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寄附の状況(令和元年度) / 天草市

2019-11-29 18:35:39 | 日記
寄附の状況(令和元年度) / 天草市
寄附実績(平成31年4月1日~令和1年11月29日)
寄附の状況を公表します。
皆さまからの温かいご寄附に心から感謝いたします。
※県受付による寄附受領分につきましては、県から市へ交付後に寄附実績として計上されます。


合計13,124件 ¥165,702,30018時」例話1年11月29日
合計13,085件 ¥165,152,30014時」例話1年11月28日
合計13,049件 ¥164,322,300「24時」例話1年11月27日
合計12,908件 ¥161,862,300「22時」例話1年11月26日
合計12,906件 ¥161,727,300「18時」例話1年11月26日
合計12,812件 ¥160,472,300「18時」例話1年11月21日
合計12,781件 ¥159,882,300「24時」例話1年11月20日
合計12,758件 ¥159,422,300「24時」例話1年11月19日
合計12,546件 ¥156,102,300「24時」例話1年11月15日
合計12,479件 ¥154,912,300「10時」例話1年11月14日
合計11,835件 ¥145,482,300「23時」例話1年11月13日
合計11,825件 ¥145,372,300「14時」例話1年11月11日
合計11,809件 ¥144,992,300「14時」例話1年11月6日
合計11,797件 ¥144,802,300「15時」例話1年11月5日
合計11,791件 ¥144,712,300「14時」例話1年11月1日

初売りに向けハウスデコポンの選果作業

2019-11-29 16:37:17 | 日記
初売りに向けハウスデコポンの選果作業
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1 RKK 初売りに向けハウスデコポンの選果作業

初売りに向けハウスデコポンの選果作業
2019年11月29日 11:58 現在

来月2日の初売りに合わせてハウスデコポンの選果が天草市で行われています。

JA本渡五和管内では146戸の農家がデコポンを生産していて栽培面積約50ヘクタールのうち約5ヘクタールで暖房をつけたハウスでデコポンを栽培しています。

天草市南新町にある選果場ではハウスで栽培されたデコポンが持ち込まれ、自動選果機を使って次々と選別されたあと糖度など厳しい審査基準に合格したものだけが箱詰めされます。

今年は台風の被害もなく夏場の水管理を徹底したことから果実の皮が割れる被害も少なく、糖度と酸味のバランスがとれたデコポンができたということです。

このハウスデコポン、JA本渡五和では主に年末年始の贈答用として年内におよそ160トンを出荷する予定です。



更新されないアカウント…でも

2019-11-29 16:18:54 | 日記
更新されないアカウント…でも
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1 NHK 更新されないアカウント…でも

更新されないアカウント…でも
2019年11月29日 15時25分IT・ネット

「ツイッターのアカウントが消えちゃう!?」
そんなツイートがネット上を駆け巡りました。ツイッター社が、長い間使われていないアカウントは順次、削除していくと明らかにしたのです。しかしこの方針は、あっという間に撤回されました。どうして?背景にあったのはたくさんの利用者の声でした。更新はされなくても、“そこに存在するだけでいい”。そんな大きな意味を持つアカウントがいくつもあったのです。
(宇都宮放送局記者 田中絵里・ネットワーク報道部記者 和田麻子 野田綾 郡義之)

“休眠アカウント”削除の方針!?

ネットがざわついたのは11月27日。ツイッター社が6か月以上利用された痕跡がないアカウントを削除する方針を示したためでした。

対象はEU=ヨーロッパ連合の域内でしたが、「亡くなった人のアカウントを削除しないで」という声が相次いだのです。

アカウント放置のリスクとは

そもそも、なぜ休眠状態のアカウントの削除を打ち出したのか。

ツイッター社は「プライバシー保護ルールのため」といった説明しかしていませんが、休眠アカウントの放置には確かにさまざまなリスクがあるようです。

情報通信政策を所管する総務省に聞いてみると、最も懸念されるのは不正に入手した他者のIDやパスワードでさまざまなサイトにログインを試みるサイバー攻撃。管理されていないアカウントが不正に乗っ取られて、個人情報や過去にやり取りされた個人間のメールの内容が流出するおそれがあるといいます。

総務省によると、被害を防ぐ方法の1つが休眠アカウントの削除だということです。
アカウント放置のリスクとは

生きた証 消さないで

今回ツイッターが示した方針によって、たくさんの人たちが亡くなった人のアカウントを大切にしていることがわかってきました。

「アカウントをなくさないで」

亡くなったアーティストなどのファンからはこんなつぶやきが相次ぎました。

「ヒトリエ」 左から2番目がwowakaさん

中でも多く名前が挙がった1人が、ことし春に亡くなった、バンド「ヒトリエ」のボーカル兼ギター、wowakaさんです。

歌声を人工的に合成するソフト「ボーカロイド」の曲を作っていたことで知られ、バンドを組んでからも若者を中心に人気を集めていました。

亡くなる数日前にツイートした「令和きれいだー。」は4万回以上リツイートされています。

wowakaさんのツイート

男性のツイート
「結構本当に消えちゃうのは悲しい。定期的に覗いてる」

インターネットサイトの記事を引用してつぶやいた宮崎市の18歳の男性に話を聞きました。

中学生のころからwowakaさんの曲を聴いていたという男性。少しもの悲しいけれど、人間関係などに悩んだときに寄り添ってくれるような歌詞にひかれ、今でも月に1回はwowakaさんのアカウントを見に行くといいます。

