宮城県出身ですでにカナダ、オンタリオ州トロント市に50年近く住まわれている狩野さんは知る人ぞ知る釣り名人である。 ジミーさんは数年前に50ポンドを超す”マスキー“をセントローレンス河ガナノクエで仕留めている。 この数年間、現在まで、このジミーさんの記録はおそらく破られていないと記憶する。もちろん、それは彼の釣り人生の中での最大のトロフィーだろう。 と言うのも、この魚、通称マスキー”Muskellunge”はカワカマスの一種で死ぬまで貪欲に捕食し、巨大化する。 これまでの記録では体長が2メートをこえ、体重も110ポンド、約50キロの大物がミシガン湖で釣れたとある。 マスキーは口に鈎がかかったと知るとたちまち水しぶきをたてて大飛躍し、渾身の力をふるってファイトする。しかし大食漢だが大変用心深く、気まぐれで、マスキーは釣りにくい魚であること、釣り師は誰でもみとめている。 なので、20ポンド物がつれたら一週間ぶっつずけで祝杯しろなどといわれているぐらいだ。 釣り師の間では一生に一度はこのマスキーの大物を仕留めたいと誰もが夢見るのだ。
その昔、開高 健氏がやはりこのマスキー釣りにオンタリオ州のヒュウロン湖のジョウジアンベイ、セントローレンス河のガナノクエ、そしてオタワのリドゥ運河で2週間の間挑戦した。 そしてついに首都、オタワの、それも近代都市の中を流れる運河でついに念願のマスキーを仕留める。 その時のことを”オタワの奇跡“として詳しく著書、写真集”もっと遠く!“の中で書いている。 その時仕留めたマスキーは約30ポンド、氏はキャッチ・アンド・リリース、釣った魚は放流する主義だったが、この時ばかりはこれをまげて、この魚を持ち帰り剥製にして、長く書斎の壁に飾ったとある。 余談だが、湘南の茅ヶ崎の氏の邸宅は開高さん没後、市民団体の方が管理され、一般に公開されており、この書斎のマスキー剥製を見たことがあるが、開高さんのこの
マスキー釣りについての思い入りを垣間見たような気がした。
私もトロント滞在時には何度かジミーさんの釣りに同行させてもらった。 Credit Riverのサーモン釣り、オンタリオ湖から産卵のため遡上してくる陸封のキングサーモンなみの巨大な鮭科の魚がいる、Ganaraska Riverのレイボウトラウト、通称スチールヘッド、Lake Cimcoでのアイスフイッシングなどだ。 みんな楽しい経験であったが、なかでもLake Cimcoでのアイスフイッシング、結氷した湖上での釣りは良い思い出だ。 夕暮れ前に湖に着き、生餌のスメルト(日本のクチボソ)を用意する。 その後、あらかじめ予約してあった釣り船屋にお目当ての“ハット”釣り小屋に雪上車で運んでもらう。小屋は約一坪弱の大きさで、両サイドにベンチのような椅子があり、床の中央が40センチx80センチぐらい切れていて、そのまま氷結した湖面も同様に切り開いてある。 この穴から釣り糸を垂らして手釣りをするのだが、釣り糸は天秤のような装置に置いてあたりを待つ。 室内はカーバイトのランプが明かりと暖房を兼ねる(チョット古いけど)。 もちろん換気窓もある。 ここで一晩中釣りをするのだが、ジミーさんがおでんや食料とワンカップ大関を用意してくれて、それを食べながら、飲みながら、だべりながら、寝そべりながらアタリをまつ。 狙いは“レイクトラウト”、気温が低い所に生息する魚でイワナと同類の魚だ。 夏は気温の低い湖底にいるので釣れないが、冬になると中上層を回遊する。 これを撒き餌のスメルトをまいて誘うのだが、このスメルトは生きたままコップに入れシェイクする。 それを湖面にまくとスメルトは目を回しているので一直線に下にもぐっていく、そして中層に至り、トラウトを誘うとユウ訳だ。 この晩はあいにくお目当てのトラウトは来なかったがホワイトフイッシュが釣れた。 白身の魚で、ジミーさんがその場でさばいてくれて刺身で食べた。 サッパリして美味だっ
た。
それにしてもカナダの魚はデカイ。 そして何処へ行っても文明と野生がうまく住み分けられている。 開高さんもまさかマスキーが都会の真ん中の、それも運河で釣れるとは思わなかっただろう。
この記事は数年前に他のサイトに投稿したものを再投稿しました。
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