山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

蓄積されたものを

2014-04-18 23:48:34 | 透明人間三部作-2014-2015
東京から熊本へ帰って来た1984年から1990年までの間はパフォーマンス色が濃厚だった。
いわゆる物語の解体、イメージを断片的に構成して繋ぎ合わせて、絵画でいう抽象画のような劇を作って発表した。
今でもその手法は部分的に用いる。部分なのか全体なのか、結果は見る人に委ねるところまで余裕はでてきた。
余裕があるのは長年の経験者に限られているのだろうが、うっかりすると大きな落とし穴に落ちることもあることも気付いているつもりだ。
うっかりすると抽象=「理解できない世界」は自己満足に終わることを知っているからだ。
自己満足は気付かないから落とし穴になってしまう。芸術的あるいは前衛的という間違った評価を生んでしまうのだ。
言われることは自由だが、自分から言うようになってはダメだと思うのである。ダサい。
過去、リアリズム演劇を是とするお年寄り(演劇の先輩)から「自己満足では長く続かないよ。」と忠告された経験もある。
それは、いわゆるアングラ劇に対して共通する批判でもあったと思う。
今この時代、アングラ劇ー新劇の境界は見えない。1960年代ー70年代の激しい論争は消えた。

稽古場では
「表情を内がわへ集中!そして、パッと発散すること!次は身体を震わせながらステップする。」
日常の言葉では訳のわからないことを相も変わらず言っている。
ボケの極みか。・・・
いいえ。見えないことを現すために!
「透明人間」は後だしジャンケンで例えるならばパーである。
きっと見に来られるお客さんはグーであると予想しているからだ。