために有力な手段であることは、ヒトラーやナチスの宣伝相ヨゼフ・ゲッペルスも認めるところだが、やみくもにやればいい、というものではない。私たち大衆は、確かに忘れっぽいし、初めて見聞きするものより慣れ親しんだものに好意を抱きがちだが、反面飽きっぽくて、慣れたものは軽視する傾向もある。後者は「擦り切れ」と呼ばれる現象で,これを防ぐには「ヴァリエーションをつけた反復」、つまり基本的に同じ情報でも目先を変えることが効果的である(P.160)。現にプルータスも、「ローマ市民なら、帝王は認めないはずだ」という主張を、言葉を換えて繰り返している。
 短時間で、同じ人間が、同じ言葉で繰り返すなら、聞く人はむしろ不快感が強くなり、言われていることの内容も陳腐に思えてくる可能性がある。さらに、その言葉「シーザーには野心があった」の前に、反証になる事実を置いて、疑念を生じさせる。かなりの高等テクニックで、プルータス自身をほとんど知らず、「人格者だ」という評判だけで納得していた人に、「本当にそうか」と反省させる力はある。

 大衆扇動家(アジテーター)としてのアントニーの真価が発揮されるのはこの後である。シーザーの部屋で遺言状が見つかったと告げる。本物だとしたら、暗殺を予想もしない時期に書かれたのであろう。読んでくれ、と当然要求されるのに、アントニーはなかなか応じようとしない。それではプルータスたち立派な、シーザーの暗殺者たちを誣いる(誹謗する)結果になりはせぬかと恐れる、とか言って。
 聴衆をじらすわけだ。この技巧は『プロパガンダ』中には直接挙げられていないが、希少性・入手困難性(P.220~221)を仄めかし、遺言状の中身の価値を期待感によって心理的に高める手法に近い。さらに、それが打ち明けられた時は、ある秘密が共有された気になるという意味での共同性・親密さを醸し出すグランファルーン・テクニック(P.193~201)の効果もある。
 いよいよ遺言を読み上げる前に、アントニーはもう一つダメ押しの演出を加える。シーザーの言葉はシーザーの傍でと、民衆を遺骸の周りに集め、マントの血のついた部分を指しつつ、「これが、あれほどシーザーに愛せられたプルータスの刃のあとなのだ」等と言う。こうして、耳で聞く言葉に視覚効果を加え、そして遺言は「全市民、一人一人に、七十五ドラクマずつ贈れ」。それ以外にも、シーザーがいかに傑出した人物だったかを訴える多くの言葉が繰り出されるのだが、これだけでも充分だったろう。かくて、プルータスたちは、ローマ市民たちに逐われる身となった。

 すべてをまとめて言うと、アントニーの勝因は、根本的に、この闘いをプルータス対アントニーの構図にはしなかったところだと言える。彼ら二人のどちらが立派な人物で、どちらが信頼に値するか、などは、様々な見方があるから、容易に決着はつかない。
 だからアントニーは、シーザーを前面に出して、自らはその栄光と悲惨の語り部になることに徹した。殺人の直後なら、殺した側より殺された側に同情が集まりがちなのは当然だ。殺した側がどんな正当性を並べようと、こちらはそれが疑わしいことを仄めかせばそれでいい。
 こちらはこちらで、遺言状は本物か、とか、傷口は本当は誰がつけたか、などに、疑わしいところがあったとしても、それをわざわざ問題にするのは、一般大衆レベルではまずないことだ。
 もう少し一般化して言うと、話している個人から言葉を放した方が、説得力は増す。次回これをもう少し検証してみたい。
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【小説】迷走する乗り物

2023年06月28日 | 創作


 薄暗い部屋の中にケイは胡座をかいて座っていた。二〇年ぶりぐらいで、お互いにずいぶん変わったろう。しかし思い返してみれば、私は彼の顔などほとんど忘れていたのだ。しかし、これはケイだ。それが証拠に、昔通り、いきなり妙なことを言い出した。 
