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世界遺産 崎津教会 大江天主堂 イルカ ハイヤ 気嵐
切支丹館 殉教公園 天草・島原の乱 天草松島 Ama-Biz

夕方の呟き

2018-07-09 19:14:21 | 日記
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1 NHK 熊本県のニュース|NHK NEWS WEB
www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/

天草 赤うにキャンペーン試食会
07月09日 16時52分

天草市の宿泊施設で、粒が大きく、甘みが強い「赤うに」が味わえるキャンペーンが始まるのを前に、9日、試食会が開かれました。

キャンペーンは、天草市の五和町観光旅館組合が漁の解禁を迎えた「赤うに」をピーアールし、夏休み期間中に多くの観光客を呼び込もうと今月21日から行うもので、7つの宿泊施設が参加します。

9日は観光関係者などおよそ20人が参加して試食会が開かれました。

ぜいたくに30グラムのうにを使った「うに丼」やうに本来の味を楽しめる殻付きうに、それにアワビの焼き物や地魚の刺身などが並べられ、参加者は天草の新鮮な海の幸の風味を楽しんでいました。

五和町観光旅館組合の山下芳生組合長は「赤うには大きくて甘く、おいしいうにです。五和町自慢の赤うにを多くの人に食べていただいて笑顔になってほしいです」と話していました。

このキャンペーンは今月21日から来月31日まで行われ、このほかに野生のイルカを船の上から眺めるイルカウォッチングがセットになったプランもあるということです。

問い合わせ先は天草市商工会五和支所で、電話番号は0969−33−0276です。

2 NHK 長崎県のニュース|NHK NEWS WEB
www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/

五島市で世界遺産のガイド研修会
07月09日 17時11分
世界文化遺産に登録された「潜伏キリシタン関連遺産」がある五島市で、観光客に対応するガイドのための研修会が開かれました。

五島市からは「奈留島の江上集落」と「久賀島の集落」が世界文化遺産に登録される一方、対応できるガイドの登録者数は18人で、外国人に対応できるガイドは2人と少ないことから、ガイドを増やすとともに観光客に資産の価値やマナーについて伝えてもらおうと研修会が開かれました。

ガイドや観光関係者など60人が参加し、カトリック福江教会の中村満主任神父が講義しました。

この中で中村神父は世界や日本の多くの人たちに資産を知ってもらうことが登録の目的だとしたうえで、「教会堂は信者にとって神への礼拝を行う聖なる場所で礼儀や節度のある行動が大事です。土足で上がらないなど見学のマナーを守ってほしい」と呼びかけていました。

参加したガイドの1人は、「世界遺産になって観光客も増えるため、市民としての共有意識が必要になります。こういう催しは大事だと思いました」と話していました。

3 天草市に関するトピックス:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/topics/word/天草市.html

水田に浮世絵の美人画 熊本・上天草で田んぼアート
大矢雅弘
2018年7月9日18時57分
写真・図版
浮世絵の美人画を絵柄にした田んぼアート=熊本県上天草市

 熊本県上天草市教良木の山浦地区の水田に、異なる色の稲穂で巨大な絵を描く「田んぼアート」が登場した。今年は喜多川歌麿が描いた浮世絵の美人画が浮かび上がってきた。

 天草四郎観光協会(同市)が観光客を呼び込もうと2015年から企画。今年は地元住民でつくる「老岳まちづくり委員会」が引き継ぎ、5月末から6月にかけて約60アールの水田に黒や白、赤、緑、茶など6色、6種類の苗を植えた。

 今回の題材は喜多川歌麿の浮世絵「高名美人六家撰(こうめいびじんろっかせん)」の「扇屋花扇(おうぎやはなおうぎ)」。水田を見下ろす斜面には地元住民が設置した展望台もある。見ごろは今月中旬からで、6種類の色合いの絵柄は8月いっぱい楽しめそうという。問い合わせは同観光協会(0964・56・5602)へ。(大矢雅弘)




午後の呟き

2018-07-09 16:18:52 | 日記
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1 NHK 熊本県のニュース|NHK NEWS WEB
www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/

梅雨明け 熱中症に注意
07月09日 14時39分
9日の県内は大雨が続いた8日までと打って変わって晴れ間が広がり、福岡管区気象台は午前11時に「熊本県を含む九州北部が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。
各地で気温がぐんぐん上がり、熊本市では日中の最高気温が35度以上の猛暑日になると予想されていて、気象台は高温注意情報を出して熱中症に十分注意するよう呼びかけています。

9日の県内は梅雨前線が北上したため高気圧に覆われて晴れ間が広がっています。

この先1週間程度も高気圧の影響で晴れる日が多くなる見込みで、福岡管区気象台は午前11時「熊本県を含む九州北部が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。

