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「いつも今が始まり、一瞬懸命 」(その15)

2021年10月04日 16時11分29秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 久しぶりに「いつも今が始まり」を綴ってみました。
 今回は「論語読みの論語知らず」と題して「相手の立場にたつ」を考えてみました。
 論語を読んでも、その字義だけを理解するだけで、実行がともなわないということをさしている。
 「なるほど、なるほど孔子はいいことを言う、勉強になった」。ただそれだけで、その教えに対して人生への教訓として行動にあらわすかというとそうでもなく、字面だけを理解して、「君、君子曰くだね、仁とはねぇ…」と知識をひけらかすばかりでは何もならないと皮肉ったものである。
 商品販売やサービス業において「お客さまの立場に立って」という言葉をよく耳にするが、実のところ、企業利益のため自己利益に軸足をおいた発言であることが多い。利他の精神に立った「お客さまの立場に立って」という精神の薄さが見て取れる。ニュースでさわがれた一流ホテル、料亭の虚偽の食材(偽装表示)などもその良い例である。
 「顧客志向」「お客さまの立場に立って」という考え方を理解するのにとても良い例があります。

 故人となられたが元千葉大学名誉教授多湖 輝氏の著書「動けば叶う」(光文社)に、「子供の視点」で見るだけで別の世界が見えてくる。というテーマで次のようなクイズが紹介されている。
 ある高層マンションの9階に住んでいるBさんは、一人でエレベーターに乗る時、下りる時は一階までエレベーターを使うにもかかわらず、9階に上がる時はいつも3階までエレベーターで行き、あとは階段を使うという。いったい何故だろうか。
 さて、皆さん如何でしょうか、この謎解けるでしょうか?
 
 その答えは幼い子供だったからです。
 幼い子供だから、上がる時にエレベーターのボタンが3階までしか手が届かず、仕方がないので3階で降りて、あとは階段を登るしかなかったのです。
 大人の視点でエレベーターのボタンを取り付けたことから、このような不都合が生じたというわけで、子供の視点で見つめればこのような取り付け方は起こらなかったはずです。必ずしもこの例が的を得ているとは言えませんが、クイズを顧客志向に置き換えて考えてみると、エレベーターを設計した人は大人に標準を合わせボタンを取り付けたのであって、生活の中に子供が居ることなど配慮していないということが読み取れるでしょう。
 お客の立場に立つとは、作る側の都合ではなく、使う側の利便さに立つということであり、このエレベーターとボタンの関係やバリヤフリーなどをはじめとして、作る側、売り手の都合によるものがまだまだ多く、相手の立場になったものの考え方、発想をしていない。

 顧客本位の販売理念について一つ例をあげてみると、江戸時代に石門心学を築いた石田梅岩の「都鄙問答(とひもんどう)第一巻「商人の道を問う」に、その根幹が記述されています。それには「働いて得るお金はお客様からいただいたものである」という教えがあり、これが販売(商い)の根幹をなす顧客本位の考え方です。この認識を失えば売手本位の私利私欲に立脚した販売に陥ってしまいます。
 セールス(商い)で働いているお金、つまり報酬はお客様からいただいていることになります。この「あり難い気持ち」を忘れないことによって、お客様の立場に立つという販売とサービスへの配慮が生まれてくるのです。このことは日々の人間関係にも通じていることなのです。

顧客志向を提唱しながらも実は利益追求のためであったりすることが現実に多く、「論語読みの論語知らず」ということになるのではなかろうか。

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