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天草伝統「幸木」で正月を 天草市河浦町

2019-12-25 21:46:09 | 日記
天草伝統「幸木」で正月を 天草市河浦町
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1 熊日 天草伝統「幸木」で正月を 天草市河浦町

天草伝統「幸木」で正月を 天草市河浦町
2019/12/25 21:00 (JST)12/25 21:15 (JST)updated
©株式会社熊本日日新聞社
天草の伝統的な正月飾り「幸木」(上)の下で臼の中にキリストへの供物を入れる川田富博さん(右)=天草市 

 熊本県天草市河浦町の今富地区で25日、天草地方の伝統的な正月飾り「幸木[さわぎ]」と、キリストへの供物を隠し入れるかくれキリシタンの風習「臼飾り」が飾り付けられた。同地区は世界文化遺産「崎津集落」の隣にある。

 禁教期にひそかにキリスト教の信仰を続けた「潜伏キリシタン」に対し、禁教が解かれた後もキリスト教に復帰せず、独自の信仰を続けた人々を「かくれキリシタン」と呼ぶ。

 幸木は、天井からつり下げた長さ1・7メートルのカシの木にダイコンやするめ、くわなどをぶら下げる。五穀豊穣[ほうじょう]を願い昭和40年代ごろまでは天草全域の農家で見られたが、土間が少なくなり衰退した。

 臼飾りは、逆さにした臼の下にキリストへのお供え物として、ご飯と煮しめを載せた膳を隠し入れ、臼の上できねを十字架に見立てて並べている。

 同地区で、先祖がかくれキリシタンだったという川嶋富登喜[ふとき]さん(90)が毎年倉庫で飾り付けを続けていたが、今年は病気療養中。このため約10年ほど前から行事を手伝うおいの川田富博さん(67)=同町=が近所の山下豊司さん(67)の手を借りて飾り付けた。川田さんは「おじが療養中だが、伝統を絶やしてはいけないと飾った。正月に見せて喜ばせたい」と話した。(谷川剛)



大手企業冬のボーナス 平均95万円余 2年連続過去最高更新

2019-12-25 18:19:24 | 日記
大手企業冬のボーナス 平均95万円余 2年連続過去最高更新
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1 NHK 大手企業冬のボーナス 平均95万円余 2年連続過去最高更新

大手企業冬のボーナス 平均95万円余 2年連続過去最高更新
2019年12月25日 13時14分
大手企業のこの冬のボーナスは、経団連の調査で1人当たりの平均額が95万円余りと、昭和34年に調査を始めてから最高となりました。

経団連は、東京証券取引所の1部に上場する従業員500人以上の企業を対象にこの冬のボーナスの額を調べ、回答があった19業種150社の集計を公表しました。

それによりますと、従業員1人当たりの平均は95万1411円で、去年と比べて1万6500円余り、率にして1.7%増えました。

冬のボーナスの平均額としては、昭和34年に調査を始めてから最も高くなり、2年連続で過去最高を更新しました。

業種別では、東京オリンピック・パラリンピック関連の工事などで業績が好調な建設が156万円余りと最も高く、次いで、食品が105万円余り、自動車が102万円余りなどとなっています。

これについて経団連は「賃金引き上げの流れが着実に継続している。回答のあった企業の7割程度が、ことしの春の労使交渉で、夏と冬のボーナスを一括して決めているため、昨年度の好調な業績が反映されたことも背景にあるのではないか」と分析しています。

# 天草で幸木の飾りつけ # 上天草市の放置土砂問題 地元住民らが要望書

2019-12-25 16:54:25 | 日記
# 天草で幸木の飾りつけ # 上天草市の放置土砂問題 地元住民らが要望書
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1 RKK 天草で幸木の飾りつけ

天草で幸木の飾りつけ
2019年12月25日 11:56 現在

天草市河浦町では農家に古くから伝わる正月の飾り物「幸木」と隠れキリシタンの風習を残した「臼飾り」が飾り付けられました。

幸木と臼飾りの飾り付けが行われたのは天草市河浦町の農業川嶋富登喜さんの農作業小屋です。
この飾りつけは天草地方の農家に古くから伝わるもので
川嶋さんの甥の川田富博さんが今年から作業を受け継ぎました。

