<この記事は2007年1月13日に書いたものでそのまま復刻します。>
最後の日本産トキ「キン」の剥製
正月早々、東京・渋谷区で兄が妹を殺して遺体をバラバラにしたかと思うと、同じ渋谷区で今度は妻が夫を殺しバラバラにして遺棄するなど、恐るべき事件が相次いで発覚した。殺伐とした世相の中で、何か明るい話題はないものかと新聞を読んでいたら、中国から年内にも、数羽のトキが日本に贈呈されるという記事が目に留まり、ほっとした気分になって筆を執りたくなった。
トキ(朱鷺・鴇)は国際保護鳥であり、また特別天然記念物にも指定されている極めて貴重な鳥である。 “日本産”のトキはすでに絶滅しているが、8年前に中国から番(つがい)のトキが贈られてきて、人工増殖や自然繁殖が行われている。トキは今や「日中友好」のシンボルとなっているようだ。
残念ながら、私はまだ実物のトキを見たことがない。しかし、映像や鳥類図鑑、インターネットなどで見ていると、この鳥はとても美しい感じがする。 美しいと言っても、クジャク(孔雀)のような極彩色に輝く豪華絢爛(けんらん)としたものではなく、清楚な中にも淡い“色香”を漂わすたぐいのものだ。
白い体に頬を朱色に染めている姿も美しいが、飛び立つと淡紅色(ピンク、つまり朱鷺色)の羽をいっぱいに広げて優雅に空を舞う。 私は映像や図鑑でしかその姿を見ていないが、トキの美しさが“幻覚”のように脳裏に広がってくるのだ。その姿は優美そのものである。
私がトキを知ったのは、45年も前の大学2年の終わり頃だった。当時、一般教養科目で「生物学」を受講していたが、その中でたまたま“絶滅種”の話しが出てきた。T教授は「extinct」という用語を使ったと記憶しているが、絶滅寸前の鳥として日本ではトキの名前を挙げた。 後で調べたら、トキの学名は「Nipponia nippon」だそうで、その前年(1960年)に国際保護鳥に選定されている。 つまり、極めて日本的で貴重な鳥であったから、T教授は講義の中でトキの例を挙げて話しを進めていったのだと思う。
ところが、私はこの時、頬が火照るのを感じた。なぜかと言えばその頃、私は土岐さんと言う女子学生に恋心を抱いていたので、トキから土岐を連想し赤面してしまったのだ。 結局、土岐さんとの関係は破恋・失恋に終わってしまったが(彼女はすでに他界されている)、その時からトキは決して忘れられない鳥になった。
その後、社会に出て仕事や旅行で新潟(私の生れ故郷だが)方面へ行く時は、上越線の特急「とき」によく乗ったが、そういう時は必ずと言ってよいほどまだ見ぬトキの幻影を思い浮かべた。 私は空想や幻想が好きだから(これは悪癖、欠点でもある)、夕陽に輝くトキが美しく空に舞う姿を想像していたのだ。
ここで、故人となった土岐さんとの因縁について少し述べたいが、45年も昔の話しなので“時効”ということでお許し願いたい。 また極めて個人的な話しであり、歴史的な事柄にも触れるので大方の人は興味を失うだろう。そういう方々とはここでお別れしたい。
さて、彼女の姓である「土岐」は美濃の国、現在の岐阜県に由来するという。歴史をひもとけば、室町時代の初期に土岐氏が美濃の守護大名になったが、16世紀中頃に土岐氏はあの“マムシ”の斎藤道三によって追放された。しかし、その一族や末裔は全国各地に広がっており、土岐さん自身もその一員だと聞いたことがある。
ところで、私の父方の祖先(柴田姓)も同じく美濃に在住していて(現在の多治見市)、土岐氏の氏族である明智家に属していたという。 明智家は“三日天下”の明智光秀で有名だが、土岐氏の流れを汲んでいるだけに家紋は美しい「水色桔梗」で主家とまったく同じだ。土岐氏も私の先祖が仕えていたという明智氏も、戦国乱世の中で悲しい運命をたどったが、そういう歴史ロマンが私の心をいっそう土岐さんに向かわせたのかもしれない。(はるかに上の主家筋だから、土岐さんが“お姫様”のように思えたのだろう。)
そして、トキを知ったことが私の想像力をいやが上にも高め、彼女への恋文にトキのくだりを書いたことを覚えている。もう半世紀近くも前のことだから時効だというお許しを得られるとして、恋文のほんの一部を記してみたい。
私は“トキ”を思い浮かべながら、詩の中で「・・・夕陽にさらに赤らむ君の頬の美しさ・・・」と書いた。その時、トキの幻影は土岐さんと一体化したのだ。それによって、私の心はますます高揚していったのを覚えている。 拙劣な詩文はこれまでにしておくが、それらは私の自伝的小説「青春流転・第二部」に収めた。
絶滅寸前だったトキは“復活”した。 新潟県の「佐渡トキ保護センター」には今、97羽のトキが人工飼育されているという。前の新聞記事によれば、それらのトキを徐々に自然な状態の中で生かしていくため、年内にも、中国から野生のトキ(先生役)を譲り受けて慣らしていくのだそうだ。
やがて、何十羽というトキが佐渡の空に舞う日が来るだろう。私たちはそれを見ることが出来るかもしれない。 朱鷺色の羽を広げて飛ぶトキの姿を見てみたいものだ。そうなれば、多くの人が美しい「Nipponia nippon」のいる日本を喜び、この鳥を愛するようになるだろう。(2007年1月13日)
ずいぶん個人的なことを書いた恥ずかしい記事ですが、コメントをありがとうございます。
朱鷺はずいぶん知れ渡りましたが、昔、人間がそれを食べていたとは初耳でした。カラスと同じように沢山いれば、そうなっても不思議ではないと思います。
動物や鳥などが多すぎれば人間に害を与えるので、それを駆除する必要が出てくるのでしょう。
一方、少なすぎて絶滅の危機が出てくれば、それを大切に保護するのは当然かもしれません。
要は、人間中心に考えればそういうことになります。
人間って勝手だな~と思うこともありますが、生物界とはそういうものでしょう。
あまり良いコメントにはなりませんでしたが、そういうことで失礼します。
私の母が若かった頃〔明治~大正頃?〕朱鷺はたくさん居てカラスなどのように空を飛んでいたそうです。それを人間が食べちゃった。。。朱鷺の絶滅の元凶はやはり人間だったんですね。絶滅はそればかりが理由とは思いませんが、その罪は重い。
朱鷺が元通りの生態を取り戻すまで人間がかかわらなければならないと思いますね。