おはようございます。沖縄島(名護市)の天気は雨模様が続いていました。なんとなく寒い。投稿が止まっています。頭が整理できないのです。色々と悩ましくて。
それでも、発想を転換しようと、3月27日、ACO沖縄の「密航者~波濤をこえて」を観劇してきました。初めて那覇文化芸術劇場なはーと小劇場に行きました。ちょうどいい感じの小劇場でした。あいにく身体が絶不調で、見たというしかできません。それでも沖縄の芝居の一端にふれたのは、良かった。何が沖縄的なのか、そうでないのかも含めて、考えていきたいです。
4月2日には沖展を見てきました。3年ぶり。コロナ禍で開かれていなかった。入場券等、出品者にはいただけるのです。あいかわらず多分野にわたり、所狭しとばかり。
まぁ、見て損しません。なーるほどと思うものはあるのですから。アーティストは多様なのだと思う。多様でない芸術はありえないのですから。一目でこれを表現したかったのだと分かる物があるかと思えば、全く分からない物もある。何も抽象的だからではありません。具象的な物でもいくらでもわからないものがある。芸術は発想ですから、致し方ない。また誰かの解説が正しいとばかり言えません。もっと別な世界がありうるのです。
写真部門を一番よく見ましたが、刺激的なものはあまりなかった。私と見ている世界が違うようです。それでも多様なものを見る事は重要です。スマホで、ぱ、ぱ、ぱっと流すようにみていては、決して養えないものがある。それは「みた」だけです。
絵画を描くのは、時間を掛けて考えながらできます。1枚の絵に、様々なものを組み込める。見る側からすれば、ここはよくわからないが、ここはわかるみたいなこともある。写真は制作に掛かる時間がある意味短い。だから、なかなか多重なイメージを込められない。これをカバーするのは、不断の積み重ねです。これは重要なことだと改めて思いました。
構想力は何事でも重要です。矛盾が多ければ多いほど、この構想力が問われるのです。だから頭が痛くなる。様々な矛盾と格闘を強いられるのが沖縄なのでしょう。そう思うことが初めの一歩だと割り切れば、少し頭が軽くなるかも知れません。
疲れたときは寝る。疲れたときは、気分を転換する。無理せず、こうしないと。