「幸木」は新年と五穀豊穣を祝うものとして室内に吊るしてあるカシノキの棒に
稲ワラや笹の葉をはじめこの1年間使った鍬などの農具を下げると完成します。

一方「臼飾り」は、隠れキリシタンの風習で、
キリストへ供えるための野菜や竹輪の煮しめ、そしてごはんなどを逆さにした木の臼に
隠し入れたあと臼の上に2本のきねと1本の手ぎねを置いて十字架に見立てます。

こうした飾り物は以前は天草地方の農家でよく見られていましたが、
最近は飾りつける農家も少なくなったということです。

2 TKU 上天草市の放置土砂問題 地元住民らが要望書

上天草市の放置土砂問題 地元住民らが要望書
2019.12.25 13:19
上天草市の放置土砂問題 地元住民らが要望書

国立公園に指定されている上天草市の海岸に大量の土砂が放置されている問題で、地元住民らで作る『自然を守る会』は23日、環境省宛てに撤去の指導を求める要望書を天草自然保護官事務所に提出しました。投入された土砂がアサリの養殖に適していないことや、ヘドロが海に流出して悪影響を与えているなどとして土砂の撤去と現状回復を早急に指導するよう求めました。同会は25日午後、上天草市役所を訪れ撤去を求める要望書を提出します。土砂は、2012年から13年にかけて上天草市が港のしゅんせつ工事で出たものをアサリ養殖の造成事業として龍ヶ岳町の瀬子浦入り江に運び入れたものです。地元漁協の意向を受けて行われた土砂投入でしたが、現在もアサリの養殖は行われていません。


# 天草伝統の「幸木」の飾りつけ # ZOZO前社長の前澤氏 千葉 館山市にふるさと納税20億円寄付 # なぜ# 女は心を燃やし続けられるのか 【動画あり】

2019-12-25 16:48:49 | 日記
# 天草伝統の「幸木」の飾りつけ # ZOZO前社長の前澤氏 千葉 館山市にふるさと納税20億円寄付 # なぜ# 女は心を燃やし続けられるのか 【動画あり】
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1 NHK 熊本県のニュース

天草伝統の「幸木」の飾りつけ
12月25日 11時33分
天草市河浦町で25日、伝統の正月飾り「幸木」の飾りつけが行われました。

「幸木」は、ことしの収穫の恵みに感謝し、新年を迎える準備として、天草地方の農家に古くから伝わる習わしです。

天草市河浦町の農作業の小屋では、川田富博さん(67)が、天井からつるした長さ1.6メートル余りの「かし」の木に、縁起物の「だいだい」や大根やニンジンといった農作物、それに「くわ」と「すき」などをかけて、「幸木」を完成させていました。

また、土間にある、ごはんと煮しめを隠すように「臼」をかぶせ、その上に3本の「きね」を置く、かくれキリシタンの風習とされる「臼飾り」も飾りつけられました。

かしわ手をたたいて、祈りをささげた川田さんは「毎年の伝統文化で、一生懸命飾りつけました。親族とともに喜び、お正月を迎えたい」と話していました。

2 NHK ZOZO前社長の前澤氏 千葉 館山市にふるさと納税20億円寄付

ZOZO前社長の前澤氏 千葉 館山市にふるさと納税20億円寄付
2019年12月25日 14時14分
国内最大級のファッション通販サイトを運営するZOZOの創業者で前の社長の前澤友作氏が千葉県館山市にふるさと納税として、20億円を寄付したことが明らかになりました。

これは25日、寄付を受けた千葉県館山市が発表したものです。

それによりますと24日、前澤氏が新しく社長を務めている会社から連絡があり、前澤氏から館山市の「観光振興に関する事業」を使いみちとして20億円が寄付されたということです。

前澤氏は千葉県出身で、ことし9月には台風15号で被災した館山市を含む周辺の3市1町に対し、台風災害の復旧復興に向けてそれぞれ1000万円ずつ、合わせて4000万円を寄付していました。

館山市の昨年度のふるさと納税の総額は、2億4000万円余りだったということで、今回の前澤氏のふるさと納税の20億円という額は、その8.3倍に当たります。

館山市では、ふるさと納税の返礼品として、特産のハムやふかひれなどを用意していますが、前澤氏は、返礼品の受け取りは断ったということです。

前澤氏は「館山市は地域資源が豊富で、高いポテンシャルがあると感じている。地域活性に向けふるさと納税を活用し応援したいです」とコメントしています。

また、館山市の金丸謙一市長は「今後の地域振興のために大変ありがたい。今後有効活用を検討していきたい」と感謝しています。

3 NHK なぜ彼女は心を燃やし続けられるのか 【動画あり】

なぜ彼女は心を燃やし続けられるのか 【動画あり】
2019年12月24日 15時55分
それは彼女にとって、あまりにも突然の別れでした。市民が無差別に狙われた「地下鉄サリン事件」。駅員の夫は、乗客のため猛毒のサリンを拭き取り、力尽きました。妻の高橋シズヱさんは、事件から25年になろうとする今も、被害者や遺族を代表して声を上げ続けています。もう二度と会えない夫のために。そして同じような悲劇を起こさせないために。彼女の願いを伝えたくて、私はこの記事を書きました。(社会部記者 馬渕安代)



