今日は濡れた。長ズボン、運動靴、ザックカバー、長袖シャツ。早朝、ジャブジャブの雨で出かけるのを諦めていた。主催者から予定変更ですと連絡が来たので出かけた。10時から12時まで滞りなくできた。後片付けも。私がバスを降りる前から再びジャブジャブの降り方になっていた。開演中に、こんなだったら、できなかっただろう。
何せ行きの時間帯(9時頃)も西海岸では降っておらず、辺野古側にバスであがっていくと、本降りだった。その後、小やみになり、多少濡れたぐらいですんだ。結果的にいえば、運よく、「正解」だったといえよう。海の上でできなかったけれど、瀬嵩(せだけ)の大浦湾側でできなかったけれど、二人と2つのグループの演奏会ができたのだ。飾り物も美しかったし、欲を言えば照明が欲しかったが、それを言えば、「おまえが準備しろ」と言われそうだ。
私がこの第2テントで撮ること、海上チームの主催のものを公然と正面から撮ることは、およそ4年ぶり。おかげでやや緊張したが、皆さんに受け入れていただいた。感謝申し上げたい。その報告については別稿で書く。
運が悪いことが続くと、私などはめげる質だが、天候のように自然現象では、致し方ない。私たちには、如何ともしがたいことだからだ。できごとには、致し方のないことと、自身の行いの問題や、社会や政治の問題などが錯綜しており、何が如何ともしがたいことなのか、何は変えることができるのか、諦めずに踏ん張るのかを見極めておかないとならない。
長いものに巻かれる生き方は、ここを曖昧にし、すべてを「運命論」に流しこんでいくやり方だといえるだろう。日本人的なだらしなさ。日本人は中世以降、「運命論」が押しつけられ、押し流されてきたのだ。にもかかわらず、民衆自身が大国ぶってきたから、他国の人たちを厳しく抑圧してきた。情けない民族なのだ。ヤマトと、沖縄・琉球の間にもこの抑圧の歴史が滔々と流れている。お互いに、ここに気づかないまま進んでしまえば、同じような過ちを再び繰り返すだろう。
「異質」と「同質」を競い合うのではなく、抑圧してきた歴史、抑圧されてきた歴史と、「運命論」を克服する道に、私たちが歩み出さなければなるまい。核戦争にでもなれば、何だって壊滅するのだ。そんな死に急ぎを、私はごめんだ。
民族的な自覚を主張する人々は、民族がすべてではなく、人類として生きていける協力のしたかを学ぶことに意を注いでいただきたい。大変難しい話で、私にもこうだといえないことが多々あるが、いかなる民族主義にも私は、破滅への糸口が宿っているとみている。類としての生き方を根底に据えなければ、競合の結果、馬鹿を見るのは私たち民衆なのだ。人類的な知恵を育むことなしに、人間の未来はないだろう。
人間は、自分が絶対に正しいわけではないと知らないと、過ちを繰り返していくようだ。しかし自分中心主義を克服することは困難だ。この打開策を私は「賢者」に譲りたくない。私が宗教をいぶかしく思うのもここにある。宗教戦争のような対立はこれまでの歴史の中で、山のように犯してきたじゃないか。「賢者」の意思に従うべきなのか、従わざるべきなのか、よくよく考えたい。
話を戻すと、運の善し悪しでものを考えるあり方を、私は改めないとならないだろう。「運命論」に流されず、この道を歩き続けたい。