連休中で暇なので、また山本夏彦のコラムをまた自分で再度打ってみた。
このコラムは、昭和62年前後のものと思うけど、そこに書かれている内容は「いじめ」を代表に今とほとんど同じである。
戦前戦後、価値観、道徳、労働意識等随分変わったと思うけど、僕は新聞はじめマスコミが
戦前から一番変わってないと、山本夏彦のコラムを読んでの感想ですね。
そして、日本の社会は高学歴になるほど、左翼思想を尊ぶ人がいるけど、軍事力のない「反米」などは一つのファッションみたいなもので、野党の左翼政党が言っているうちはいいが、与党として責任政党がマジで反米などを言い始めるとそれは悲劇でしかないと思う。
今の円高というのも、日銀の対応もあるかもしれないけど、米国の仕掛けで円高が進んでいるとも思いますよ。そしてその左翼思想にマスコミも便乗してると思います。本当に「反米」「反TPP」唱えるなら、根本的には「核ミサイル」「空母」の導入など一朝有事の際は米国と堂々と渡り合える覚悟と実力がなければ、それは絵空ごとにすぎないと思う。
ではコラム・・ここから引用です
友のごときもの
何年も前から小中学生のいじめが話題になっている。
子供たちに自殺するものがあらわれてはかくしきれない。教師は生徒を殴るという。
なぜなぐるかというと殴らなければ生徒に殴られるからで、機先を制するのである。
中学生ならそのくらいの腕力はある。
何年か前生徒を刺した忠生(ただお)中学の先生は、恐怖にかられて機先を
制しすぎたのかもしれない。この中学は「日教組」の強い学校だった。
近所では知らぬものはないのに、NHKも新聞も日教組に言及することは避けた。
校内暴力は公立に多く私立に少ない。その割合は公立50、私立3だそうだが
これにも触れない。触れなくても父兄は知って私立の志願者は激増している。
なぜ言及することを避けるかというと、NHKと新聞の組合は日教組の友だからである。
NHKの組合はながく社会党の上田哲の支配下にあった。新聞の組合は「新聞労連」
に属している。新聞労連は共産党の強い組合だと聞いている。
NHKが言わなければ、または言えなければ「民報」が言えばいい。なんのための
民報か。
日教組は校長や主任をつるしあげる。犬畜生呼ばわりする。それを見たり聞いたり
して子供がまねしないことがあるはずがない。子供のすることはみんな大人の
まねである。日教組は一枚岩かというと社会党の右派と左派と共産党の三つに
分裂して永遠に揉めている。北海道は共産党が強いらしく、なが年「政党支持の自由」
で争っていた。ただ政党支持の自由と新聞が書くのは誤りかウソである。
政党なら昭和62年現在自民党あり公明党があるのに、ここで争われているのは
社共のどちらを支持する自由で、自民公明が論外ならそれは自由ではない。
日教組がこれを政党支持の自由と称するのは僭称である。人をあざむくためか日本語を
知らないためで、新聞やNHKがおうむ返しに言うのは、やはり日教組の友だから
である。
前にも書いたが社会党は北朝鮮だけを朝鮮と認めて韓国を認めていない。あれは
アメリカの傀儡政権だと三十なん年言い続けていることを新聞が大々的に
報じないのは報じれば「まさか」と国民にあいそをつかされるからである。
その韓国はオリンピックを主催するほどの国になった。オリンピックならマスコミは
恒例によって気が狂ったように騒ぐ。
さすがの社会党も窮して韓国を訪問することをきめた。訪問するなら
国家として認めたことになるからこれはニュースである。北朝鮮との仲は
どうなるか、それを新聞はどう報ずるか困るだろうと思うとちっとも困らない。
黙殺してただオリンピックを騒いでいればいいのである。だから私は「知らせる義務」なんて
言うなと繰り返すのである。新聞は読者はいくらでもごまかせると思っている。いかにもごまかせる
こと戦争中のごとしである。
新聞は社会党の土井たか子委員長のアメリカ訪問を成功したように伝えた。アメリカではまったく相手に
されなかったのに、好評を博したと社会党が言うのは当然だが、新聞が書くのは読者をあざむくものである。
いまだに非武装中立を唱え自衛隊を認めない政党の党首をアメリカが相手にするわけはない。儀礼的な
面会以外は誰も会ってくれなかったという。以上新聞は進歩的なものの不利を報じないから、ついこの間
まで日教組は健全だと思っていたら、ある日突然給料も払えない家賃も滞っている、このままでは電話
もとめられると読んでびっくりした。この崩壊は何十年もかかって生じたもので、やぶから棒におこったものではない。