“ありがとうって言いたかったのに”
“ありがとうって言いたかったのに”
平成7年3月20日。高橋シズヱさんは、地下鉄霞ケ関駅からほど近い、病院の個室の中にいました。大勢の負傷者で混み合う病院の通路を、どのようにくぐり抜け、病室の扉を開けたのかはおぼえていません。

気がついたら、白いカーテンの前に立っていました。カーテンを開けて、目に飛び込んできたのは、向かって左側のソファーに腰掛けた長男の姿でした。その反対側にはベッドが。

シズヱさんはおそるおそるタオルケットをめくりました。横たわっていたのは、制服姿の見慣れた男性。夫の高橋一正さん(当時50)でした。

冷たくなった一正さんは、シズヱさんがどんなに顔をなでても、どんなに手足をさすっても、再び目を開けることはありませんでした。

シズヱさんには、ずっと前から心に誓っていたことがありました。どちらかが亡くなる時が訪れたら、必ず夫に「ありがとう。幸せだった」と感謝の言葉を伝えること。その誓いを果たすことは、もうできなくなりました。


病院を出ると、空は青々としていました。夫の検視が行われる警察に向かって歩いた時の光景を、シズヱさんは今も忘れることができません。

まるで事件なんかなかったかのように、いつもどおり道を行き交う人たち。なぜかこの時は、みんながこちら側に向かって歩いてきて、ただ1人、反対の方向に歩いていく自分が、まるで違う世界の中にいるような、不思議な感覚でした。




穏やかで、幸せな日々
穏やかで、幸せな日々
故 高橋一正さん

夫の一正さんは、駅の同僚から親しみを込めて「いっしょうさん」と呼ばれていました。柔らかい物腰でみんなに慕われていました。

両親どうしが知り合いだったという縁で結婚したのが、2つ下のシズヱさんでした。

笑顔がかわいい、というのがシズヱさんから見た、彼の第一印象でした。すぐに子どもを授かり、一正さんの実家がある北千住で、子育てに追われながらの結婚生活が始まりました。

それでも、当直明けの日にお弁当を作って荒川の河川敷で食べたり、どこまでも続く土手に沿ってサイクリングしたり、2人の時間を大切にしていました。それは春の日だまりのように、穏やかで幸せな日々でした。


意見が食い違うことがあっても、一正さんは温かく包み込むようにシズヱさんの言うことを受け止めてくれました。

話し合っていると、いつの間にか物事がいい方向に進んでいく。一正さんは、そんな夫でした。


5日前、父に伝えた感謝の言葉
5日前、父に伝えた感謝の言葉
事件が起きた平成7年の春、2人は、結婚記念日を迎える5月に北海道へ旅行に行くことにしていました。末っ子が高校を卒業するその年は、子育てがひと段落し、夫婦2人の生活が始まるはずでした。

3月15日。シズヱさんは、誕生日を迎えた自分の父親に電話をかけていました。話しているうちに、いつの間にか話題は一正さんのことに。

シズヱさんは「パパ(一正さん)と結婚してすごく幸せだよ。お父さんが結婚を勧めてくれて本当によかった」と話していました。

ふだんはてれくさくて、そんなことは口にも出さないのに、なぜかこの時は、気持ちを伝えたいと思いました。まさか5日後に、その最愛の人の命が奪われるなんて、想像もしていませんでした。


夫は乗客のために
夫は乗客のために
3月20日。当直明けだった一正さんは、千代田線のホームに出て、ラッシュの時間帯に合わせて乗客の誘導を行っていました。いつもどおりの朝でした。その電車が到着するまでは。

