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マリア像照らす「だるま太陽」 天草・崎津集落

2020-01-23 10:24:46 | 日記
マリア像照らす「だるま太陽」 天草・崎津集落
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1 西日本 マリア像照らす「だるま太陽」 天草・崎津集落

2020/1/23 6:00
西日本新聞 熊本版

 ユネスコの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ、熊本県天草市河浦町崎津集落の沖合で21日夕、蜃気楼(しんきろう)の一種「だるま太陽」が観測された。岬に立つ「海の上のマリア像」の視線の先に沈む太陽を捉えようと、多くの写真愛好家がシャッターを切った。

 「だるま太陽」は、大気と海面付近の温度差によって光が屈折して起こる現象。気温が海水温より低くなる秋から冬の晴れた日に起きやすい。

 天草漁協崎津支所に近い防波堤付近は、秋から冬にかけてマリア像の方向に夕日が沈み、絶好の撮影スポット。市は、周辺の外灯ケーブルを目立たなくするなど「夕日の名所」として整備している。(金子寛昭)



# 全小中学生にパソコンなど配布 # かけがえのない“今日”

2020-01-23 01:41:49 | 日記
# 全小中学生にパソコンなど配布 # かけがえのない“今日”
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1 NHK 全小中学生にパソコンなど配布 安倍首相 市町村長らに協力要請

2020年1月22日 19時24分
安倍総理大臣は、教育再生に取り組む市町村長らと面会し、すべての小中学生にパソコンなどを配布する方針について、「人材を集めてどう活用するかがいちばん大切だ」と述べ、協力を呼びかけました。

安倍総理大臣は22日午後、政府の教育再生の取り組みに賛同する市町村長ら、およそ30人と面会しました。

安倍総理大臣は、すべての小中学生に1人1台のパソコンなどを配布する方針について「デジタル技術の習得だけでなく過疎地でも大都市と同じような水準の教育を受けられるようになる」などと説明しました。

そのうえで「ハードをそろえる予算の確保と同時に、人材を集めながら、いかに活用していくかがいちばん大切だ。首長の皆さんの力によるところが大きく、力を合わせて教育の再生に結果を出していきたい」と述べ、協力を呼びかけました。

2 NHK かけがえのない“今日”

2020年1月21日 19時11分
「今日、わたしはお皿を洗わなかった」
そんなフレーズからはじまる、1つの詩があります。育児に追われ、何もできなかったように感じる毎日。そんな1日の終わりに、母親が赤ちゃんと過ごしたかけがえのない「今日」を振り返るという内容です。ニュージーランドの、ある施設の壁に貼られていました。遠い国の誰かがつづった短い詩はやがて日本にも広まり、母親たちに、そっとエールを送っています。(ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子)

今日、
わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつはだんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが 床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだと思う
人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの?とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、
それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日 何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことを していたんだって
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ

『今日』(訳:伊藤比呂美 画:下田昌克 刊:福音館書店)


1通のメール

以前、ネット上で静かに話題になっていたこの詩。もともとは、ニュージーランドで作られたとみられる「詠み人知らず」の詩です。“Today(=今日)”などと呼ばれ、世界中に広がっています。

取材のきっかけは、取材先の女性から記者に届いた1通のメールでした。


「長男が2歳、娘が0歳の時に、思いどおりにならない毎日につらくなり、ある日、夕日を見ながら、『今日』という詩を見つけ、その詩を読みながら、ツーと涙をこぼしました。『一人だ』と。『こんな思いをしているのは一人だけだ』と、どうして思ったのでしょうね。でも、誰からも『ここにいるよ』と言ってもらっていなかったのです」


メールを読み、記者も、今9歳の長男が赤ちゃんの時にネットで「今日」の詩を読み、涙を流したことを思い出しました。髪はぼさぼさで、お世話に明け暮れる日々。詩がやさしく胸にしみいったことを覚えています。


7年前からじわじわと
7年前からじわじわと
日本では、この詩が本として出版されています。出版元の福音館書店によると、2013年に初版を出版してから、すでに4万6000部以上売れていて、11回の版を重ねているそうです。

この詩を訳したのは詩人の伊藤比呂美さん。現代詩の作家で、3人の娘との生活を赤裸々につづった作品が1980年代にベストセラーになるなど、育児エッセーの第一人者でもあります。


伊藤比呂美さん

訳したきっかけは15年ほど前。かつて編集者と書き手として、ともに育児雑誌を手がけていた古い友人が、「これ訳せます?」と、途中まで訳しかけた詩を送ってきたそうです。「かんたん、かんたん」と言いながら、ものの10分で訳して送り返したのが、この詩でした。

友人はそのときすでに編集者をやめ、大学院で育児や福祉などを勉強していました。「今日」のあとがきには、そのいきさつが紹介されています。


「あるとき、ニュージーランドの子育て支援施設に行ってみたら、壁に、この詩が貼ってあったそうです。誰の詩ですか?ときくと、知りません、と。ともかく写して持って帰ってきて、訳しかけて、わたしに送ってきたわけです」(あとがきより)


