<2018年2月に書いた以下の記事を復刻します。ゴミ出しジジイの戯言なので大目に見てください。>
昨年9月に妻が入院・手術をしたために、一時、すべての家事や雑務をせざるを得なくなった。といっても、夫婦2人暮らしだから大した仕事量ではない。しかし、ふだん一切の家事を妻に任せていた亭主関白(?)の自分にはショックだった。
具体的には食事、洗濯、ゴミ出しが主な仕事だ。このうち、食事と洗濯は大したことではなかった。食事は、料理とまったく無縁な自分はスーパーやコンビニで弁当や総菜を買うしかなかったが、店に通ううちにそれらを買うのがかえって楽しくなった。
スーパーなどには様々な弁当や総菜があり、物色するのが楽しくなったのである。本当に便利だった。また洗濯も、全自動の洗濯機に下着などを入れてしまえばすべてOKである。あとは干してたたむだけだ。
問題はゴミ出しである。私の地域ではゴミを7種類に分けなければならない。これがけっこう面倒で、生ゴミやプラスチック、瓶や缶、ペットボトルや破砕ゴミなどに分別しなければならない。慣れた人は何ともないだろうが、初めての体験に私は手間取った。ふだん、一切の雑務をしなかった報いである。
最も面倒なのは、新聞や雑誌など紙類の整理だ。特に新聞はかなりの広告が入っているから、すぐに分量が増える。また郵便物や他の広告がポストに入るから、紙・ペーパー類のゴミの量はアッと言う間に増えてくる。こんなことは誰でも分かっていることだが、それまでゴミ処理をほとんどしたことのない自分は唖然としたのだ。
惰性で新聞を取っていた私は、老眼で目が悪いのであまり紙面を読まない。大相撲の記事だけはよく読むが、最近は政治や社会面の記事もほとんど読まない。ニュースはテレビやネットでだいたい分かるのだ。そこである日、某全国紙の購読を止めることにした。
新聞を何十年も取っていたので少し寂しかったが、購読を止めると、紙類のゴミは一挙に減ってその処理が実に楽になったのである。ただし多少の“腐れ縁”で、共産党の『赤旗』日曜版だけは、薄っぺらで大したゴミにならないから取り続けることにした。
こうして家事や雑務に慣れていったが、退院した妻が健康を回復すると、またほとんど何もしなくなった。しかし、いつ何が起きるか分からないので、ゴミ出しだけは自分が担当しようと決め、1週間のうち3~4回は近くのゴミ収集所に通うことになった。
これが時には重い物も運ぶので、運動にはけっこう良い。今はすっかりゴミの“運び屋”になった。自分の体が大丈夫なうちはずっと続けるつもりだが、そのうちよく『断捨離』という言葉を思い出すようになった。ご存知『断捨離』は何年か前から流行っている言葉だが、まさに自分はいつも『断捨離』を実行している気分になったのである。
モノを大切にする気持ちは良いが、一方ではモノを整理することも必要だ。その兼ね合いがポイントになるが、それはモノを整理していくうちに何となく分かってくるのだろう。現代は「モノ」が有り余っている。自分なりに考えて実行していこう。(2018年2月26日)
今年もよろしくお願い申し上げます。
我が家も夫はなにもしないのですが、ゴミ出しだけは長年の義務としてやっています。
ですから、ゴミの選別は私は判りません。もし夫に入院でもされたら困りますね。いまからゴミの選別を聞いておこうかと思いました。
家事にいっさいタッチしない殿方は奥様に何かが起こった場合オロオロするでしょうね^^コンビニ弁当も2,3日で飽きるとききます。
私も他に何もしないのですが、数年前からゴミ出しだけはやっています。家内が病気でダウンしたのが大きなきっかけですね。また当時の舛添都知事が、ゴミ出しをやっているという報道にも刺激されました。
ゴミの選別は地域によってかなり違います。仕分けが少ない地域は助かりますが。
家内に何か起きればなんとかやりますよ(笑)。いや、なんとかするだけです。
今やスーパーやコンビニなどの弁当は豊富ですから、買うのが楽しみですね。女房が健在でも、よく買いにいきます。 本日の夕飯もスーパーで買った弁当です!
ご主人は立派ですね。ゴミの選別までしっかりとおやりになっているのです。
私は単に、集積所までゴミを運んでいるだけで、大部分はやりますが、一部は妻に任せています。
もう少し、ご主人に敬意を表されては・・・(笑)