<脳梗塞の記録を参考までに復刻します。 2013年>
脳梗塞になったことを書こうと思ったが、極めて屈辱的だから書けなかった。まるで人間モルモットだ。病人だから仕方がないが、何もできない。哀れなものだ。人間が単なる物体、物になる。認知症の方がもっと怖いが・・・
1月22日夕方、圏央所沢病院に救急車で緊急入院。救急車を使ったのは初めてだ。集中治療室に入り、脳のMRI検査などを受ける。血圧検査は上が200を超えて高い。左の手足が自由に動かない。特に手が駄目だ。足はなんとか動く。
MRI検査を2日間に3回受ける。はじめは「大丈夫、3~4日で退院」と言われたが、「脳梗塞で2週間は入院」に変わる。この結果、当初4日間は集中治療室で過ごす。テレビもラジオもなくまことに退屈な日々。夜はほとんど眠れない。時間のたつのが極めて遅く感じられる。
下の世話は看護師がやってくれるが、しょっちゅうトイレに行きたくなる。結局、管で自動的に排尿。点滴やら自動排尿装置で管がいっぱい。左手足が不自由なくらいなら、まだマシかと思う。車椅子は必要なさそう。男の看護師や療法士も多く、病院は良い雇用先だなと全く関係ないことを思う。妻がほぼ毎日、通院してくれた。非常に心強く思う。(2013年2月25日)
入院5日目から一般病棟に移る。テレビ付きの個室なのでホッと一安心。これで存分にテレビが見られる。部屋は良くなったが、食事は相変わらずまずい。仕方がないが、180カロリーの制限の上に調味料がいっさい使えない。醤油やソース、食塩などが全て駄目。このため食事がまずくて、喉を通らないこともしばしば。入院して10日目ぐらいに体重を計ったら、61キロだったのが55キロに激減。その後もほとんど回復しない。便秘になったので、下剤を服用する。
娘や孫、親戚らの見舞いは嬉しかった。ところで、酒やタバコとは縁が切れる。タバコは絶対に駄目、酒はごく少量なら良いと医師が言う。しかし、禁酒の影響で酒自体が嫌になる。
入院中、理学療法士や作業療法士、言語療法士などがしょっちゅう来る。昔とえらい違いだ。脳梗塞といっても軽い症状なので、妻が「どうせなら、口が利けなくなれば良かったのに」と憎まれ口をたたく。わが毒舌は健在ということだ。(笑。2月25日)
アメニティ費用、オムツ代など。1万8千円ぐらいかかった。すっかりオムツカバーに慣れる。どんどん替えてくれるので、いい商売なのだろう。しかし、慣れると気持がいいものだ(笑)。清潔でもある。
2月5日退院。15日間入院でまあまあということか。足がふらつくので車椅子を使うが、自宅に戻ったら一切関係なし。退院後はオムツの厄介にならずに済む。 ただ、外出はまだ無理で、夜すっきりと眠れない。何度でも目が覚める。睡眠導入剤が必要か。
退院後、週2日のペースでリハビリが始まる。圏央所沢病院は車で15分ぐらいの所。妻の運転で全く問題はない。リハビリ室にはいつもかなりの患者がいる。ここも繁盛しているようだ。(2月25日)
リハビリは週2日で1日1時間、大体そんなペースで良いようだ。だいぶ体が動きやすくなった感じ。
今日、退院後(今月5日)初めて、家の近くを家内と散歩する。百数十メートル。だいぶ暖かくなったから良い。1ヶ月以上、散歩していなかった。まだ、赤ん坊がよちよち歩きをするのと同じ。よく歩けました(笑)。少し疲れたが、これから春の暖かさになるので最高! 大いに歩こう。(2月27日)
今日はだいぶ暖かい。家内と連れ立って車で久しぶりに「航空公園」に行く。絶好の散歩日和、今日は頑張って1800歩ぐらい歩く。ゼロ戦のところまで歩くのが精一杯、でもよく歩いた。よく見ると、ゼロ戦って大きいね。まだよちよち歩きだが、これからも大いに歩こう。
娘が急にわが家に来る。ご機嫌伺いだそうだが、来てくれるのはありがたい。(2月28日)
昨日は1500歩、今日は1300歩ぐらい歩いたが、今日は初めて妻の世話にならず一人きりで歩く。自信がついた。これから一人きりで歩くケースが増えるだろう。歩き方は下手だが・・・(3月4日)
左手が不自由なので右手を大いに使ったら、右の親指などを痛めてしまった。湿布を貼ったから何とか治りそう。もう一人で散歩をする。今日は坂道の少ない所を1600歩ぐらい歩いたから、右腰を痛めずに済んだ。坂道は良いが、どうしても利き腰を痛めてしまう。考えどころだ。杖を使わずに歩けるのが唯一の救いか。暖かい気候になって、ずいぶん歩きやすくなってきた。
