ちょうど20年前の2004年5月に秩父の二子山に登った。一人で出かけたのだが、写真を見ても細かい所があまり思い出せない。実は二子山にはその7年前の1997年の年末に妻やその姉妹といっしょに登っていて、その時の記録が残っていたので、季節外れだがそのときのことを書くことにする。
1997年の年末、妻とその姉妹を山に誘ったらみんな喜んで、行くという返事だった。
そこで秩父の山をいくつか候補にあげ、当日に最終決定することにしていた。
当日になってみると風もなく晴れ上がった絶好の登山日和。
そこで大展望が期待できる秩父の二子山に行くことにした。
西武線の芦ヶ久保の近くにある方ではなく、小鹿野町の奥、群馬県との県境にあるほうの山だ。
武甲山同様にはるか太平洋のかなたからやってきた石灰岩の岩山なのでスリルも味わえる。
国道299号線で小鹿野町を抜け、志賀坂峠にかかる手前の登人山荘の近くに車をとめた。
二子山はその名の通り東西ふたつの峰からできている。
私たちは、その間にある股峠にむかって魚尾道とよばれる古道を歩く。
けっこうきつい登りが続くのですぐに汗ばんできたのでコートを脱いだ。
このあたりから頭の上に西岳の岩峰が見えたので、あそこの上まで行くのだといったら、だれも信用しなかった。
谷間の道をすすんで、最後の峠へ向かって登るところは胸突き八丁と呼ぶにふさわしい急登だった。
股峠には、東岳に行っているらしいグループのリュックが3つとヘルメットが置いてあった。
峠の北側から冷たい風が吹いてきて汗が冷えてきた。
私たちは東岳には寄らずに直接西岳にむかった。
少し尾根通しに歩いた後、北側の斜面にまわりこむ。
このあたりから足元は少しぬかるんできた。
木の幹や枝につかまりながら登り続け、頂上から続いているらしい岩脈をこわごわ乗り越えたりしていくと、もうそこが山上の稜線だった。
稜線に出て少し西へ行ったところが二子山西岳1165mの山頂だった。
ここまでは岩脈を乗り越すときが少し怖かっただけであとは手がかり足掛かりも豊富でそれほど怖い思いはせずに到着できた。
とにかくさえぎるもののない360度の大展望だ。南には両神山、北には東西御荷鉾山と赤久縄山。
両神山の向こうには濃淡いくつものグラデーションを重ねたシルエットが武甲山から奥秩父の稜線へとつらなっていた。
ここでお昼にするにはまだ時刻が早いので第2峰まで行くことにした。
移動する前に3姉妹と私単独とそれぞれ記念撮影。
出発前に西峰の方をみるとすっぱり切れ落ちているようでビビったが、歩きはじめてみるとちゃんと尾根が続いていた。
でもこんな風に岩をよじるところもあって、顔が少しひきつっている。
岩場を先におりて振り返って写真を撮る。みんなにこやかな顔になるが、下りだすと顔つきが変わってくる。
浸食のすすんだ石灰岩なので手がかり足掛かりはたくさんある。
それでも下をみるとお尻がむずむずしてしまう。
奥が西岳の山頂。遠くから見るととても歩けるとは思えない。
歩いているときは夢中だが、振り返ってみるとよくあんなところをと思う。
さて第2峰に到着。ここは東岳山頂とほぼ同じくらいの広さ。
そこでお待ちかねの昼食。おでんを4人前用意してきたのだが、足らなかった。
妹さんがワインを持ってきたのでそれもあけた。
あらためて自分たちが歩いてきた稜線を振り返り、信じられないような、あるいはやや満足でもあるような3人。
両側がすっぱりと切れ落ちた姿は山水画のようだ。
昼食後は稜線をさらに西へとすすむ。このあたりからは南面の絶壁がよく見えた。
目の下には志賀坂峠につづく山々が。
稜線通しには叶山の石灰石採掘場が見えた。もはや山の姿はなくなっていた。
さて稜線からはずれておりるところがこれまでで一番段差のある4mくらいの鎖場で、さすがにみんな緊張していた。
手元だけ見ている分にはいいのだが、足場を探して下を見ると足場の先の谷底まで目に入っていまうのでぞっとする。
私が先に下りて、手がかり足掛かりを指示して一人づつ下りてもらった。
岩場をぬけたあとは樹林帯の快適なくだりだった。
稜線から標高にして100mほど下ると送電鉄塔があり、樹木が切り開かれて二子山がきれいに姿を見せていた。
二子山をバックに記念撮影。
カメラを固定して全員で。みんな岩場を越えてきたことで自信にあふれ、満足そうだった。
感想を聞くと、とにかく無我夢中で、つまらないことは全部忘れられたと笑っていた。
帰りに両神村の日帰り温泉に寄るつもりだったが、年末のため営業時間が短縮されて終わってしまっていたのが残念だった。
でも27年前か、みんな若かったね。今では全員ジジババだ。