<以下の記事を復刻します>
東日本大震災が起きた直後、ある人から聞いた話だが、金持ちの友人Aに高級中華料理をご馳走になった時、Aは義援金など1円も出さないと言ったというのだ。この話を聞いた時、それはあんまりではないかと思った。金のない庶民でも100円や200円ぐらい被災地へカンパしただろう。私も金はないが、ささやかにカンパをした。
話によると、金持ちのAは非常に「自立心」が強い人らしい。自分の事は全て自分でやるという信念のようだ。しかし、あれほどの大震災で困っている人が大勢いるというのに、1円も出さないとは何と冷たい男なのかと思っていると、ある事をふと思い出した。
それは1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の後だったが、当時、某テレビ局の社員だった私は、会社の用事で福井市へ行ったことがある。仕事上、福井市へはよく出張していた。
ある晩、当地でお世話になっている2人の方を料理店に招いて会食した。酒も入って良い気分になったが、話が阪神大震災のことに移った。当時は寄ると触るとその話で持ち切りだった。すると、地元で冠婚葬祭業やホテルを営んでいるOさんが、何かの拍子に「私は義援金はいっさい出していません」と言った。
私は驚いた。Oさんはとても律義で立派な経営者であり、もちろん金持ちで優しい人だったからである。どうして、Oさんは1円も義援金を出さないのか・・・
そういぶかっていると、彼は昭和23年(1948年)の福井大地震の話を始めた。後で詳しく知ったが、福井大地震は震度7クラスの物凄いもので死者・行方不明者が3769人出たほか、福井市は壊滅状態に陥ったそうだ。
ところが、戦後間もないこともあって、全国からの救援はほとんどなかった。それはそうだ。日本の各都市はアメリカ軍の空襲で焼け野原になり、どこもまだ復興に手いっぱいという状況だったのだ。福井へ救援の手を差し伸べるという余裕はほとんどなかっただろう。
福井市も米軍の空襲で丸焼けになり、ちょうど復興への途上だった。そこへ大地震が起き、復興から壊滅にまた戻ってしまったのだ。Oさんは色々な話をしてくれたが、それはそれは悲惨なものである。避難所も何もない。食事もない。トイレもない。その上、各地からの支援はほとんどない・・・
物凄い困難と生活苦の中でOさんらは生き延びてきた。だから、阪神大震災のように自衛隊や消防、ボランティアなどの救援はほとんどなかったのだ。時代が悪いと言えばそれまでだが、そうした極端な苦難を生き抜いてきたからか、Oさんは「自立心」が強くなったのだろう。阪神大震災の救援なんか、どうでも良いという感じなのだ。
しかし、私は白けてしまい、ほろ酔い気分も消えてしまった。福井市民が経験した辛酸はよく分かるが、やはり“時代”が違うではないか。もっと温かい手を差し伸べても良いではないかと思ったが、それ以上Oさんには何も言わなかった。
東日本大震災では、全国から救援や義援金などの温かい手が差し伸べられた。これは当然だろう。しかし、自立心が強い人達はそんなものはどうでも良いと考えている。私から見れば、冷たい「エゴイズム」と思うのだが、彼らは全くそう思っていない。全く動じないで平然としている。ある意味でうらやましいか(?)。
Oさんは実に立派な方で、最も信頼できる人だった。私はOさんを尊敬し、仕事の上でずいぶんお世話になった。しかし、何か違和感を覚えたのである。でも、仕方がないだろう。人間、それぞれ生き方があるのだから。 もっとも、こういう金持ちは税金をたくさん払っていると思うが・・・
<参考>福井大地震・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%9C%B0%E9%9C%87
お金を出さない人を半ば悪人のような扱いでコメントしている人がいて
それもどうかと思う所がありました。
私も募金しましたが、誰がどうとかではなく、自分の信念に基づいて行動したのなら
それでいいのではと思っています。
任意の善意の話ですからあまり話題には挙げないようにしていますが
パチンコとか無駄遣いする人には募金を強く促しています。
ただし、無駄遣いは嫌ですね。下らないことに使うぐらいなら、もっと有益なことに使えと言いたくなります。