「それじゃ、意識について話そうか」
 まあそんなようなことを、以前に彼の口から聞いたか、彼が書いたものを読んだような気がする。
「それはまず、自己意識のことだとしよう。いいかな?」
 とりあえず、頷くしかない。
「君は今外からこの部屋へ入って、中にいる俺を見た。そして俺の話すのを聞いている。世界は君にとって、そういうものとして、ある。つまり、君の意識にとっては、ということだ。こういうこと以外に、君が世界を知ることはできない。それはそうだが、しかし、それは本当にそうだろうか。部屋があって、俺がいる。それは本当にあることか、それとも君がそう思っているだけか。確かめる手段はあるのかね」
 またはじまった、と私は苦笑するしかなかった。しかし、彼の前にいるのだから、一応話は聴こうじゃないかと思って、腰を下ろした。その合図は伝わったものかどうか、ケイは昔のように、委細かまわず話し続けた。
「あらゆることも、ものも、疑うことができる。しかし、それだけは確かだとすれば、〈あらゆるものは疑える〉と疑っている自分がいなくてはならない。もしそれをも疑わしいと言うなら、〈あらゆるものは疑える〉こと自体が疑わしいことになるからだ。こうして〈自分〉は定立される」
 面白いか、そんな言葉の堂々巡り? と思っていると、
「面白くないよな」ケイは言った。
「え?」本当に驚いた。あまりにもタイミングがよすぎたから。心を読まれたか、と本当に思ってしまった。
「わかってるよ。そんなの、なんの証明にもなってない、と言いたいのだろう?」
 そんなこと、言いたくなかった。でも、本当にそうか? その時の思いを詰めてみると、そういうことになるのではないだろうか? はっきりとはわからない。
 なんてこともまた、しばらくしてから思ったことだ。その時は少し呆然として、特に何かを考えてもいなかったと思う。その状態の頭の中に、ケイの言葉が流れ込んできて、流れ去った。
「〈自分〉つまり〈自分という意識〉の側から〈自分はあるかどうか〉と問えば、いわゆる自縄自縛で、堂々巡りを繰り返すに決まっている。それではどうするか。ひとつ、視点、というか、出発点を変えてみたらどうだろう」
「出発点?」
 私はいわゆるオウム返しで言った。これでも対話のようになる。対話するコンピューターの得意技だ。つまり、意識のない相手とでも、ある程度なら対話をした、つもりにはなれるんだ。これも後で思いついた。
 現にケイは大きく頷いた。
「うん。意識はどうして生じたか、その起源に遡ってみるんだ」
 私は黙って彼の顔を見つめていた。これでも対話している気になれる。こればかりはまだコンピューターにはできない。生きている人間の得意技だ。
「今地球上に存在している生物は、まあ一日に何百種か絶滅しているという話があるが、種としては何千年かは生き延びているはずなんだから、それだけの特性を備えているはずなんだな。……そうだ」
 私は相変わらずなんの反応もしなかったのだが、ケイの頭の中では私が「特性って?」とでも呟いた感じになったのだろう。この場をビデオにでも収めればそれはモノとして〈客観的に〉残るのだろうが、それとは相対的に独立して、ケイの主観は残る。まあ、忘れるまでは。
「敵から身を守るための甲羅とか、敵を倒すための牙とか爪とかだな。敵というのはこの場合、自分の生存を脅かすものだ。いや、これちょっと早すぎたかな」
 ケイは今は私の頭の上の宙を眺めていた。自分の考えに没入して、私の存在は忘れたか? それとも、眼と、頭の片隅には残っていたか。わからない。忘れられたか片隅に追いやられたかした〈私〉とは何か。わからないまま、ケイの言葉だけは聞こえていた。
