「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「勧修寺」(かじゅうじ)  

2006年03月03日 23時46分45秒 | 古都逍遥「京都篇」
 勧修寺の初夏は、氷室池一面に杜若、睡蓮、蓮の花がつぎつぎに花を咲かせ、極楽浄土の世界へと誘う。赤い睡蓮に混じって「未草」(ひつじぐさ)といわれる日本固有の種である白い睡蓮が白拍子のように雅やかに揺れていた。周囲の山を借景にした「池泉式庭園」は平安時代、毎年1月2日、この池に張った氷を宮中に献上したことから「氷室池」とも称され、京都でも屈指の古池と伝えられている。私が取材のために訪れた時、「臥竜の老梅」(白梅)が氷室池を背景に純白の彩りを映していた。この老梅は江戸時代に京都御所から移植されたという。

 勧修寺は、亀甲山と号する真言宗山階派の大本山。昌泰3年(900)、醍醐天皇の母である藤原胤子(いんし)の菩提を弔うため胤子の祖父にあたる宮道弥益の私邸を寺としたのが始まり。以後、藤原氏庇護のもとで代々の法皇、親王が入寺し門跡寺院として栄えた。
 この辺り一帯は宇治と並び、貴族の私邸、別邸が点在する別荘地でもあった。また、ほど近い小栗栖の地に、豊臣秀吉によっ通称3日天下を奪い返された明智光秀が、落のびる途中、武者狩の農民の手によって討たれ、その霊を弔う首塚が茂る草むらに忘れさられたように眠っている。書院は江戸時代初期の典型的な造りで、襖には土佐光起の作と伝えられる「竜田ノ紅葉図」、「近江八景図」が描かれているが、現在非公開になっている。この書院の前に樹齢750年ともいわれる無双の銘木・ハイビャクシンが地を這うように茂り、徳川光圀の寄進と伝わる勧修寺型灯籠を包み込んでいる。灯籠は別名「雪見灯籠」「水戸灯籠」とも称されている。そして、木の葉の陰に坐禅僧の無の姿を漂わせる如く、半月(水盆・石造り)が雨水を湛え、悠久の往時を偲ばせる。
 寝殿作り風の宸殿や、江戸初期書院作りの典型とされる書院(重文)は元禄10年(1697)に、明正天皇の旧殿を外賜された。
 2万平方㍍の池を中心に展開する雄大な池泉舟遊式の庭園で、池の中には大小3つの島が浮かび東山を借景に15の景勝が設けられている。春には桜、初夏に菖蒲、スイレンが咲き、水際には鳳凰をいただいた高殿の大悲閣が趣をいっそう引き立たせている。
 所在地:京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6。
 交通:JR京都駅、山科駅から地下鉄東西線で小野駅下車、西へ徒歩10分。 


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