<2011年10月13日に書いた以下の記事を復刻します。>
死刑制度が良いか悪いかは別にして、日本には「終身刑」制度がないことはご存知だろう。私は以前にも書いたことがあるが、死刑制度の存廃がどうなろうとも、終身刑が導入されれば量刑判断の幅が広がり、一般の“裁判員”もやり易くなると思っている。
「裁判員制度」には色々な問題があるが、それはさておき、裁判員は『量刑』についても考えなければならない。それが大変だと思う。懲役○×年というのは良いとしても、殺人など凶悪犯罪の場合は死刑か、無期懲役かの判断をしなければならない。これが厄介だ。「無期懲役刑」には仮釈放がある。凶悪な殺人犯を仮釈放して良いのかと思っても、さりとて、死刑に処するには抵抗を感じたりすることもあるだろう。こういう場合に「終身刑」制度があると、そこに落ち着く可能性が大きいと考える。つまり、量刑判断の選択肢が広がるということだ。
現実的な話から入ってしまったが、少し法律的な話をしよう。死刑制度の良し悪しはともかく、憲法第36条には「公務員による拷問 及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という規定がある。絶対に禁じるというのだ。
日本の場合、死刑の方法は絞首刑である。私は「絞首刑」は残虐な刑罰だと思っている。何人も人を殺した凶悪な殺人犯がいると、あんな奴は絞首刑になって当然だと思う人が大半かもしれない。まして、身内の者を殺されたら、誰だって許せるものかと思うに違いない。私だって、子供や孫が殺されたら、絶対に許せるものかと思い、死刑囚に対して深い憎悪を抱くだろう。しかし、憲法には「残虐な刑罰は絶対に禁じる」と書いてあるのだ。
それなら、死刑囚に青酸カリを飲ませたり、安楽死させようというのか。それも議論のあるところだろう。いや、絞首刑はあっさり死ねるから、残虐ではないと言う人もいるだろう。他に残虐でない死刑執行方法を考えて欲しいが、それを議論し出すと切りがないので、この辺で止める。
要は「終身刑」を導入するかどうかである。凶悪殺人犯に無期懲役(仮釈放がある)は軽いと考えても、死刑は重過ぎると感じて躊躇した場合、終身刑があれば、そこに落ち着く可能性が高い。
これは死刑廃止論者にとっても歓迎すべきことである。死刑判決の冤罪(えんざい)事件を防ぐことにもなる。また、終身刑というのは一生懲役に服すから、受刑者は自らの“重罪”を償(つぐな)うことが出来る。ある意味で、簡単に死刑になるよりも重い刑罰かもしれない。「罪と罰」の概念から言えば、これほど合理的な刑罰はないだろう。それなら、被害者の遺族も納得してもらえるかもしれない。
考え方はさまざまだが、『終身刑』はアメリカや中国、オランダなど諸外国にもある。日本にあって何らおかしくはない。また、昔風に言えば「死一等を減ずる」という意味合いもある。言いたいことは他にもあるが、本日はこれまでにしておきたい。(2011年10月13日)
ただ、私は人間の『罪と罰』についても深く考えたいのです。最近は、光市母子殺害事件の裁判も印象に残っています。
人間の尊厳、生命の尊厳が根底になければなりません。これからも大いに考えていきます。
琵琶さんの所にもお邪魔しました。紹介してくれるのは有難いことです。
専任の職員や外部の識者の意見に基づき死刑囚の刑の執行の可否を決めるものです。
刑罰は執行が無条件に義務づけられるものではなく、刑務所は裁判所の判決を執行しない自由があることは金銭債権を巡る裁判などにも明らかです。
勿論、その判断が公正公平でなくてはなりませんが、悔悛の情の真偽や再犯の可能性など、死刑囚の本音を窺い知ることはそう難しいことではなかろうと思います。
世界に例がないのならば日本が世界初を行うべきです。
或いは知られてはいないだけで実際には少なくはない前例があるのかもしれません。
ただ現状では、終身刑導入が最もリーズナブルでしょう。 もちろん、各層各界の意見を聞いていくべきです。
今のままでは「死刑」は存続するでしょう。人間には「罪と罰」がありますから。被害者遺族の気持は最も大切だと思います。