それを報じないからだしぬけすぎて日本中の読者は驚いたのである。
以上新聞はいつまでも味方してくれるかというとそうではない。突然見放す。その例は千葉の動労の
報道ぶりにみられる。千葉動労は最後まで抵抗した。ひとりで全国の汽車をとめてみせると豪語して
事実一度はとめた。日本中に動労のシンパがいるから、ひとたび千葉動労がストライキにはいれば、全国の
同士が呼応して各地で「犬釘」を何本か抜けば日本中の汽車はとまるだろうが、新聞は手のうらを返して
それを書いてくれなかった。書いてくれなければいくら気勢をあげてもその気勢は存在しない。日本中を
震撼させることはできない。動労は新聞に裏切られたと思ったに違いない。
なぜ裏切ったかというとこれ以上動労の見方すると読者の支持が得られなくなるとみたからである。それは
部数につながる。部数が減ると思ったからである。この部数が減ることが一番怖いのである。新聞は一部部数を
ふやすために何千円何百円をつかっている。甲子園の高校野球の切符はただ同然でこれ以上の「拡材」はない。故に
甲子園の野球がどんなに腐敗しても永遠に純真無垢なのである。
主催の朝日新聞が無垢だと言いはるなら分かる。他の諸新聞まで無垢だと言うのは自分の催しのように
騒いで拡材にしているからである。
私はこの世の中に複雑なことはないと思っている。複雑に見えるだけだから単純化してみた。
ご不満もあろうが新聞は部数を減らしてまで彼らの味方はしない。それはこの頃俄かに「陛下」と
言いだしたことによっても分かる。これまで新聞は「天皇」と呼び捨てにしてきた。なん十年呼び捨てに
して出来るだけ敬語を省いて小中学生はもちろん大人にも省けと教えてきた。ところがご病気が篤いと
聞くと陛下と言いだした。これまで用いなかった敬語を用い出した。これは大人の読者の不興を買うことを
恐れたのである。不興を買って読者が減るおそれがあればどんなことでもする。私たちの情報機関は
こういう性格の持ち主で、彼らの争うのは末梢で根本ではないのである。そして新聞に責任者がいないこと
戦前も戦後も同じなのである。したがって国民はどこへつれて行かれるか分からないこともまた同じ
なのである。
このコラムは、昭和62年前後のものと思うけど、そこに書かれている内容は「いじめ」を代表に今とほとんど同じである。
戦前戦後、価値観、道徳、労働意識等随分変わったと思うけど、僕は新聞はじめマスコミが
戦前から一番変わってないと、山本夏彦のコラムを読んでの感想ですね。
そして、日本の社会は高学歴になるほど、左翼思想を尊ぶ人がいるけど、軍事力のない「反米」などは一つのファッションみたいなもので、野党の左翼政党が言っているうちはいいが、与党として責任政党がマジで反米などを言い始めるとそれは悲劇でしかないと思う。
今の円高というのも、日銀の対応もあるかもしれないけど、米国の仕掛けで円高が進んでいるとも思いますよ。そしてその左翼思想にマスコミも便乗してると思います。本当に「反米」「反TPP」唱えるなら、根本的には「核ミサイル」「空母」の導入など一朝有事の際は米国と堂々と渡り合える覚悟と実力がなければ、それは絵空ごとにすぎないと思う。
ではコラム・・ここから引用です
友のごときもの
何年も前から小中学生のいじめが話題になっている。
子供たちに自殺するものがあらわれてはかくしきれない。教師は生徒を殴るという。
なぜなぐるかというと殴らなければ生徒に殴られるからで、機先を制するのである。
中学生ならそのくらいの腕力はある。
何年か前生徒を刺した忠生(ただお)中学の先生は、恐怖にかられて機先を
制しすぎたのかもしれない。この中学は「日教組」の強い学校だった。
近所では知らぬものはないのに、NHKも新聞も日教組に言及することは避けた。
校内暴力は公立に多く私立に少ない。その割合は公立50、私立3だそうだが
これにも触れない。触れなくても父兄は知って私立の志願者は激増している。
なぜ言及することを避けるかというと、NHKと新聞の組合は日教組の友だからである。
NHKの組合はながく社会党の上田哲の支配下にあった。新聞の組合は「新聞労連」
に属している。新聞労連は共産党の強い組合だと聞いている。
NHKが言わなければ、または言えなければ「民報」が言えばいい。なんのための
民報か。
日教組は校長や主任をつるしあげる。犬畜生呼ばわりする。それを見たり聞いたり
して子供がまねしないことがあるはずがない。子供のすることはみんな大人の