タバコは百害あって一利無しとのこと。完全に止めたが、何十年も吸っていたのでよく止められるものだ。時々、口元が寂しくなる。古い葉巻が何本か残っているが(笑)。ガスライターも灰皿も全て無くすとOK。(3月7日)
昨日はうっかりして風の強い中を散歩したら、かなり疲れた。フラフラ、ヨチヨチの歩き方がさらに酷くなる。娘や孫たちが遊びに来たが、孫の一人に缶詰を開けてもらう。まだ、両手の指に力が入らないので缶詰などを開けるのは苦手だ。健常の時は全く興味がなかったが、庭の散歩が好きになる。リハビリみたいなものだ。
今日は風も穏やかで散歩日和。歩き方もだいぶ良くなったが、正常に復帰するにはまだまだ時間がかかりそう。テレビは東日本大震災2周年の報道ばかりだ。(3月11日)
歩き方が前より悪くなったかと心配になったが、今日たまたま、スリッパが履けて大満足、感激! 脳梗塞になってから2カ月近くなるが、スリッパが履けるとは。これから大いにスリッパを履こう!(3月16日)
今日は散歩が好調、1600歩を歩く。もっと歩ける感じだ。左足と右足のバランスが良く疲れない。こういう感じは珍しい。もしかすると、脳梗塞が治ってきたか(笑)。 もちろん楽観は禁物だが、気分が良いものだ。スリッパを履くのもスムーズになる。ただ、左手はぎごちなく正常な動きにはほど遠い。まだまだだ。 娘と孫娘3人、トイプードルが来ている。(3月24日)
今日も寒い! 寒いと脳梗塞も治りにくいのでは・・・散歩をしたが、予定より短めに終了。明日から4月だが、早く暖かくなって欲しい。花冷えも極まれりだ。
サハリンのロシア人女性が激励の電話(SKYPE)をくれる。彼女に病状を話したが、とても心配してくれた。9月のサハリンは実に良いそうだが、それまでに完治するかどうか分からない。医師の言うことは聞くが、なにせ年だから。まあ、希望を持ってリハビリに頑張ろう。石原慎太郎氏も軽い脳梗塞になったとか・・・われわれは年だ(笑)
小説『初恋』はようやく軌道に乗った感じだ。頑張るしかない。(2013年3月31日)
私も脳梗塞を3回もやりました。
3年前に1回目を、この時に右半身まひ、右眼が失明状態、左耳が聞こえない状態、言語障害、記憶障害などなど・・・
私の場合、いきなり起こるのではなく、徐々にひどくなるので、治療時期が過ぎてしまい、リハビリ以外は効果を期待できない、その後も2回ほど起きましたが、眼の焦点が合わない状態が2週刊くらい続くけど自然なのか?治っています、昨年は4月と11月に心筋梗塞をやりましたが、なんとか命が助かりました、不思議ですが、納豆を昼と夜に食べるようになったら、ある程度視力が回復しました、PCをテレビにつなげて大画面で字が読める程度ですが、生きがいが出来て生きられます。
私よりもずっと重い症状だったのに、よく回復しましたね。立派なものです(拍手)。
納豆は体に良いと聞いていましたが、本当ですね。参考にします。
これからも大いに励んで下さい。時々のご訪問を楽しみにしています。
現在のブログ記事では当時のご病気の様子が微塵も感じられません。きっと積極的に治療に専念された賜でしょう。しかし怖い目に遭いましたね。
人間生きていれば、そしてある年齢に達すれば誰もが病気に見舞われます。私はたった3日間でしたが、入院して若い医師や看護師に世話になってつくづく自分は高齢者なんだと自覚をしました。健康なうちは若いときと同じようなことをし続けてきたのであまり年齢の事は考えませんでしたが、一度入院などすると、いやが上にも高齢者ということを自覚させられますね。
しかし、これに負けていられない事情もありまして・・・。
此処で、矢嶋さんに切々と我がことを言うわけにいきませんのでこれぐらいにしておきます(^^ゞ
回復されて本当に良うございました。
脳梗塞になった時、家に妻と次男がいてくれたのが良かったですね。すぐに救急車で運ばれたのが幸いでした。こういう病気は時間が勝負だとかで、遅れると症状がいっそう悪くなってしまいます。
約半年間 リハビリに精を出したので、今は不具合はほとんどない状況です。しかし、運動神経などはだいぶ落ちましたね。また、無意識にふらつくことがあります。年なので仕方がありません。
貴女は大切なご主人を抱えておられるので、いろいろ神経をお使いになるでしょう。どうぞ、お二人そろって元気に長生きされることを願っています。
今後もいろいろ情報を交換し、お互いに切磋琢磨していきましょう。よろしくどうぞ。