平成27年9月16日(水)
兼題 : 桐一葉について
桐の花
潮路句会9月例会の兼題は「秋暑し」、「桐一葉」でした。
例会では、「桐一葉」に対する投句がかなり多く(15句)
在りました。
今までの句会では「桐一葉」が兼題として出された事は無く
私自身も余り、馴染みの在る季語では有りません。
にも関わらず多く読まれて、少々驚いて居ます。
桐の葉
正直、私自身「桐一葉」について余り判って居らず、
歳時記を見て、何となくイメージを働かせて読んだ、、
そんな反省で、今一度歳時記等を開いて見ました、、。
桐一葉(歳時記)
秋の初め、風も吹かぬのに桐の大きな葉がふはりと
落ち、秋の到来を告げる。 (角川歳時記)
初秋、大きな桐の葉が風もなくばさりと音を立てて
落ちるのを言う。 (ホトトギス)
或る朝、風に誘われてかすかな響きと伴に舞い落ちる
1枚の桐の葉に秋の訪れを感じる。(新日本歳時記)
中国では立秋の節に梧桐の葉が落ちるからだという。
今日の感覚から言えば秋来るを感じるのは、桐一葉
のみとは限らないが、平安の昔より連綿として、
桐が人々の日常にとってかけがえの無い素材として
身近な樹木の一つで、生活の実感から来て居る。
一枚の桐の葉に現代人の心に潜む喪失感を暗示させて
いる。
俳人の名句
よるべをいつ一葉に虫の旅寝して 松尾 芭蕉
桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜 虚子
老の胸驚き易く一葉落つ 富安 風生
桐一葉空見れば空はるかなり 久保田万太郎
桐一葉(戯曲)
明治の文豪、坪内逍遥(1859年 ~ 1935年)が、
歌舞伎の戯曲として、「桐一葉」を発表した。
豊臣秀吉の死後の、豊臣家の没落迄の情景を、芝居用に
脚色し、、、後に続編として「沓手鳥孤城落月」を発表。
坪内逍遥 : 桐一葉、沓手鳥(ほととぎす)孤城落月
あらすじ
関ヶ原の戦いの後、豊臣家を滅ぼそうとする徳川家康は
方広寺の鐘銘に在る文字の仔細に不備、難癖を付け、これを
理由に豊臣秀頼を大和郡山へ国替えをさせ、更に今後は
江戸まで毎年、参勤交代を命じる。
また、高台院(秀吉の正室のねね、北の政所を称す)を
人質として、江戸に下向させる事とした。
これを受入れなければ、大阪城を攻め滅ぼすと言明。
これに対し、豊臣家家臣団は憤慨し、徳川との交渉役であった
片桐旦元に対し、「不忠義である、徳川に内通している」と
誹謗中傷が飛び交い、旦元の失脚を画策する、、、。
旦元の奥方の一葉は、秀頼からの使者重成に夫の誠実を
涙ながらに訴えるが、、、、、。
最早、逆上し悋気に震える淀君には届くはずも無く、、
豊臣家内部は右往左往するばかり、、
遂には、冬の陣へと、、、、。
桐一葉日当りながら落ちにけり(高浜虚子)
物語は、豊臣家滅亡迄の葛藤を、坪内逍遥はシェークスピアを
手本として、 「ハムレット」の性格を片桐旦元に見立て、
「マクベス」のマクベス夫人の性格を淀君に見立てて、
戯曲化したと、言われている様です。
坪内逍遥は俳人としても知られて居り、多くの作品を読んで
居られます。
坪内逍遥 作
もとの婢の子を連れてくる秋日和
秋風や寸ほど延びし頤の鬚(あごのひげ)
兼題 : 桐一葉について
桐の花
潮路句会9月例会の兼題は「秋暑し」、「桐一葉」でした。
例会では、「桐一葉」に対する投句がかなり多く(15句)
在りました。
今までの句会では「桐一葉」が兼題として出された事は無く
私自身も余り、馴染みの在る季語では有りません。
にも関わらず多く読まれて、少々驚いて居ます。
桐の葉
正直、私自身「桐一葉」について余り判って居らず、
歳時記を見て、何となくイメージを働かせて読んだ、、
そんな反省で、今一度歳時記等を開いて見ました、、。
桐一葉(歳時記)
秋の初め、風も吹かぬのに桐の大きな葉がふはりと
落ち、秋の到来を告げる。 (角川歳時記)
初秋、大きな桐の葉が風もなくばさりと音を立てて
落ちるのを言う。 (ホトトギス)
或る朝、風に誘われてかすかな響きと伴に舞い落ちる
1枚の桐の葉に秋の訪れを感じる。(新日本歳時記)
中国では立秋の節に梧桐の葉が落ちるからだという。
今日の感覚から言えば秋来るを感じるのは、桐一葉
のみとは限らないが、平安の昔より連綿として、
桐が人々の日常にとってかけがえの無い素材として
身近な樹木の一つで、生活の実感から来て居る。
一枚の桐の葉に現代人の心に潜む喪失感を暗示させて
いる。
俳人の名句
よるべをいつ一葉に虫の旅寝して 松尾 芭蕉
桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜 虚子
老の胸驚き易く一葉落つ 富安 風生
桐一葉空見れば空はるかなり 久保田万太郎
桐一葉(戯曲)
明治の文豪、坪内逍遥(1859年 ~ 1935年)が、
歌舞伎の戯曲として、「桐一葉」を発表した。
豊臣秀吉の死後の、豊臣家の没落迄の情景を、芝居用に
脚色し、、、後に続編として「沓手鳥孤城落月」を発表。
坪内逍遥 : 桐一葉、沓手鳥(ほととぎす)孤城落月
あらすじ
関ヶ原の戦いの後、豊臣家を滅ぼそうとする徳川家康は
方広寺の鐘銘に在る文字の仔細に不備、難癖を付け、これを
理由に豊臣秀頼を大和郡山へ国替えをさせ、更に今後は
江戸まで毎年、参勤交代を命じる。
また、高台院(秀吉の正室のねね、北の政所を称す)を
人質として、江戸に下向させる事とした。
これを受入れなければ、大阪城を攻め滅ぼすと言明。
これに対し、豊臣家家臣団は憤慨し、徳川との交渉役であった
片桐旦元に対し、「不忠義である、徳川に内通している」と
誹謗中傷が飛び交い、旦元の失脚を画策する、、、。
旦元の奥方の一葉は、秀頼からの使者重成に夫の誠実を
涙ながらに訴えるが、、、、、。
最早、逆上し悋気に震える淀君には届くはずも無く、、
豊臣家内部は右往左往するばかり、、
遂には、冬の陣へと、、、、。
桐一葉日当りながら落ちにけり(高浜虚子)
物語は、豊臣家滅亡迄の葛藤を、坪内逍遥はシェークスピアを
手本として、 「ハムレット」の性格を片桐旦元に見立て、
「マクベス」のマクベス夫人の性格を淀君に見立てて、
戯曲化したと、言われている様です。
坪内逍遥は俳人としても知られて居り、多くの作品を読んで
居られます。
坪内逍遥 作
もとの婢の子を連れてくる秋日和
秋風や寸ほど延びし頤の鬚(あごのひげ)
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