「ええと、生命の誕生は、究極的には謎なんだが、だいたいはこうだったかな。約三十五億年前、化学反応によって海中に、まあその元は隕石によって宇宙からもたらされたという話もあるけど、ともかくアミノ酸が産まれ、タンパク質を合成し、簡単に分解されないように細胞膜も作られた。その中で、自己複製能力があるRNAが形成されて、分裂によって増殖していった。これが最初の生命と考えてよい。
 ところで、とても脆いものであっても、細胞膜ができたのなら、膜の〈中〉と〈外〉ができたと言うことだ。そして分裂するんだから元は一つだったとしても、それぞれが別の膜を持つRNAが複数できたということだ。そのそれぞれが〈内側〉を持つ。そのとき自・他の区別がすでにあった、ということになる。こうして〈自分〉はできた。あ、もちろん、〈自己意識〉はまだだろうが。
 その後、より複雑で高度な分裂・再生ができる二重螺旋構造のDNAが生まれ、その他、生物を形成するのに必要なすべてを収納する〈核〉が生まれ、いくつかの細胞が結合して、生殖なら生殖、呼吸なら呼吸を担う部分部分を統合した大きな〈肉体〉と呼ばれるものになった。なんのためだ? 激変する地球環境の中で生き延びるためだ。とりあえず、海の中を、次には陸上を自由に移動できる能力は、その場の環境が悪化してもよそに行けるから、絶滅は免れる。そういう具合に」
「生物は遺伝子の乗り物、ってやつかい?」私はやっと言うことができた。
 ケイはびっくりしたように私を見た。「まあ、そう、だ」
「悪いけど、そこで、意識、じゃなくて意志か、みたいなものを想定するのは順番が違うみたいだよ。遺伝子が、そうなろうと思って、そういう進化を遂げたんじゃない。さまざまな形態が生まれて、そのほとんどが死滅して、生き延びる能力を備えたものが生き延びた。そういう能力は何十億年もの時間の中で、奇蹟のような確率で生じたのかも知れないが、何しろ偶然だ。偶然をあとから振り返ったら、必然のように見えるんだ」
「と、そう思っているのは君だ。そうだろ?」ケイはしたり顔で言った。やはりそうきたか。
「そうだが、それでどうなるんだい? 今君が言っている意識というのは、遺伝子に〈生き延びようとする盲目の意思〉かな、それがあったとしても、そういうものとはまるで違うもののはずだ」
「そう急いじゃいかん。まず、君にそう言わせている〈意識〉だな。それがなんの役に立つのか、を考えようじゃないか」
「役に立つって、ええと、私の中にもある遺伝子が生き延びるために、かい?」
「そうだ」
「立ってるんじゃないかな。世界の人口は、一八〇〇年頃に一億人に達し、その後爆発的に増加して、近年八十億人に達したようだ。乗り物がたくさん増えるのは、まあいいことに違いないから。これは、一八世紀の産業革命からこっち、人間の生活が豊かになったからだ。すべての産業や、医療の発達は、人間の意識がなかったら考えられないものだ」
「そうだな。それは人間が、悪環境から逃げ出すだけじゃなく、自分たちを取り巻く自然環境を〈外部〉とみなして、それを人間の存在にとって有利なものに変えるということだ。もちろん小規模なら他の動物もやる。鳥が巣を作ったり、ビーバーが川の流れを一部堰き止めたり。しかし人間が道具を使ってやることは比較を絶して大規模で、徹底している。それはまちがいなく、意識の中でも知性と呼ばれるものの働きだ。それだけなら、〈生き延びる〉という遺伝子の目的、ああ、少なくとも後からはそう見えるもの、に適合していると言える。しかし、そうではない働きも意識はする」
「そりゃそうだ。遺伝子が生き延びるために生活し、活動しようなんて思っている人はいない。個々人が幸福になりたくてやるんだ。自分一個の都合で子どもを作らないで死ぬ場合もある」
「自殺したり、それどころか、自分勝手な理由で他の個体を殺して、つまり他の個体が子孫を残すことを妨げたりするな。みんな自己意識の働きだ。こういう話の大本になっている感じの〈利己的な遺伝子〉から考えて、不合理極まりない。それはどうしてだ?」
 私は一応反論になりそうなことを頭の中から掘り出した。