県内では朝から強い日ざしが照りつけて各地で気温が上がっています。

午後1時半の気温は熊本市で33度7分、宇城市で33度4分、上天草市松島で33度3分、菊池市で33度1分、八代市と水俣市で32度9分などとなっていて、各地で30度以上の真夏日となっています。

日中の最高気温は、熊本市で35度と猛暑日が予想されているほか、人吉市で33度、天草市牛深で31度などと予想されています。

気象台は高温注意情報を発表し、水分をこまめに補給するなどの対策をして熱中症に十分注意するよう呼びかけています。

2 豊作祈り太鼓踊り 天草市久玉町で「虫追いどん」 | 熊本のニュース ...
https://kumanichi.com › ニュース › 熊本のニュース

豊作祈り太鼓踊り 天草市久玉町で「虫追いどん」
威勢良く太鼓踊りを披露する男子たち=天草市 
 天草市久玉町の内の原地区で8日、市無形文化財の「虫追いどん」があり、地元の子どもたちが威勢よく名物の太鼓踊りを披露した。病害虫を追い払って豊作を祈る神事の一つで、450年以上の歴史がある。

 約50人が参加。十五社神社で神事の後、農家や水田などを回り、赤、青、黄など色とりどりのたすきを重ね掛けした男子7人が、笛やカネ、ほら貝の音に合わせ力強く舞った。

 そろいの法被姿の女子も、稲に見立てたササを手に、「左右衛門どんたちゃ踊らんかん」と、虫追い独特の掛け声を連呼。同町の矢取旺太さん(15)は「小学3年からずっと参加しています。踊らないと夏が始まりません」とにっこり。(谷川剛)

3 KKT 雨で上天草市の港に流木

雨で上天草市の港に流木
(熊本県)
■ 動画をみる
先週からの大雨の影響で、上天草市龍ヶ岳町の東風留港では、8日夕方には流木や漂流ごみが港一面を覆いつくしたという。9日朝は4分の1ほどになったが、潮の満ち引きや風向きで港に出入りしていて、船は流木に当たらないよう慎重に航行していた。地元の漁師は「網に流木やごみがかかるので漁に出られない、早急に撤去してほしい」と話した
[ 7/9 12:04 熊本県民テレビ]

4 天草市に関するトピックス:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/topics/word/天草市.html

世界遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(2)﨑津集落を歩く
文・写真 城郭ライター 萩原さちこ
2018年7月9日
チャペルの鐘展望公園から見下ろす﨑津集落

〈長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(1)から続く〉

世界遺産登録が6月末に決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する12資産のひとつ、﨑津集落(熊本県天草市)。キリスト教が禁止されていた江戸時代、潜伏キリシタンがひそかに独自の信仰を維持していた場所だ。

﨑津集落は、天草空港から車を40分ほど走らせた、天草諸島下島の南西部にある。フィヨルドのように海が入り組む羊角湾の入り江に位置し、現在は漁船が停泊する静かな港町だ。穏やかな人々の営みとともに、ゆったりとした時間が流れている。

﨑津集落。2012(平成24)年に「天草市﨑津・今富の文化的景観」として国の重要文化的景観に指定されている

構成資産としての﨑津集落の大きな特徴は、日本の伝統宗教とキリスト教を共生させながら信仰を維持していたことだ。潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒として寺に所属し、﨑津諏訪神社の氏子となっていた。絵踏(えふみ)をしてキリシタンではないように振る舞い、「あんめんりゆす(アーメンデウス)」と唱えながら神社に手を合わせ、神社の儀式に自らの信仰をうまく擦り合わせていたという。驚くことに、かつての﨑津教会は﨑津諏訪神社に隣接していた(後に吉田庄屋役宅跡に移転)。集落の中央に神社とカトリック教会が隣り合って存在していたのだ。

キリスト教布教の中心地となった﨑津教会跡(左)と﨑津諏訪神社。﨑津諏訪神社は1647(正保4)年に豊漁と海上の安全を祈る地域の守り神として建てられた

﨑津集落の潜伏キリシタンのあつい信仰心を裏付けるエピソードが、1805(文化2)年の「天草崩れ」だ。幕府による「崩れ」と呼ばれる大規模なキリシタン検挙は天草でも行われ、四つの集落(﨑津・高浜・大江・今富)の全住民1万669人のうち、約半数にあたる5205人が摘発された。しかし﨑津では実に全住民の72パーセントが潜伏キリシタンであったため、村の存続を危惧して嘆願書が出され、「心得違い」として黙認されて重罪を免れた。

