ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】那覇軍港追っかけのラストは普天間基地へ(20220212-②)

2022年02月14日 | 米軍/自衛隊

2022年2月12日(土)曇 

15:30過ぎに私は那覇軍港を後にした。私は最後を嘉数に行くと決めた。なぜかといえば、普天間基地は海兵隊の航空部隊の基地だからだ。第3海兵遠征軍、第1海兵航空団、第36海兵航空群部隊が常駐している。

 同基地に、MV-22オスプレイが24機、CH-53E大形輸送ヘリが12機、AH-1Z対地攻撃ヘリが12機、UH-1Y輸送ヘリが6機いる(他に小型輸送機計4機)。今回の兵員の輸送は、トラック等による車両と、MV-22オスプレイとCH-53E大型輸送ヘリだった。私の知るところでは、8日の午前にCH-53が1回、午後にMV-22が1回、9日午後に、MV-22が2回(同じ機体)、10日夜にMV-22が2回(2機)(但し音のみの確認)、11日午後にCH-53が1回、12日午前にCH-53が4回だったようだ。この他に未確認情報だが、10日夜に何機かの情報も入ってきている。

 予想外に航空機の飛来は少なかったと言える。何故だろうか。2月8日朝に私は嘉数高台に立ち寄った(既報)。MV-22が9機とCMV-22が2機、CH-53は数機に過ぎなかった。驚かされたが、多くは洋上にいることが予想できた。強襲揚陸艦アメリカ、ドック型揚陸艦、アシュランドとグリーンベイが沖縄近海に来ているからだ。

 では4日後の12日(土)の夕方はどうだろうかと考えた。私はまだ帰還していないと予測した。もしも帰還していれば、海兵隊はこの9日から12日の間にもうすこし大きな展開が可能だったかも知れない。

嘉数バス停から先を急いだ。展望台に上がった。

やっぱり少ないままだ。17:00

数えてみる。MV-22が8機、CMV-22(駐:海軍機、白い奴)が2機、CH-53が3機か4機。戻ってきていない。17:10

つまり揚陸艦隊は洋上であり、演習を続行中だと言うことだ。洋上に10機余り持っていくと、島での展開は大幅に制限されてしまうようだ。私はここまで確認できた。

今回は、

①那覇軍港と普天間基地、揚陸艦の上(洋上)と3点を重ねて考えることが重要だということだ。

②基地ウォッチングは、今いるものばかりか、いないものにも注目すべきなのだ。どこで何しているのかと、頭を巡らすことだ。

 私は思い出す。2004年のイラク戦争の時、嘉手納も普天間基地も静かだった。イラク攻撃に沖縄から出ていたのだ。遺憾ながら、静かだから安心できないのだ。他者への不幸は、私たちへの不幸をもたらすのだ。戦争とはそういうことだ。

 私たちが生きていくためには、どこでも戦争を起さない努力を重ねるしかないのだ。『不戦』を万国の人々の合い言葉にしたいものだ。これは夢ではない。希望でもない。生きていくために譲ることのできない最低限の条件だ。だからこそ、私たちは過去に犯した戦争責任にこだわるしかないはずだ。

 沖縄を攻撃のための軍事拠点にさせない、基地撤去の闘いは、これからが本番に入るだろう。戦争屋たちの勝手放題をいつまで我慢していくのだろうか。

 



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