午前8時すぎ、乗客から「先頭車両に不審なものがある」と知らされました。車両の床には、得体の知れない包みがあり、液体がしみ出して周囲に広がっていました。

一正さんはすぐに包みを車両の外に出し、ゴミ箱から新聞紙を取ってくると、停車しているわずかな間に、床にこぼれ出た不審な液体を拭き始めました。

このとき車内は、あちこちで乗客がせきこんだり、ハンカチで口元を押さえたりしていて、明らかに異常な雰囲気でした。もしかしたら、一正さんは何か危険を感じ取っていたかもしれません。

それでも乗客が不快な思いをしている状況をなんとかしようと、車内の液体を拭き終えました。そしてホームにこぼれ落ちた液体を拭くため、新聞紙を取りに歩き出したその時、突然意識を失い、その場に倒れ込みました。床にこぼれた液体、猛毒のサリンによる中毒でした。


平成7年3月20日 現場付近の様子


同僚は救急車を呼びましたが、なかなか到着しません。事件を起こした宗教団体、オウム真理教は、千代田線だけでなく、丸ノ内線、日比谷線の車内でもサリンをまいていました。地下鉄はサリンの中毒症状を訴える人たちであふれ、大きな混乱に陥っていました。

地上に運ばれた一正さんは、近くにいた報道の車で病院に運ばれましたが、すでに手の施しようがありませんでした。一正さんと同僚1人も含め、13人が死亡。およそ6300人が被害を受けた、未曾有の凶行でした。


“高橋さんのおかげで”

シズヱさんにとって一正さんは、寄りかかっても絶対に倒れない、大樹のような存在でした。

亡くなった後、シズヱさんは、葬儀や取材への対応、裁判の傍聴、何もかも1人でやらなければなりませんでした。


やるべきことに追われながら、ふと気がついたら一正さんを思って涙があふれる、そんな日々でした。一正さんはもういない。底が見えない喪失感に、シズヱさんは押しつぶされそうになっていました。

しかし、事件からしばらくたった頃、シズヱさんの気持ちを奮い立たせてくれたものがありました。それは、見知らぬ人たちから届くようになった手紙の数々です。送り主は、事件当日、地下鉄に乗っていた人たちやその家族などでした。

手紙には、サリンを処理してくれた一正さんへの感謝の言葉がつづられていました。


「高橋さんのおかげで被害に遭わずにすみました」
「高橋さんが包みを取り除いていなければ私が命を落としていました」


あの日、千代田線では、乗客が犠牲になることはありませんでした。自分の夫がただ殺された訳ではなく、命と引き換えに多くの人たちを救ったという思いは、悲しみに沈んでいたシズヱさんを励まし、力づけてくれました。


「泣き続けているのは、夫に命を守ってもらったと言ってくれる人たちの気持ちに反する。泣き止まなければいけない。夫の行動に見合うような生き方をしよう」


ちょうどその頃、シズヱさんは、地下鉄サリン事件の被害者や遺族の弁護団から頼まれ、「被害者の会」の代表世話人を引き受けることになりました。

どちらかといえば人付き合いが苦手だったシズヱさんにとっては、自分でも意外な決断でした。


“強い女性”
“強い女性”
シズヱさんは被害者や遺族の先頭に立って声を上げるようになり、オウム真理教の後継団体に対する規制の強化を訴えました。

また、教団からの賠償金を確保するための特別立法など、被害者・遺族への公的な支援の必要性を訴え、実現にこぎつけてきました。

集会や記者会見で臆することなく自分の意見を述べる姿は、犯罪被害者の権利を守る活動のシンボルとして、多くの人の印象に残っていると思います。

シズヱさんはいつしか「どうしてそんなに強いんですか」「なぜ頑張れるんですか」と聞かれるようになっていました。

周りからは、加害者への「怒り」や「憎しみ」が原動力になっていると見えていたかもしれません。

でも、数年前に司法担当になった私は、シズヱさんの話を聞く機会が増えるようになってから、少しずつ彼女の本当の姿を知るようになりました。


“怒り”でも“憎しみ”でもなく

かつて、たった1人だけ、シズヱさんの本当の気持ちに気付いた人がいました。

平成17年7月。シズヱさんが北海道で開催された犯罪被害者を支援するための集会に参加し、講演を行ったときのことです。終了後、ほとんど面識のない70代半ばの精神科医から、突然、手紙を手渡されました。専門用語も交えながら書かれていたのは、講演を聴いた彼なりのシズヱさんの心理の分析でした。