まねである。日教組は一枚岩かというと社会党の右派と左派と共産党の三つに
分裂して永遠に揉めている。北海道は共産党が強いらしく、なが年「政党支持の自由」
で争っていた。ただ政党支持の自由と新聞が書くのは誤りかウソである。
政党なら昭和62年現在自民党あり公明党があるのに、ここで争われているのは
社共のどちらを支持する自由で、自民公明が論外ならそれは自由ではない。
日教組がこれを政党支持の自由と称するのは僭称である。人をあざむくためか日本語を
知らないためで、新聞やNHKがおうむ返しに言うのは、やはり日教組の友だから
である。
前にも書いたが社会党は北朝鮮だけを朝鮮と認めて韓国を認めていない。あれは
アメリカの傀儡政権だと三十なん年言い続けていることを新聞が大々的に
報じないのは報じれば「まさか」と国民にあいそをつかされるからである。
その韓国はオリンピックを主催するほどの国になった。オリンピックならマスコミは
恒例によって気が狂ったように騒ぐ。
さすがの社会党も窮して韓国を訪問することをきめた。訪問するなら
国家として認めたことになるからこれはニュースである。北朝鮮との仲は
どうなるか、それを新聞はどう報ずるか困るだろうと思うとちっとも困らない。
黙殺してただオリンピックを騒いでいればいいのである。だから私は「知らせる義務」なんて
言うなと繰り返すのである。新聞は読者はいくらでもごまかせると思っている。いかにもごまかせる
こと戦争中のごとしである。
新聞は社会党の土井たか子委員長のアメリカ訪問を成功したように伝えた。アメリカではまったく相手に
されなかったのに、好評を博したと社会党が言うのは当然だが、新聞が書くのは読者をあざむくものである。
いまだに非武装中立を唱え自衛隊を認めない政党の党首をアメリカが相手にするわけはない。儀礼的な
面会以外は誰も会ってくれなかったという。以上新聞は進歩的なものの不利を報じないから、ついこの間
まで日教組は健全だと思っていたら、ある日突然給料も払えない家賃も滞っている、このままでは電話
もとめられると読んでびっくりした。この崩壊は何十年もかかって生じたもので、やぶから棒におこったものではない。
それを報じないからだしぬけすぎて日本中の読者は驚いたのである。
以上新聞はいつまでも味方してくれるかというとそうではない。突然見放す。その例は千葉の動労の
報道ぶりにみられる。千葉動労は最後まで抵抗した。ひとりで全国の汽車をとめてみせると豪語して
事実一度はとめた。日本中に動労のシンパがいるから、ひとたび千葉動労がストライキにはいれば、全国の
同士が呼応して各地で「犬釘」を何本か抜けば日本中の汽車はとまるだろうが、新聞は手のうらを返して
それを書いてくれなかった。書いてくれなければいくら気勢をあげてもその気勢は存在しない。日本中を
震撼させることはできない。動労は新聞に裏切られたと思ったに違いない。
なぜ裏切ったかというとこれ以上動労の見方すると読者の支持が得られなくなるとみたからである。それは
部数につながる。部数が減ると思ったからである。この部数が減ることが一番怖いのである。新聞は一部部数を
ふやすために何千円何百円をつかっている。甲子園の高校野球の切符はただ同然でこれ以上の「拡材」はない。故に
甲子園の野球がどんなに腐敗しても永遠に純真無垢なのである。
主催の朝日新聞が無垢だと言いはるなら分かる。他の諸新聞まで無垢だと言うのは自分の催しのように
騒いで拡材にしているからである。
私はこの世の中に複雑なことはないと思っている。複雑に見えるだけだから単純化してみた。
ご不満もあろうが新聞は部数を減らしてまで彼らの味方はしない。それはこの頃俄かに「陛下」と
言いだしたことによっても分かる。これまで新聞は「天皇」と呼び捨てにしてきた。なん十年呼び捨てに
して出来るだけ敬語を省いて小中学生はもちろん大人にも省けと教えてきた。ところがご病気が篤いと
聞くと陛下と言いだした。これまで用いなかった敬語を用い出した。これは大人の読者の不興を買うことを
恐れたのである。不興を買って読者が減るおそれがあればどんなことでもする。私たちの情報機関は
こういう性格の持ち主で、彼らの争うのは末梢で根本ではないのである。そして新聞に責任者がいないこと
戦前も戦後も同じなのである。したがって国民はどこへつれて行かれるか分からないこともまた同じ
なのである。
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