ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

夏の写真展準備に大童(20240424)

2024年04月24日 | ヤマヒデ企画

もうお昼です。2024年4月24日(水)名護市西海岸は雲の中

 昨日、近くの喫茶店で、夏の写真展の企画の詰めをやろうと思って、でかけたが、休みだった。仕方なく遠くまで行った。30分余りだったが捗った。夜、これを文書にまとめようと思っていたが、突然お腹が痛くなり、不可能になった。まったくもう(今は大丈夫)。

 今朝になって、昨日考えたことにプラスして、企画骨子案をつめた。まだまだ考え抜き、追加取材を交え、更に詰めないとならないが、方向性は見えてきた。昨日の30分の効果は絶大だった。しかし、この30分がミラクルだったわけではない。22日にチラシ添付用の写真を探す作業を7,8時間やったからイメージが浮かんできたのだ。何事も地道にやらないとできないようだ。

 今後この骨子案を参照しながら、コマ選びを本格化させる。全体スケジュールの進行管理と照合しながら、やれることをやるしかない。頑張ります。

 具体的なことを明らかにしていないが、準備の都合上、もう暫くお待ちください。ご理解の程、宜しくお願いいたします。

 今週末からゴールデンウイークだ。私にとっては、1989年5月5日に最初に沖縄にきてから35周年を迎える。思えば遠くに来たものだ。距離としての1500km+35年。およそ100回ぐらいだろうか。数えることはできるだろうが、今は時間の無駄だ。

 問題は状況が悪化しており、この国は沖縄を、日本国内を戦場に捧げる道にまっしぐらだということだ。「遠くに来たものだ」というのは、奴らがやってきたことに抗することが、やはり沖縄に越してくる(2013年10月)前に考えていたよりも重いのだ。まぁ、色々考えざるを得ない。今回の写真展を私は、そうした中間総括にしたい。形にすることで見えてくることは、沢山あるはずだ。無ければ困る。

 話しは変わるが、民主主義って何だろう? 「裏金」問題を一過性にしないためにも、この民主主義を考え抜くことは避けられまい。沖縄(米国による沖縄占領・併合)から始まった日本の安保体制、戦後日本国家の歴史を紐解き直さなければ、民主主義って何なのか、見えてこないだろう。「民主主義って何だ?! これだ!」(2014-15の安保法制=戦争法反対運動の中で叫ばれた)と言えたほど、生やさしいものではないと、私は考え続けてきた。

 人間は本能を壊した結果誕生し、文明を造ってきたので、類的存在の根を失っている。だから同類同士で血眼になって戦争(殺し合う)するバカモノなのだ。これを解決できない限り、人間の未来は暗い。「国民」などと言って、国民主義を競う(非「国民」をさげすむ)のはナンセンスの極みだ。対外的対内的な矛盾を抱えながら、軍事化に走るこの国は、何処に向かうのだろうか? 人間が放置した宇宙ゴミが地球に突き刺さってくる時代の中で、海洋に捨てられた放射能やプラゴミが、彷徨う中で、地球のみか、宇宙までを戦場に広げている愚劣な人間達。こんな連中が作り出そうという未来は、やはり「核の冬」がまっているのではないか。

 私だって暗い話しをしたくない。しかし暗さを見つめなければ、明るい未来を展望できない。冷徹に見通すことを抜きに、未来を展望できないだろう。

 こうした諸々に否と私は言い続けていきたい。

 



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