源義経黄金伝説■第21回★
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
源頼朝屋敷を出ようとすると、背後から声が掛かる。西行は後方を振り向く。
「西行、ここで何をしておる」
聞いたことのある声だが…、
やはり、、頼朝の荒法師にして政治顧問、文覚(もんがく)が、後ろに立っている。傍らに弟子なのかすずやかな眼差しをした小僧をはべらしている。
「おお、これは文覚殿。先刻まで、大殿(頼朝)様と話をしておりました」
「話じゃと、何かよからぬ企みではあるまいな」
文覚は最初から喧嘩腰である。
文覚は生理的に西行が嫌いだった。西行は院をはじめ、貴族の方々とも繋がりをを持ち、いわば京都の利益を代表して動いているに違いない。その西行がここにいるとすれば、目的は怪しまなければならぬ。
「西行よ、何を後白河法皇(ごしらかわほうおう)から入れ知恵された」
直截に聞いている。元は、後白河法皇から命令され、伊豆の頼朝に旗をあげさせた文覚であったが、今はすっかり頼朝側についている。それゆえ、この時期に、この鎌倉を訪れた西行のうさん臭さが気になったのだ。
「さあ、さあ、もし、大殿に危害を加えようとするならば、この文覚が許しはせぬぞ」
西行も、この文覚の怒気に圧倒されている。
文覚は二〇年ほど前を思い起こした。
1166年京都「西行め、ふらふらと歌の道「しきしまみち」などに入りよって、あいつは何奴じゃ」
文覚は心の底から怒っていた。文覚は怒りの人であり、直情の人である。思うことは直ぐさま行い、気に入らぬことは気に入らぬと言う。それゆえ、同じ北面の武士(ほくめんのぶし)のころから、気が合わないでいた。
西行は佐藤義清(さとうのりきよ)という武士であった頃は、鳥羽院(とばいん)の北面の武士。院の親衛隊である。西行は、いわば古代豪族から続く政治エリートであり、それがさっさと出家し、歌の道「しきしまみち」に入った。それも政治家など上級者に、出入り自由の聖(ひじり)なのである。
西行は文覚に言う。
「文覚どの、私はこの世を平和にしょうとおもうのです」
「平和だと、うろんくさいこと言うな。おぬしの口からそんな言葉がでようとはな」
「では、この国の形を変えるともしあげればどうだ」
「くっつ」文覚は苦笑いしている。
その笑いは同じく国を変えようとされているからであろう」
「何年たっても私の考えがおわかりにならないのか」
「わかりたくもない」
「で、藤原秀衡殿を呪殺されようというわけか」
「主は何を企む。平泉と何を企む。まさか、」
文覚は思う。
「主は崇徳上皇にも取り入り、弟の後白河法皇に取り入り、また平泉にも取り入るつもりか」
崇徳は30年前、1156年保元元年、弟の後白河法皇に敗れている。保元の乱である。この後、四国に流されている。
「文覚どの、鎌倉には法皇の命令で、今は鎌倉のお味方か」
「だまれ、西行、貴様こそ、由緒正しい名ある佐藤家の武士でありながら、
「しきしまみち」を使うとは先祖に対して申し開きできるか」
「文覚どの、その言葉そのまま返そうか。お主も武士でありながら呪殺を江ノ島祈願いたしておろう」
「うぬ。敵、味方はっきりしたならば、お主を平泉に行かせまいぞ」
「よろしいのか。大殿とのの命は」
確かに頼朝の命令は西行を平泉に行かせよである。
「しかたがない。ここで雌雄を、、、」
二人はにらみ合っている。
恐るべき意識の流れがそこに生じていた。
「御師匠様、おやめ下さい」
かたわらにいる子供が言いた。
子供ながら恐るべき存在感がある。その顔は夢みる眦に特徴がある。
「おおう、夢見か。わかった。この西行殿が顔を覚えておけ」
「西行様、初めてお目にかかります。拙僧の名前は、夢見でございます。京都神護寺からまいりました。師匠さまの事よろしくお願いいたします」
夢見、後の明恵(みようえ)である。法然と宗教上で戦うこととなる。
同時に、何かの集団が近きつつあった。
「くそ、西行、味方が増えたらしいな。集団で動くか。お主も、勝負はいずれ,まっておれよ」
「生きて合えればなあ」西行も悪態をつく。 二人はふた方向にわかれた。
「西行様、ご無事で」
いつのまにか東大寺闇法師、重蔵が控えている。
が、笑いをこらえている風情である。
「おお、重蔵殿か。あいすまぬなあ」
汗をかいている。
「ふふ、私としたことが、つい歳を忘れてしまう。あやつにあうと」にが笑いをしている。
「お知り合いでございますか」
「古い付き合いよ。北面の武士以来なのだよ。」
廻りの集団が気に成っている。
「結縁の方々、ありがとうござる。何でもございません。危機は、、もう終わり申した」
重蔵の言葉に近くの樹木の影にいた気配がすべて消えていた。西行はにがりきった笑いをする。
「法眼殿の手下か」