「それほど大事じゃないさ。確かに個々の生物という乗り物がたくさんあるのはいいことだとさっき言ったが、ここまで増えたら、個々のモノの重要性は相対的に下がるだろう。だいたい、君を形成して、今も君の中にある遺伝子とは、君のオリジナルじゃない。そうだったら、〈遺伝子の乗り物〉なんて発想も出てこない。個々のRNAにまで分解したら、それは生命誕生の時点まで遡ることができるかも知れない。それにしても、自分をコピーし、様々に結合したり変異したりを繰り返して、多くの人の中にばら撒かれている。人口が半分ぐらいにでもなれば、それは遺伝子にとっても一大事かも知れないが、君一人が子孫を残さないとしても、どうってことはない。
 それにね、遺伝子が我々のすべてというわけじゃない。もうずいぶん前から研究されているみたいじゃないか。一卵性双生児は遺伝子情報は同一だ。しかし、成長の過程で、けっこう違いが出てきて、親なら確実に見分けられるようになる。まあだいたいは、せいぜい六〇パーセントぐらいが生得的に決まっていて、あとは生後に、固有の環境によって得られる特徴になるようだ。だから、指紋は別になる。それより何より、遺伝子は同じでも、双子の兄弟同士はやっぱり別の人間で、それぞれ別の自己意識を持っている。遺伝子は人間の体を作り出す材料と、設計図を提供するかも知れないが、できあがる生物そのものではないんだよ」
 ケイは声を上げて笑った。
「遺伝子から見たら、勝手に行動できる動物は、特に人間なんてのは、発達しすぎて制御しきれない乗り物、ということになるのかな。しかし、今はその人間が、遺伝子を組み換えて、新しい生物を作ろうとしている。もちろん、それは神の領域に手を出すことだ、なんて反対する声もある。それも無理はない。人間が作った乗り物の扱いをまちがって、暴走して、事故が起きる、なんてのはよくある話だけど、人間の意識そのものは、生命の存続から見て、あまりに逸脱し過ぎているようだからな」
「それも、そう思い込んでいるだけかも知れないんだ。私がさっき言った知識は、ごく浅い、いい加減なものだが、最先端でも、自然についてごく一部を単純化したモデルを作って、それですべてを理解したつもりになっているだけかも知れないんだ。極端な話、すべてが幻だということだってあり得る」
「それにしてもだ、自分のルーツを求めて、観察して、実験して、考えて、それについての、たとえモデルでも、イメージでも、作ってしまうのはすごいことだ。例えば自動車は、将来完全な自動運転ができるようになったしても、〈運転する自分とは何か〉なんて決して考えないだろう」
「〈考える葦〉か。しかしこの葦は、まず自分の弱さ、不完全さを見つめ、考えるもんだよ」
「それもまた幻ではない、とどうして言える?」
 幻。その言葉が頭の中で鳴り響くような気がした。最初に自分がそう言ったのだ。が、本当にそうか?
「知ってるかい、分かる、という言葉の語源は〈分ける〉なんだそうだ。上と下、前と後、明と暗、内と外、有と無、知と無知、という具合に世界を分けていって、ついには〈分かること〉と〈分からないこと〉も区分してしまった。意識の、知の方向として、それしかなかったようだ。しかしそれは、遺伝子というのか、〈生命そのもの〉から見て正しい方向だったのかどうか。むしろ、最大の迷妄だったのじゃないか。今の知の範囲だと、生命なるものもまた、極めて稀な、例外的な現象だとしても、惑星の運行と同じような、特に意味のない事態に過ぎない。でも、実際はこうじゃないか。この宇宙に意味を作り出す、それが生命の本当の目的で、我々は今、その前で、子供のようにただ恐れて、途方に暮れて佇んでいるんだ」
 そろそろ目を覚ますべき時だ。内部の何かが呟くと同時に、ケイの姿は消えて、いつもの自分の部屋のいつもの景色が見えてきた。
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