友人は、子育てに疲れている日本の母親たちを励ましたいという思いだったそうです。伊藤さんが翻訳した詩は、いつの間にかネットを通じて広がり、次第に多くの人たちに読まれるようになっていきました。


きっかけは“たまたま”

実は出版社は、はじめからこの詩を出版しようと思っていたわけではないそうです。

担当編集者だった福音館書店の中村力さんは、当初、伊藤比呂美さんに別の本の現代語訳を依頼し、打ち合わせを重ねていました。ただ、その企画はなかなか思うように進みませんでした。

伊藤さんとなら何かほかにもおもしろい企画ができるはずだと、本人の活動をネットを通じて確認していたところ、たまたま伊藤さんが「今日」のことを話題にしているのを見て、「これだ」と確信したといいます。


担当編集者 中村力さん
「『今日』を読んで、これは、多くの人に届くことばだ、必要とされていることばだ、と直感しました。そしてすぐ、伊藤さんに『あの詩を絵本にして出版させてもらえないか』とお願いしました」


作者は、誰?

ただ、出版までの道のりは険しいものでした。中村さんはまず、作者未詳で都市伝説のように伝えられているこの詩の作者探しに奔走しました。詩が貼ってあったというニュージーランドの子育て支援施設に問い合わせたところ「作者については分からない」と回答がありました。


ヤフーやグーグルなどの検索エンジンに、詩の中に出てくることばを次々に入れ替えては検索することを繰り返し、600以上のホームページをひとつひとつ開いて確認しましたが、作者はわかりません。

あわせて、ニュージーランドの著作権協議会や詩人協会に問い合わせましたが、手がかりを得ることはできませんでした。また、ニュージーランドだけでなく、オーストラリアやアメリカ、イギリスなど、本を販売している各国のサイトや国立の図書館のサイトで蔵書を検索しましたが、類似した詩の本は見つかりませんでした。

考えられるかぎり、あらゆる手を尽くした中村さんは、結局、作者を「未詳」のままにすることにしました。


中村力さん
「『今日』の詩の大きな魅力は、それが作者未詳という点にもあるのではないか。名のある誰かの主張ではなく、名もなき人たちの声なき声が、いつの間にか『今日』の形に結晶したのではないか」


中村さんは、作者未詳の作品として「今日」を出版しました。その後、誰かが名乗り出ることもなく、今に至るまで、作者が誰なのかは分かっていません。




中村力さん
「『誰のものでもなく』『誰のものでもある』ことばであるところこそが、この詩の大きな魅力なのだと、今、感じています。この詩は、ニュージーランドが発祥ということになっていますが、『はじめての育児に不安を抱えているのは、世界中のお母さんが一緒なのだ』と思わせてくれる力があるのです」


母親から次々と…

出版すると、多くの声が寄せられました。

初めての子育てで悩んでいる人や、育児や仕事に追われ読書さえできなかった人。子育てに孤独を感じていた人や、外出もままならなくなっている人。事情はさまざまでしたが、みんな、この詩に込められたメッセージに力づけられていました。

出版社にはこんな声が寄せられました。




「子どもが生まれる前は仕事と家事を自分の思うとおりにやってこられました。でも生まれてからはそうはいかず、食器を1日1回しか洗えず、掃除機も十分にかけられないまま夕方になり1日が終わっていくことにやりきれない思いでいっぱいでした。それが、この本に出会ってから自分が肯定されている気持ちになりました」


「『世のお母さんたちもこうやって乗り越えているのね。私も大丈夫』と思えるようになりました」


「赤ちゃん以外に余裕がない状態の自分にエールをくれた気がします」


「日々、慌ただしく過ぎてしまう日常ですが、その1つ1つの出来事にきっと意味があるのだろうな、そしてそれは、とても大切なことなのだろうな、などと考え、子どもたちとの時間の大切さを思います」


“共感の詩”に

中村さんは、この詩を「共感の詩」として読んでほしいと願っています。

この本が出版された2013年当時は、母親ひとりが育児に追われる「ワンオペ育児」という言葉はまだ使われていませんでした。しかしその後、育児負担の重さがさまざまな形で取り上げられるようになったり、「#Me Too」運動が広がったりして、女性の置かれている不利な立場に注目が集まるようになるたびに、詩への共感が広がっていったといいます。


中村力さん
「この詩が、今を生きるお母さんの心にとって、足りなかったピースを埋めてくれることばになるとともに、社会が変わっていく、ひとつのきっかけとなってくれたらと願っています」


この思いが広がりますように

詩に共感が広がる背景には、思いを分かってくれる人がいない、そんな母親の孤独も見え隠れするように感じました。日々、精いっぱい小さな命と向き合い、小さな幸せを糧に生きる母親たちの思いが、詩を通じて少しでも広がっていきますように。