男性
「曲を聴いてふと思い出して、つぶやかれたことをさかのぼって見ています。wowakaさんが生きていたんだという証を確認できる場所だから」

母の息遣いを感じる

亡くなった家族のアカウントを消さないでほしいという人もいます。

ツイッターの方針を知り、削除をおそれて亡くなった母親のアカウントを撮影した女性のツイートです。

女性のツイート
「慌てて母のアカウントをスクショ。結局1tweetだけだけれども生きていた証。4年後、75歳で急死。健康体のまま旅立ち、本人の希望どおり介護なしでした」

投稿した埼玉県の52歳の女性に話を聞かせてもらいました。

母親が亡くなったのは5年前。埼玉県の自宅で介護が必要な父親を支えながら、それまで元気に暮らしていた母親がある日、入浴中にぐったりしているのを父親が発見。その後、死亡しました。家族にとってはあまりにも急だった死。今でも心残りだといいます。

女性
「ショックでした。母親の日記には、まだまだやりたいことがたくさん書いてありました。本人もそんなつもりは全くなかったと思います。家族は二度と会えなくなるという心構えさえできておらず、最後のことばもかけてあげられなかった」

そんな家族にとって、母親のアカウントはかけがえのない存在だといいます。

アカウントを作ったのは9年前。女性が夫と長男と一緒に実家を訪れた時、母親にツイッターを勧めました。その場で一緒にアカウントを作り、記念に初めて投稿したツイートです。

母親のツイート
「きょうは日曜日。次女の家族が遊びに来てツイッターを勧められ、始めることになりました。生涯元気で『ピンピン・スタスタ・介護なし』でいたい71歳の私です」

女性
「アカウントの文章は家族には大事な思い出で、このまま残してほしいです。短い文章ですが、母親が生きていた時の息遣いを感じることができるんです。これを見るたびに懐かしいと思います。母親が投稿した時の時間が戻ってくるんです」

ツイッター 方針を転換

こうした多くの声があがる中、ツイッタージャパンは28日、公式アカウントを更新。

「亡くなった利用者のアカウントをめぐる多くの意見が寄せられた」としたうえで、当初の判断を「ミス」だとつぶやきました。

そして「亡くなった利用者のアカウントを保存する新しい手段を準備するまで削除は行わない」と当初の方針を転換したことを明らかにしたのです。利用者の声を受けて方針を見直したとみられます。

ツイッタージャパンは「今後の方針についてはそのつどお知らせいたします」としています。

フェイスブックでは

亡くなった人たちが使っていたSNSのアカウント。ツイッターのほかではどうなっているのでしょうか。

フェイスブックを調べてみると、アカウントの所有者が死亡したことがわかれば自動的に「追悼アカウント」に移行する仕組みになっているようです。

「追悼アカウント」では所有者が残した写真や投稿をそのまま見ることができるほか、友だちはタイムラインで思い出をシェアすることもできるということです。

また死亡する前に「追悼アカウントの管理人」を設定している場合は管理人がプロフィールやカバーの写真も変更できますが、所有者のプライバシーを守るためアカウントへのログインは管理人も含め誰もできないとしています。

一方、死亡時に所有者がアカウントを完全に削除したい場合は生前に設定の画面の中から「追悼アカウント」に進み、最後に「死後に削除」をクリックすれば設定できるということです。
フェイスブックでは

更新されなくても

「亡くなった大切な人と、いまもつながっていたい」

その気持ちはいつの時代も変わりません。何気ないつぶやきを、写真を、ふと振り返って思いをはせることができる。亡くなった人のアカウントを見に行くのは「墓参りと同じ」。そんな言い方をしていた人もいました。

常に更新され続けるだけがSNSの役割じゃない。

そのことに気付かされた出来事でした。


渋野4アンダー鈴木、申ジエ1オーバー/第2日詳細

2019-11-29 15:26:37 | 日記
渋野4アンダー鈴木、申ジエ1オーバー/第2日詳細
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1 渋野日向子か鈴木愛か!賞金女王争い - 日刊スポーツ
-www.nikkansports.com > ホーム > スポーツ > ニュース

全英女王の渋野日向子(21=RSK山陽放送)が逆転賞金女王を目指し、ツアー最終戦の第2日に挑んだ。 ... 女子ゴルフ:LPGAツアーチャンピオンシップリコー杯>◇第2日◇ 29日◇宮崎CC(6535ヤード、パー72)◇賞金1億2000万円( ...

