<以下の文を復刻します。>
年配の人はほとんどが「おふくろの味」を覚えているだろう。おふくろの味とは一般に、子供の頃の家庭料理と言ってよい。
ところが、今ではインスタント食品、冷凍食品、レトルト食品などの普及で、子供たちがおふくろの味を覚える機会が減っているのではないか。いや、そんなことはないと言う人がいれば幸いだが、何か「おふくろの味」が失われていくような気がしてならない。そうでなければ良いのだが・・・
私の母はとっくに亡くなっているが、今でもおふくろの味というと幾つか挙げることができる。おふくろの味を想うと、母の面影が浮かんできてほのぼのとした気持になる。自分がいくら年を取っても母は母なのだ。
私の「おふくろの味」を挙げろと言われれば(昨夜から考えていた)、朝鮮漬けと肉巻き、寒天の3つだ。どれも実にうまかった。
朝鮮漬けとはキムチのことだが、うちの場合は特に白菜漬けだった。おふくろは父と朝鮮で結婚し、そこに長く住んでいた。「朝鮮」とは今の韓国と北朝鮮の両方だが、ソウルにもピョンヤンにも他の所にもいたから、自然に朝鮮漬けに慣れていったらしい。和風の味付けだから“キムチ”のように激辛ではない。しかし、唐辛子やニンニクがほど良く効いていて実にうまいと思った。あの味は忘れられない。
肉巻きもうまかった。中にゆで卵、ほうれん草、椎茸が入っている。この組み合わせは母が死ぬまで変わらなかった。夕飯のお数(かず)に作ってくれとよくせがんだものだ。
寒天は絶妙の味だったと思う。甘すぎず薄すぎず調和が取れていて、口に入れるとプリプリして弾力性があった。
結婚してから妻に、肉巻きや寒天などを「おふくろのように作ってくれ」と頼んだが、なかなか思うようにはいかない。“老妻”になってだいぶ上手くなったようだが、それでも、おふくろの味は妻の味よりも優っていたように思う。
つまり、おふくろの味というのは、子供の頃から身についたものだから、他の人にはなかなか出せないのだろう。これは仕方がない。
今の子供たちは、先ほども言ったようにインスタント食品や冷凍食品などが氾濫しているため、おふくろの味を味わうことが少ないのではないか。その点、昔は惣菜などはほとんど“手作り”だったから、われわれの年代の者は母の味を楽しめたのである。そう考えると、われわれは幸せだった。
さて、皆さんにとって「おふくろの味」とはどんなものだったろうか。
この先を書いたのですが、長くなりすぎたので削除。自分のブログに書くことにしました。
御手すきの際にご覧頂ければ幸いです。