ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【拡散願います】不時着ヘリ、津堅島を離陸したというけれど(20210608)

2021年06月08日 | 米軍/自衛隊

 2021年6月2日23時頃、津堅島南の畑地に不時着した普天間基地所属の第36海兵航空群のUH-1(37番機)輸送ヘリは、7日11時48分離陸して、普天間基地に戻った。これをやれやれと言うべきなのか、冗談じゃないと断言すべきだ。

 私は本件について繰り返し書いてきたが、米軍及び日本政府(沖縄防衛局等の出先機関)は、本件についてなにひとつ説明も謝罪もしていない。このままでは、同様な事態が繰返されるのを待つことになるだろう。

 米軍は当初、エンジンの故障と説明したそうだが、原因不明と言い換えた。そして5日、6日、7日と時間が経過した。米軍は悪天候のためと言訳しているが、飛行不能な気象条件ではなかった。直ったと言うことは原因を突き止めたから直ったのだ。適当に直ったことして、飛べるものではない。

 要するに説明できるものを隠しているのだ。うるま市長が説明なく不満としている態度は正しいのだ。もっと論理的に説明を求めるべきだ。

 私は4月のうるま市長選の前(今年2月)、うるま市内で講演している。うるま市は、嘉手納基地、普天間基地の飛行経路の下にあり、事故の危険性はたえずありますと指摘した。この予告が現実となったのだ。今回は不時着であって、墜落ではない。人的物的損害も出ていないようだ。しかし緊急着陸するにはそれなりの理由と判断があったのだろう。事故に繋がる蓋然性があったればこその緊急着陸だろう。

 ここに普天間機の事故(過去5年間)関連一覧を示す。①2016年12月13日、MV-22オスプレイが名護市安部の岬の先端に墜落(大破)。②17年1月20日AH-1Z攻撃ヘリがうるま市伊計島に不時着、③17年6月Ⅰ日、CH-53大型ヘリが久米島空港に緊急着陸、④17年6月6日、オスプレイが伊江島補助飛行場に緊急着陸、⑤17年6月10日、オスプレイが奄美空港に緊急着陸、⑥17年8月5日、オスプレイがオーストラリア東部の沖合いで墜落。乗員3名が行方不名に。⑦17年8月29日、オスプレイが大分空港に緊急着陸。⑧17年9月29日、オスプレイが新石垣空港に緊急着陸、⑨17年10月11日、CH-53Eが東村高江の牧草地に不時着、炎上(大破)、⑩18年1月6日、UH-1多用途ヘリが伊計島に不時着、⑪18年1月8日、AH-1Z攻撃ヘリが読谷村儀間の廃棄物処分場内に不時着、⑫18年1月23日、AH-1Zが渡名喜村村営ヘリポートに不時着、⑬19年9月5日、UH-1多用途ヘリが久米島空港に緊急着陸、⑭19年4月Ⅰ日、オスプレイが大阪府の伊丹空港に緊急着陸、⑮19年10月26日、AH-1Z攻撃ヘリとUH-1多用途ヘリが鹿児島県種子島空港跡地に緊急着陸。と繰返されているのだ。因に私は①と⑧と⑨を取材している。(この一覧は、6月4日の沖縄タイムスのまとめに、私が補足)

 こうした事例は遠方でも起きているが、やはり注目すべきことは、普天間基地周辺・飛行ルートでの案件だろう。①、②、⑩、⑪そして今回はこれに該当しているだろう。また④と⑨は演習場(付近)での案件だ。 

 で、今回だが、当局による説明がないので、私なりに推論してみる。

 不時着地点は、津堅島南部の住宅に近い畑だった。23時頃。要するにどこかで夜間訓練をしていた帰路だ。UH-1なので、一般的には中部訓練場、北部訓練場、伊江島となるが、夜間訓練であり、どこかで住民は22時過ぎまでヘリを音をきいていないのだろうか? 無灯火だったとしても、聞こえるはずだ。また沖合いだとすると、浮原島(津堅島北東に約8000m)、南浮原島(同北東約7000m)あたりだろう。ここらだと音は聞こえまい。

 また、どうして津堅島の畑地を適地だと判断したのだろうか。津堅島上空から普天間基地は西方に約18kmあるので、警告ランプが点灯したので、下りたと言うが、ホワイトビーチのヘリポートまで約7000m、ホワイトビーチ西方の浜まで約6000mだ。警告ランプが付いた地点がどこだかわからないが、(北東から飛んできたのなら)もっと近かった可能性が高い。

 津堅島南部の住宅に近い地点を最適とした根拠を質すべきだ。類似の案件を減らすためにはこうした具体性をもって追及しなければ、米日政府は何も明らかにしないだろう。原因をあきらかにしなければ、然るべき対策を打つことはできないのだ。彼らは手品師ではないのだ!

 沖縄県による抗議と追及を要請したい。 

 

 



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