渋野4アンダー鈴木、申ジエ1オーバー/第2日詳細
[2019年11月29日14時51分]

<女子ゴルフ:LPGAツアーチャンピオンシップリコー杯>◇第2日◇29日◇宮崎CC(6535ヤード、パー72)◇賞金1億2000万円(優勝3000万円)


逆転賞金女王へ3打差3位から出た全英女王の渋野日向子(21=RSK山陽放送)は、柏原明日架とまわり、3バーディー、1ボギーで2アンダーの70、通算4アンダーとスコアを2つを伸ばし第2日を終えた。

賞金女王トップの鈴木愛(25=セールスフォース)は、1バーディー、2ボギーの1オーバー。通算1オーバー、ランク2位の申ジエは4バーディー、2ボギーの2アンダー。通算1オーバーだった。

渋野の自力賞金女王なしも/最終戦での大逆転条件


中曽根康弘元首相が死去 101歳

2019-11-29 14:31:49 | 日記
中曽根康弘元首相が死去 101歳
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1 NHK 中曽根康弘元首相が死去 101歳

中曽根康弘元首相が死去 101歳
2019年11月29日 12時42分
「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘 元総理大臣が、亡くなりました。101歳でした。

中曽根元総理大臣は、大正7年に、群馬県高崎市で生まれ、昭和16年に旧東京帝国大学を卒業し、当時の内務省に入ったあと、太平洋戦争を経験しました。

そして、昭和22年の衆議院選挙で、旧群馬3区に、当時の民主党から立候補して初当選し、その後、自民党の結成に参加して20回連続で当選しました。

この間、昭和34年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣し、防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを務めました。

また、改進党に所属していた当時、被爆国の日本でも原子力発電に向けた研究開発が不可欠だとして、原子力関係の予算案の提出を主導したことでも知られました。

中曽根氏は、当時の佐藤栄作総理大臣の長期政権のもと、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫と並んで、いわゆる「三角大福中」の一角をなし、「ポスト佐藤」の候補として、党内の実力者のひとりに数えられるようになりました。


昭和57年11月、自民党の総裁予備選挙で、河本敏夫氏、安倍晋太郎氏、中川一郎氏を抑えて、第71代の内閣総理大臣に就任し、「戦後政治の総決算」を掲げて、懸案の解決を目指しました。昭和60年8月15日には、戦後の総理大臣として初めて、靖国神社に公式参拝しましたが、中国などから強い批判を受け、それ以降は参拝を見送りました。

中曽根氏は、行政改革などに尽力し、第2次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の土光敏夫氏と二人三脚で、「増税なき財政再建」に取り組み、当時の「国鉄」、「電電公社」、「専売公社」の民営化に取り組みました。

一方、外交面では、総理大臣就任からまもない昭和58年1月に、当時、関係がぎくしゃくしていた韓国を訪れて関係改善に道筋をつけて、そのままアメリカを訪問し、レーガン大統領との間で強固な信頼関係を築きました。互いを「ロン」「ヤス」と呼び合うレーガン大統領との関係は、中曽根外交の基盤となり、昭和58年11月にレーガン大統領が日本を訪れた際には、東京 日の出町のみずからの別荘「日の出山荘」でもてなし、中曽根氏がほら貝を吹く姿も話題になりました。

昭和60年3月には、旧ソビエトのチェルネンコ書記長の葬儀を利用して、ゴルバチョフ新書記長との首脳会談も実現させました。

一方、中曽根氏は、私的な諮問機関を設けることで、大統領型のトップダウン政治を目指したほか、日米貿易摩擦をめぐる記者会見では、みずからグラフを指し示したり、水泳や座禅をする様子を公開したりするなど、パフォーマンスのうまさでも知られました。

昭和61年には、「死んだふり解散」、「ねたふり解散」とも呼ばれる、衆参同日選挙を行い勝利を収め、党総裁としての任期が1年延長されました。しかし、昭和62年4月の統一地方選挙で敗北し、みずからが目指していた売上税の導入を断念し、その年の10月には、当時、「ニューリーダー」と呼ばれた、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3氏の中から、竹下氏を後継総裁に指名し、11月に退陣しました。

中曽根氏の総理大臣としての在任期間は1806日と、当時としては異例の5年におよび安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ、戦後5番目の長期政権となりました。

総理大臣退任後、リクルート問題で、平成元年5月に衆議院予算委員会で証人喚問を受け、党を離れましたが、2年後に復党しました。

そして、平成8年の衆議院選挙では、小選挙区制度の導入に伴い、当時の党執行部から、比例代表の終身1位で処遇することを確約され、小選挙区での立候補を見送りました。翌年には、大勲位菊花大綬章を受章したほか、国会議員在職50年の表彰も受けました。

しかし、平成15年の衆議院選挙の際、当時の小泉総理大臣が、比例代表の73歳定年制の例外を認めず、中曽根氏は立候補を断念して、56年に及ぶ国会議員としての活動に幕を閉じました。

中曽根氏は、政界引退後も、安全保障や国際交流のシンクタンクの会長を務め、内政や外交をめぐって積極的な発言を続け、みずからの心境を、「くれてなお命の限り蝉しぐれ」と詠んでいます。

とりわけ、憲法改正には強い意欲を示し、新しい憲法の制定を目指す、超党派の国会議員らでつくる団体の会長を務めてきたほか、おととし5月に出版した著書では、戦力の不保持などを定めた9条2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだなどと提案しました。