去る2024年3月24日、「生きる、つながるために基地を観る平和ガイド」について、当ブログに公開した。
【拡散願います】「生きる、つながるために基地を観る平和ガイド」を始めます(20240324) - ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び
昨日から某原稿に取り組みつつあるが、その中で重大なことに気がついた。要は、過去から今に至る歩みを振り返りつつ基地を観ると言うことだが、それはこれからの未来を展望するものにならなければ、意味がない。基地がある沖縄の現実から基地のない沖縄へ。これは沖縄だけではない。基地のある日本、アジアから、基地のない日本、アジアにしていく。この展望を語れなければ意味がない。今進行していることは「負担軽減」策と言われた1996年12月のSACO合意が何をもたらしたのかだ。いつのまにか、琉球諸島・沖縄を対中戦争最前線におしあげてきたのではなかったのか?
こうした現実を深く検討し、武力による平和から、武力をなくしていく平和への茨の道を探るしか他に手はないだろう。今や八方塞がりだが、「武力による平和」が何をもたらしてきたのか、そして民衆こそが平和の担い手にならなければならないだろう。改めて平和とは何かを考え直さなければならない。
政府・軍からお金をもらって、よしよしと思ったら、それが戦争への道を黙認していくだろう。知らず知らずのうちに、「まぁいいか」になっていく。お金と引き換えに、「敵は、中国・北朝鮮・ロシア」になってしまえば、アウトだろ。この国は米国と連んで、戦争経済で金儲けに走る時代に入ってしまったのだ。誠に残念なことだ。戦争経済といっても、よほど意識していなければ見えてこない。関係者でなければ分からない。しかし人々はより貧しくなり、貧富の差は拡大していく。昔のように植民地に夢を託すこともできない。昔はこうして植民地に夢を託した人たちがそこの人たちに酷いことをした、させられたのだ。
だとすると人々が手がけるのは、犯罪か、悪徳商法だろう。デジタル時代で誰しもこうしたことと無縁に生きられない時代になっている。私達が考える平和とは何か、これを真剣に考え出し、あってはならない世界を否定し、あるべき世界を模索する。亀のようにのろい歩みになるだろうが、一縷の望みを捨てたらおしまいだ。そういうことなのだ。
ということで少々、再検討させていただきます。