ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】宮古島での素朴な疑問(20240615ー①)

2024年06月18日 | 宮古群島

2024年6月14日(金)曇 

那覇空港、激しい雷雨で私が乗る予定の便は欠航になっていた。一便遅らせて、予定は12:10発だったが、14時代に乗った。満員状態だった。途中揺れましたが、着陸時のガタンがなかなかでした。2時間余り遅れた。睡眠不足もあり、疲れた。まず休憩。そして宿へ。

6月15日(土)晴れた。今日は沖縄県議選ラストデーだが、私はいつも通り基地へ向かう。

7時40分出発。

平良港から上がった旧市役所通り。朱色の鳥居。奥の木の下が、御願所のはず。大日本帝国の文化が宮古島にも襲いかかったのだろう。半端な文化の融合。私はやるせない思いで、通過。7:51

下地康教氏。自民党現職なのに宣伝隊は10人程度だ。8:08

8:09 

8:10 通過する車両運転手らに手フリする運動員。

彼らの選挙事務所。「次の世代に何を渡そうか?」とまっとうそうなテーマを掲げている。しかし増税と裏金と軍事産業べったりの自民党だ。8:12

彼らが渡すものは、「戦乱」ではないのか?! 許しません! 

宮古空港脇から飛行機を撮る。30分ほど。

歩道の端に座り込む。

北東から着陸するRAC(琉球エアーコミューター)のボンバルディアDHC-8-400 カーゴコンビ。8:45

50人乗り。

尻尾が隠れた!(要するに失敗作)8:45

私は空港を越えて南東へ。

歩いていると暑い。

ガジュマルの木の下(崖の内側)に壕がある。「奈底の壕」だという。戦時中の避難壕。9:48

野原(のばる)へ!

あれ(ドーム)が見えたら、もうすぐ野原だ。10:11

観光バスの駐車場と航空自衛隊第53警戒隊の巨大なレーダー。

ここで一句ならぬ、閃めいた。

基地と観光が共存しているようだ。この空自警戒隊は米軍占領後に作られた対空レーダー基地から自衛隊に移管された(1972年10月)。73年2月南西警戒群が新設された。宮古島に第53警戒隊、沖縄島与座岳分屯基地に第56警戒隊、沖永良部島に第55警戒隊からなる警戒群があり、撃破する対空ミサイル部隊が近くにあるのだ。沖縄島恩納分屯基地、同知念分屯基地だ。嘉手納基地や普天間基地、自衛隊の那覇基地・那覇飛行場等を守るようだ。

野原の交差点脇で食事と考えていたが、お休みだった!

10:28 ファミマと第53警戒隊のレーダー2基。J/FPS7.遠距離用(左)と、近距離用の2基。

信号との間にあるコンクリートの建物は空自の給水施設。

ここから西へ上がる。

10:45 坂を上がる。サトウキビの畑。

伝統工芸館脇の展望台へ(標高80mぐらいか)。

展望台にクジャクがいた! 10羽ぐらい。思わず声を上げてしまった!(またまた大失敗)

シルエットしか見えず、種名は不明。

展望台に上がる。無論クジャクは飛んで姿を消していた。

11:09 樹上にセンニンソウが咲いている。

11:12 2つのレーダーサイト。ドームの中にレーダーが組み込まれている。

あの赤瓦の建物が陸上自衛隊千代田駐屯地だ。11:15

ここから1200mぐらいか。

ここで疑問が湧いてきた。何故赤瓦か。千代田も、石垣島も、与那国島の陸自建物は全て同じパターンだ。

琉球の島々の人々に受け入れてもらいたいからか?、赤瓦の製造工場との利権か?。何かあるよな。

11:20 展望台に上がるためには、藪に覆われた場所に足を踏み込むしかないのだ(約2mぐらいか)。

痛い! ここで応急的にささくれを外す。

南西へ。宮古島市伝統工芸センター方向から歩いてきた。サトウキビの奥が千代田駐屯地。11:35

11:39 農地はレーダー群の目の前にある。

11:37 第53警戒隊レーダー群の地上波レーダー。様々な周波数の情報を察知している。農家の温度・湿度管理施設。

野原の農民研修センターから野原レーダー網。11:47

11:50 選挙ポスターと第53警戒隊レーダー(右奥)

定数2名に3名が立候補している。

(続く)

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。