精神科医からの手紙

「(前略)なぜこれまで心を燃やしつづけられるのか。それはご主人への愛に発する行為であり、それがそのまま『祈り』になってご主人に届いている、一つ一つがご主人との対話(ディア・ロゴス=生きる意味の分かち合い)なのだからと思った次第です(後略)」


この講演でシズヱさんは、一正さんのことはほとんど話していません。それでもベテランの精神科医には、ことばの端々に表れる夫への気持ちがはっきりと感じられたようでした。

命を犠牲にしてまで乗客を守った夫に、認めてもらえるようなことをしたい。生きていれば夫が考えるようなこと、応援してくれるようなことを、自分が頑張って行動で示せば、夫はきっとどこかで見守っていてくれる。見守っていてほしいからこそ、頑張れる。

シズヱさんの胸の中には2人にしかわからない、言葉にならない「対話」がありました。

これが、20年以上もシズヱさんが“心を燃やし続けられた”理由です。

今もシズヱさんは、この手紙を大切に保管しています。自分の胸の内を、ここまで正確に理解してもらえたのは初めてだったからです。


思えば、シズヱさんがこれまでの活動で何か困ったことに直面するたびに、必ず助けてくれる人が現れました。そしていつの間にか物事はうまくいっていました。シズヱさんには、自分が必要とする人を一正さんが巡り合わせてくれているように思えました。

具体的な言葉を交わすわけではありませんが、活動を続けることは、一正さんの存在を近くに感じることができる、かけがえのない時間なのです。




教団は今も

去年、オウム真理教の幹部ら13人の死刑が執行され、一連の事件には大きな区切りがつきました。来年3月には、地下鉄サリン事件から25年となります。しかし今、シズヱさんが気がかりなのは、教団の最近の動きです。


「アレフ」の施設を視察するシズヱさん ことし10月3日

後継の団体「アレフ」は、札幌や東京など各地の拠点を中心に活動を続け、信者の数は減る様子がなく、若い世代を中心に新たな信者を獲得しています。

地下鉄サリン事件は過去の出来事。そう思っている人、特に若い人たちに、シズヱさんは、今の状況を知ってもらいたいと強く願っています。同じような悲劇が、繰り返されないためにも。

最愛の人が命を奪われ、突然いなくなってしまったら。あなたは、どうしますか。




地下鉄サリン事件 平成7年3月20日、多くの通勤客が利用する東京の地下鉄の車両に猛毒のサリンがまかれたテロ事件。千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3つの路線が狙われ、合わせて13人が死亡、被害者はおよそ6300人にのぼった。事件を起こしたのは、当時、若い信者を増やしていたオウム真理教。出家をめぐるトラブルなどが相次ぎ、警察の捜査が迫る中、教祖の麻原彰晃・本名松本智津夫元死刑囚の指示のもと、化学の専門知識を持つ信者が生成したサリンが犯行に使われた。サリンの後遺症は今も被害者を苦しめている。




社会部記者
馬渕安代
平成17年入局 高松局・神戸局・首都圏放送センターを経て社会部で司法担当


寄附の状況(令和元年度) / 天草市

2019-12-25 11:19:26 | 日記
寄附の状況(令和元年度) / 天草市
寄附実績(平成31年4月1日~令和1年12月25日)
寄附の状況を公表します。
皆さまからの温かいご寄附に心から感謝いたします。
※県受付による寄附受領分につきましては、県から市へ交付後に寄附実績として計上されます。


合計17,195件 ¥225,289,300「11時」令和1年1月25日
合計16,993件 ¥222,419,300「18時」令和1年1月23日
合計16,834件 ¥219,929,30016時」令和1年1月23日
合計16,791件 ¥219,489,300「12時」令和1年1月20日
合計16,789件 ¥219,469,300「24時」令和1年1月19日
合計16,215件 ¥210,599,300「24時」令和1年1月18日
合計16,133件 ¥208,979,300「17時」令和1年1月16日
合計16,101件 ¥208,527,300「24時」令和1年1月15日
合計14,826件 ¥191,467,300「18時」令和1年1月13日
合計14,688件 ¥188,425,300「24時」令和1年1月12日
合計13,400件 ¥170,903,300「19時」令和1年1月10日
合計13,396件 ¥170,563,300「16時」令和1年1月10日
合計13,342件 ¥169,773,300「21時」令和1年1月9日
合計13,314件 ¥169,313,300「22時」令和1年1月6日
合計13,188件 ¥167,303,300「9時」令和1年1月4日
合計13,148件 ¥166,523,300「14時」令和1年1月3日