先ほどの手勢は、方眼が京都から連絡した結縁衆であろう。密かに西行を守っている。重蔵は、西行にもこのような面があるかと思い微笑んでいる。この有名なる京都「しきしきみち」の漢に子供のけんかのような、、
「あの子供の方が気にかかります。なにやら恐ろしげな、、」
重蔵はつぶやいている。
薄ら寒い10月の鎌倉の朝もやの中で、西行が先ほどの情景を思い出している。
「重蔵どの。頼朝殿は、流鏑馬に熟達し、当代第一の弓持ちと言われたこの西
行の前で、弓矢の技を見せられたのだ」
東大寺闇法師重蔵が返した。
「それは何をお考えなのでしょうや」
「頼朝殿、平泉を攻めるつもりであろう」
「えっつ、やはり」
十蔵は西行を見た。
が西行はすでに自分の殻に入り考えにふけっている。
不思議な方じゃ、重蔵は最初の出合いを思い出している。
「くそ、いらぬじゃまが、はいりおったわ。のう夢見よ」
鎌倉になる文覚屋敷で。文覚が発した。
夢見、後の明恵(みようえ)は答えた。
「西行様の背後には、あるやんごとなき想いが見えます」
「和歌(しきしまみち)に対する想いか」
「いえ、そうではございません。人で御座います」
「女か」
「いえ、ある男の方への想いで御座います」
「では、まさか、あ、おの方へか、」
文覚は、西行の想いが、待賢門院(たいけんもんいん)へかと思った。
が,夢見ー明恵は違うという。
待賢門院の兄は徳大寺実能、西行は藤原家徳大寺実能の家人
であった。待賢門院は崇徳上皇の母である。
夢見は感受性が強い、その人間の過去もうっすらと読み取る事ができる。
夢見のよく見る夢は恐ろしい。きり刻まれた体の夢だ。
夢見の父は,頼朝決起の戦いでなくなっている。
母は紀州豪族湯浅氏の出身である。
この時期の紀州は、熊野詣で大繁盛している。
紀州熊野は仏教に在来の民間密教が結びつき、一大新興宗教の集積地として
機能している。
密教秘儀を身につけて貴族の保護をうけるモノが、京都の政治
を左右できる。桓武帝以降、宗教各派は、政治闘争を繰り返している。
摂関政治に関与できた宗派が権威を持ち荘園を所有できる。
仏教各教団は、経済組織でもあり、民衆もその権威に頼ろうとした。
その夢見の夢想の中に西行が現れていた。
続く2010改訂
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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源頼朝屋敷を出ようとすると、背後から声が掛かる。西行は後方を振り向く。
「西行、ここで何をしておる」
聞いたことのある声だが…、
やはり、、頼朝の荒法師にして政治顧問、文覚(もんがく)が、後ろに立っている。傍らに弟子なのかすずやかな眼差しをした小僧をはべらしている。
「おお、これは文覚殿。先刻まで、大殿(頼朝)様と話をしておりました」
「話じゃと、何かよからぬ企みではあるまいな」
文覚は最初から喧嘩腰である。
文覚は生理的に西行が嫌いだった。西行は院をはじめ、貴族の方々とも繋がりをを持ち、いわば京都の利益を代表して動いているに違いない。その西行がここにいるとすれば、目的は怪しまなければならぬ。
「西行よ、何を後白河法皇(ごしらかわほうおう)から入れ知恵された」
直截に聞いている。元は、後白河法皇から命令され、伊豆の頼朝に旗をあげさせた文覚であったが、今はすっかり頼朝側についている。それゆえ、この時期に、この鎌倉を訪れた西行のうさん臭さが気になったのだ。
「さあ、さあ、もし、大殿に危害を加えようとするならば、この文覚が許しはせぬぞ」
西行も、この文覚の怒気に圧倒されている。
文覚は二〇年ほど前を思い起こした。
1166年京都「西行め、ふらふらと歌の道「しきしまみち」などに入りよって、あいつは何奴じゃ」
文覚は心の底から怒っていた。文覚は怒りの人であり、直情の人である。思うことは直ぐさま行い、気に入らぬことは気に入らぬと言う。それゆえ、同じ北面の武士(ほくめんのぶし)のころから、気が合わないでいた。
西行は佐藤義清(さとうのりきよ)という武士であった頃は、鳥羽院(とばいん)の北面の武士。院の親衛隊である。西行は、いわば古代豪族から続く政治エリートであり、それがさっさと出家し、歌の道「しきしまみち」に入った。それも政治家など上級者に、出入り自由の聖(ひじり)なのである。
西行は文覚に言う。
「文覚どの、私はこの世を平和にしょうとおもうのです」
「平和だと、うろんくさいこと言うな。おぬしの口からそんな言葉がでようとはな」
「では、この国の形を変えるともしあげればどうだ」
「くっつ」文覚は苦笑いしている。
その笑いは同じく国を変えようとされているからであろう」
「何年たっても私の考えがおわかりにならないのか」
「わかりたくもない」