﨑津諏訪神社は集落の中心にあった

潜伏キリシタンは信仰の発覚を回避するため、さまざまなものを信心具の代用品としていた。漁村である﨑津集落で崇敬されていたのは、ロザリオやメダイ(メダル)のほか、アワビやタイラギなど身の回りのもの。貝殻の内側に浮き上がる模様を聖母マリアに見立てるなどしていたのだ。漁村の神である恵比寿神や大黒天をデウスとして崇敬していたともいう。

大江集落では、干潮時にしか行かれない海辺の洞窟に「穴観音」と呼ばれる観音像を据えたり、十字架やマリア観音像などを埋めて塚にした山中の「隠し御堂」を造ったりした。海や畑に働きに行くふりをしてこのような場所を訪れ、ひそやかに信仰を継続していたという。

旅館を改修した「﨑津資料館みなと屋」。﨑津集落の歴史や文化が紹介され、﨑津の生活や信仰がよくわかる

育まれた伝統は信徒発見により新たな局面を迎え、天草にも250年ぶりの夜明けが訪れた。キリスト教が解禁された後、天草ではフランス人宣教師のガルニエ神父が1933(昭和8)年に大江天主堂を建立。﨑津集落でも、フランス人宣教師のハルブ神父の依頼によって、1934(昭和9)年に現在の﨑津教会が完成した。

﨑津教会は、禁教期に絵踏が行われた庄屋役宅跡に建立され、教会の祭壇は、かつて絵踏が行われていた場所に設置されたと伝わる。教会をキリスト教復活の象徴としたいという、ハルブ神父の強い思いが込められているのだという。

﨑津教会。「海の天主堂」ともいわれる

さて、天草は潜伏キリシタン誕生のきっかけとなる島原・天草一揆の舞台でもある。1602(慶長7)年頃から寺沢広高が築いた富岡城(熊本県苓北町)でも、激しい戦いが繰り広げられた。

キリスト教の受容は、南蛮貿易の利益が本来の目的だった。戦国時代に天草を統治していた天草五人衆と呼ばれる領主たちはキリスト教を通じて西洋文化を取り入れようとし、相次いで改宗。これを受けて、最盛期には島民の80パーセントがキリシタンになった。

関ケ原合戦後、キリシタン大名の小西行長に代わり肥前唐津藩の寺沢広高が天草を拝領したことが、天草における大きな転機となった。広高が石高を実際の収穫量の倍以上で申告したため、農民たちは過酷な年貢徴収により困窮。さらに江戸幕府が禁教令を発布し規制を強めると、キリシタンは改宗を迫られ迫害も激化した。後を継いだ寺沢堅高も徳川家光の命令に従って弾圧を強化した。

悪政と弾圧、さらに大飢饉や拷問に耐えかねた天草の領民は、同じ状況にあった島原半島の領民とともに蜂起。キリシタン大名の元家臣も加わり、組織化された軍による島原・天草一揆に突入したのである。

船之尾町にある祇園橋。島原・天草一揆では川をはさんで一揆軍と唐津藩が激突した。全国的にも珍しい多脚式の石造桁橋で、国の重要文化財に指定されている

富岡城は、天草灘に飛び出す富岡半島に築かれた城だ。富岡半島は天草下島の北西部から砂州でつながり、その南東の丘陵に築かれた富岡城は、南は袋池が堀の代わりとなり、東は土塁のように城を囲い込む砂嘴(さし)に守られた城だった。攻め込む場合は陸続きに足場の悪い砂州を渡るしかなく、城としては望ましい立地といえよう。本丸からは砂嘴に囲まれた穏やかな巴湾(ともえわん)が見下ろせ、島原半島や東シナ海が一望できる。ふもとから見上げる姿も勇ましい。

富岡城からの眺望。巴湾が見下ろせる

富岡城は最も高い場所に本丸を置き、北東に二の丸と出丸が連なり、二の丸の南東下に三の丸が配されている

一揆軍は富岡城を落城寸前まで追い詰めたが、幕府の援軍が到着するとのしらせにより、富岡城を離れて島原半島へと渡り原城(長崎県南島原市)に籠城(ろうじょう)したという。城のふもとにある富岡吉利支丹供養碑は、一揆の戦死者を弔うべく建立されたものとされる。

一揆の終息後、富岡城は幕府の資金を受けた山崎家治によって大修復された。二の丸西側の石垣は三重構造であることが修復時に判明していて、もっとも奥は寺沢時代の石垣で、表面には一揆との攻防を示す焼けた痕跡が残っていた。この石垣を隠すために二重目の石垣が急造され、その上を山崎氏が新たな石垣で覆ったようだ。

修復された、富岡城二の丸西側の石垣。三重目の山崎時代の石垣は後に城を破却する戸田氏によって破壊された跡もあり、富岡城のさまざまな歴史を物語っている

(つづく。次回は7月23日に掲載予定です)