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1 熊日 核廃絶の思い新たに 天草郡市原爆死没者追悼式
核廃絶の思い新たに 天草郡市原爆死没者追悼式
545人が祭られた祭壇に献花する参列者ら=苓北町
長崎への原爆投下から73年目を迎えた9日、苓北町志岐の町総合センターで、天草郡市原爆死没者追悼式が開かれ、参列者らが核廃絶への思いを新たにした。
天草郡市原爆被害者の会(毛利清己会長)と天草2市1町でつくる実行委員会主催。被爆者や遺族ら約200人が出席した。
祭壇には、今年6月までの1年間に亡くなった4人を含む、545人が祭られた。毛利会長が「73年たっても地球上から核兵器は無くなっていない。二度と惨事を繰り返すことのないよう、核兵器の悲惨さを後世に語り継いでいく」と追悼の言葉を述べた。
坂瀬川小6年の桑野優海[ゆうか]さんが「自分たちにできる平和活動を続けていく」、苓北中3年の稲尾和[のどか]さんが「苦しみや悲しみ、平和への願いを受け継ぎたい」と平和の誓いを朗読。参列者全員で祭壇に献花し、原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうをささげた。(中島忠道)
2 RKK 長崎原爆の日 天草でも追悼式
長崎原爆の日 天草でも追悼式
2018年08月09日 19:09 現在
きょう8月9日は、長崎に原爆が投下された日です。被爆から73年。長崎と、そして海を挟んだ天草でも、犠牲者を追悼し平和を願う式典が営まれました。
長崎市では、原爆が投下された午前11時2分に黙祷が捧げられました。一瞬にして7万4千人の命が奪われ、生き残った被爆者の平均年齢は、今年、82歳を超えました。
「同級生が原爆でほとんど亡くなった。私たちだけ助かったから、毎年来てます」(被爆者)
同じころ、海を挟んだ天草郡苓北町でも追悼式典が営まれました。
「戦争を経験された方々が少なくなってきた今、私たちの世代、そして次の世代に、戦争の無い平和な時代が引き継いでいけるように、今一度自分に何ができるか考えたいと思います。」(苓北中学3年 稲尾和さん)
当時、天草からは、主に造船所への出稼ぎや、学徒動員などで多くの人が長崎市に渡っていました。
「3歳の時に中心地から1.3kmの自宅で被爆しました。私は記憶が残る最後の被爆者として(後世に語り継ぐ)責任を感じております。」(天草郡市原爆被害者の会 川原征一郎本渡支部長)
天草出身の被爆者は800人を超え、これまでに545人が亡くなっています。
4 KKT
長崎原爆慰霊の日天草でも追悼
(熊本県)
■ 動画をみる
長崎に原爆が投下されて73年。天草郡苓北町では、犠牲になった人たちを追悼する式典が開かれた。追悼式には、被爆者や遺族など、およそ200人が出席した。天草地方では、当時、学徒動員や造船所への出稼ぎで長崎市にいたり、原爆が投下された後、親族の安否を確認するため現地に出向いたりするなどして、800人以上が被ばくしたとされている。参列した人たちは、献花を行った。そして、原爆が投下された午前11時2分。サイレンに合わせて黙とうを行い、亡くなった人たちの冥福を祈った。天草郡市原爆被害者の会によると、これまでに545人が亡くなり、会員の減少や高齢化が進んでいるという。
[ 8/9 19:17 熊本県民テレビ]
1 熊日 核廃絶の思い新たに 天草郡市原爆死没者追悼式
核廃絶の思い新たに 天草郡市原爆死没者追悼式
545人が祭られた祭壇に献花する参列者ら=苓北町
長崎への原爆投下から73年目を迎えた9日、苓北町志岐の町総合センターで、天草郡市原爆死没者追悼式が開かれ、参列者らが核廃絶への思いを新たにした。
天草郡市原爆被害者の会(毛利清己会長)と天草2市1町でつくる実行委員会主催。被爆者や遺族ら約200人が出席した。
祭壇には、今年6月までの1年間に亡くなった4人を含む、545人が祭られた。毛利会長が「73年たっても地球上から核兵器は無くなっていない。二度と惨事を繰り返すことのないよう、核兵器の悲惨さを後世に語り継いでいく」と追悼の言葉を述べた。
坂瀬川小6年の桑野優海[ゆうか]さんが「自分たちにできる平和活動を続けていく」、苓北中3年の稲尾和[のどか]さんが「苦しみや悲しみ、平和への願いを受け継ぎたい」と平和の誓いを朗読。参列者全員で祭壇に献花し、原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうをささげた。(中島忠道)
2 RKK 長崎原爆の日 天草でも追悼式
長崎原爆の日 天草でも追悼式
2018年08月09日 19:09 現在
きょう8月9日は、長崎に原爆が投下された日です。被爆から73年。長崎と、そして海を挟んだ天草でも、犠牲者を追悼し平和を願う式典が営まれました。
長崎市では、原爆が投下された午前11時2分に黙祷が捧げられました。一瞬にして7万4千人の命が奪われ、生き残った被爆者の平均年齢は、今年、82歳を超えました。
「同級生が原爆でほとんど亡くなった。私たちだけ助かったから、毎年来てます」(被爆者)
同じころ、海を挟んだ天草郡苓北町でも追悼式典が営まれました。
「戦争を経験された方々が少なくなってきた今、私たちの世代、そして次の世代に、戦争の無い平和な時代が引き継いでいけるように、今一度自分に何ができるか考えたいと思います。」(苓北中学3年 稲尾和さん)
当時、天草からは、主に造船所への出稼ぎや、学徒動員などで多くの人が長崎市に渡っていました。
「3歳の時に中心地から1.3kmの自宅で被爆しました。私は記憶が残る最後の被爆者として(後世に語り継ぐ)責任を感じております。」(天草郡市原爆被害者の会 川原征一郎本渡支部長)
天草出身の被爆者は800人を超え、これまでに545人が亡くなっています。
4 KKT
長崎原爆慰霊の日天草でも追悼
(熊本県)
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長崎に原爆が投下されて73年。天草郡苓北町では、犠牲になった人たちを追悼する式典が開かれた。追悼式には、被爆者や遺族など、およそ200人が出席した。天草地方では、当時、学徒動員や造船所への出稼ぎで長崎市にいたり、原爆が投下された後、親族の安否を確認するため現地に出向いたりするなどして、800人以上が被ばくしたとされている。参列した人たちは、献花を行った。そして、原爆が投下された午前11時2分。サイレンに合わせて黙とうを行い、亡くなった人たちの冥福を祈った。天草郡市原爆被害者の会によると、これまでに545人が亡くなり、会員の減少や高齢化が進んでいるという。
[ 8/9 19:17 熊本県民テレビ]