「で、藤原秀衡殿を呪殺されようというわけか」
「主は何を企む。平泉と何を企む。まさか、」
文覚は思う。
「主は崇徳上皇にも取り入り、弟の後白河法皇に取り入り、また平泉にも取り入るつもりか」
崇徳は30年前、1156年保元元年、弟の後白河法皇に敗れている。保元の乱である。この後、四国に流されている。
「文覚どの、鎌倉には法皇の命令で、今は鎌倉のお味方か」
「だまれ、西行、貴様こそ、由緒正しい名ある佐藤家の武士でありながら、
「しきしまみち」を使うとは先祖に対して申し開きできるか」
「文覚どの、その言葉そのまま返そうか。お主も武士でありながら呪殺を江ノ島祈願いたしておろう」
「うぬ。敵、味方はっきりしたならば、お主を平泉に行かせまいぞ」
「よろしいのか。大殿とのの命は」
確かに頼朝の命令は西行を平泉に行かせよである。
「しかたがない。ここで雌雄を、、、」
二人はにらみ合っている。
恐るべき意識の流れがそこに生じていた。
「御師匠様、おやめ下さい」
かたわらにいる子供が言いた。
子供ながら恐るべき存在感がある。その顔は夢みる眦に特徴がある。
「おおう、夢見か。わかった。この西行殿が顔を覚えておけ」
「西行様、初めてお目にかかります。拙僧の名前は、夢見でございます。京都神護寺からまいりました。師匠さまの事よろしくお願いいたします」
夢見、後の明恵(みようえ)である。法然と宗教上で戦うこととなる。
同時に、何かの集団が近きつつあった。
「くそ、西行、味方が増えたらしいな。集団で動くか。お主も、勝負はいずれ,まっておれよ」
「生きて合えればなあ」西行も悪態をつく。 二人はふた方向にわかれた。
「西行様、ご無事で」
いつのまにか東大寺闇法師、重蔵が控えている。
が、笑いをこらえている風情である。
「おお、重蔵殿か。あいすまぬなあ」
汗をかいている。
「ふふ、私としたことが、つい歳を忘れてしまう。あやつにあうと」にが笑いをしている。
「お知り合いでございますか」
「古い付き合いよ。北面の武士以来なのだよ。」
廻りの集団が気に成っている。
「結縁の方々、ありがとうござる。何でもございません。危機は、、もう終わり申した」
重蔵の言葉に近くの樹木の影にいた気配がすべて消えていた。西行はにがりきった笑いをする。
「法眼殿の手下か」
先ほどの手勢は、方眼が京都から連絡した結縁衆であろう。密かに西行を守っている。重蔵は、西行にもこのような面があるかと思い微笑んでいる。この有名なる京都「しきしきみち」の漢に子供のけんかのような、、
「あの子供の方が気にかかります。なにやら恐ろしげな、、」
重蔵はつぶやいている。
薄ら寒い10月の鎌倉の朝もやの中で、西行が先ほどの情景を思い出している。
「重蔵どの。頼朝殿は、流鏑馬に熟達し、当代第一の弓持ちと言われたこの西
行の前で、弓矢の技を見せられたのだ」
東大寺闇法師重蔵が返した。
「それは何をお考えなのでしょうや」
「頼朝殿、平泉を攻めるつもりであろう」
「えっつ、やはり」
十蔵は西行を見た。
が西行はすでに自分の殻に入り考えにふけっている。
不思議な方じゃ、重蔵は最初の出合いを思い出している。
「くそ、いらぬじゃまが、はいりおったわ。のう夢見よ」
鎌倉になる文覚屋敷で。文覚が発した。
夢見、後の明恵(みようえ)は答えた。
「西行様の背後には、あるやんごとなき想いが見えます」
「和歌(しきしまみち)に対する想いか」
「いえ、そうではございません。人で御座います」
「女か」
「いえ、ある男の方への想いで御座います」
「では、まさか、あ、おの方へか、」
文覚は、西行の想いが、待賢門院(たいけんもんいん)へかと思った。
が,夢見ー明恵は違うという。
待賢門院の兄は徳大寺実能、西行は藤原家徳大寺実能の家人
であった。待賢門院は崇徳上皇の母である。
夢見は感受性が強い、その人間の過去もうっすらと読み取る事ができる。
夢見のよく見る夢は恐ろしい。きり刻まれた体の夢だ。
夢見の父は,頼朝決起の戦いでなくなっている。
母は紀州豪族湯浅氏の出身である。
この時期の紀州は、熊野詣で大繁盛している。
紀州熊野は仏教に在来の民間密教が結びつき、一大新興宗教の集積地として
機能している。
密教秘儀を身につけて貴族の保護をうけるモノが、京都の政治
を左右できる。桓武帝以降、宗教各派は、政治闘争を繰り返している。
摂関政治に関与できた宗派が権威を持ち荘園を所有できる。
仏教各教団は、経済組織でもあり、民衆もその権威に頼ろうとした。
その夢見の夢想の中に西行が現れていた。
続く2010改訂
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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