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「いつも今が始まり はじめに言葉ありき」 (その10)

2021年02月15日 22時22分04秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 口から言葉として解き放たれたら、もうその「言葉」は元には戻らないものだ。
 聖書に「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なり。よろずのもの、これによりて成る。」(『新約聖書』-ヨハネによる福音書)
 日本にも「言霊」と云って言の葉には神が宿るものとされてきた。
 今回の森会長が放った言葉は、たとえそれが引用として使われたものであっても、マスコミに切り取られた一言であったとしても、慎重さが必要ではなかったろうか。会長、いや元会長の実績・功績に対し敬意を表するに値するものがあるにせよ、それだけの実績を積む人が軽々に発する言葉ではなかっただろう。
 後任の選任で透明性、透明性と叫ぶが、人事について硝子張りにすることもできないだろう。「この人が適任」「いやその人はこんな性格もある」「あの人はどうだろう」等々をガラス張りにて論じ合えば、選任される段階で人格までも丸裸にされかねない。人事選考は不透明でなければ個人の尊厳にかかわることにもなる。
 いずれにしても、人の上に立つ人、リーダーになる者は「言葉」という曲者に警戒せねばならない。「言葉は神」と思い神の言葉で愛をもって語らねばならないだろう。放たれた言葉の重要性を理解していない者は人の上に立つべきではない。

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