人間が人間として本質的に持たなければならないのは「人を思いやる心」であり、その心がなけれ人の心を動かすことも自分を活かすこともできません。 イソップ物語にある「北風と太陽」の教訓に見るように、攻めたてたとしても人の心のマントを取ることができないのです。人の心に寄り添うということの大切さを教えた寓話なのですが、では、人の、相手の心に寄り添うということについて、日本の古典本から例をあげてみると、「商い」について考えを述べたものなのですが、人付き合いにも通じるものがあると思います。
江戸時代に石門心学を築いた石田梅岩の「都鄙問答(とひもんどう)第一巻「商人の道を問う」に、その根幹が記されています。それには「働いて得るお金はお客様からいただいたものである」という教えがあり、これが人と人との関係の根幹をなす考え方です。この認識を失えば私利私欲に立脚した自分本位に陥ってしまいます。だが、日本人は「お客様は神様です」という顧客上位の風潮がありますが、それは間違っています。提供するものがあれば受けるものが居る、相関関係でなりたつものなのです。欧米ではサービスを提供する、それを享受する。サービスによる料金の受持は対等な立場なのです。
別の視点から考えてみますと、人間が人間として本質的に持たなければならない心のあり方、それは人を慈しむ心、思いやりで、私はこれを「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」の精神だと考えてきました。
中国の古典「論語」に書き記された話ですが、孔子が自らの生き方について「吾が道は一、以てこれを貫く」と弟子たちに説きました。弟子たちは「吾が道は一」という意味がわからず、孔子の高弟である曾子にその意味を聞くのです。曾子が言うには、「吾が道は一」とは、「忠恕(ちゅうじょ)」であると教えるのです。「忠」とは誠、誠実な心であり、「恕」とは慈悲深い思いやり。つまり「誠実な思いやり」という意味なのです。
「忠恕」の教えも「人の心に花一輪」も思うところは同じで、誠実な思いやりを持って人と接し、相手の心に心地よい印象を残すというもので、自らを活かし相手も活かす人間関係のあり方なのです。互いに思いやるということが大切なのです。
昨今、意見が異なると「分断」という言い方をマスコミなどでも使っています。意見の違い、考え方の違い、人種の違い等々、異なることって多いものですが、それを分断というべきではなく、考え方の相違というだけのこと。その相違があることを認識し合い共存することが大切なことで、「忠恕」であり「人の心に花一輪」ということだと思うのです。
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