今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大船:玉縄城,長尾氏史跡,観音様

2022年03月29日 | 城巡り

やはり屋外の散策は気分転換になる。
昨日の近場散歩に元気づけられて、今日は都外(隣県)に足を延ばす。

ただ早起きが必要な遠方やバスの便などの綿密な計画が必要な所は負荷が高いので、気楽に行ける所にする。
いくつかの候補から絞られたのは、小田原北条氏の支城として第一位の玉縄城趾があり(本来なら史跡になっていてもおかしくない)、関東戦国史にあちこちで存在感を示す長尾氏発祥の地がある神奈川県の大船(鎌倉市・横浜市)。

趣味にしている山城探訪と武士の史跡巡り、それに大船といえば駅前に屹立する大船観音があるので、仏像巡りもできる(大船観音は再訪となる)。
もっとも大船第一の名勝は田谷の洞窟(横浜市)だが、ここはちょっと離れていて、訪れたことがあるので、今回は省略。

東海道線で大船に行き、改札を出て、繁盛している反対側の西口(観音側)のバスターミナルに向かう。
玉縄城趾近くの「植木谷戸」を経由するバスは出たばかりで30分待つため、たいした距離でないので南西に向かって柏尾川沿いの県道を歩くことにする。
玉縄首塚から住宅街の裏道に入り、トンネルを抜けると、右手に玉縄城主が開山した龍寳寺の門があり、その横にこじんまりした玉縄歴史館がある。

無人だが開いていて、箱に200円入れて中に入る。
自分で室内照明をつけて展示室に入ると、玉縄城の縄張りの模型や玉縄城の発掘の情報があり、2階は地元の民俗資料が展示してある。
玉縄城趾の散策地図が自由に持っていっていいのがありがたい。
地元では史跡の指定を目指して整備に力を入れているようだ。

歴史館(照明を消す)の隣りに旧石井家住宅という江戸時代の農家(重要文化財)があり、さっきの200円はここの見学も含んでいる。
さらに奥に寺の本堂があり、本堂脇に玉縄歴代城主北条綱成・繁氏・氏勝の供養塔がある(古い石塔と新しい供養塔)。

Googleマップではこの近くに蕎麦屋があって昼食をあてにしていたのだが、あいにく今日はやっていなかった(その他に店はない)。
空腹をかかえて、いよいよ玉縄城の縄張りに入る。
人家が切れて山にさしかかると冠木門があり、切岸の下の七曲坂という登城路を登る(写真)。

登った先の高台は住宅地になっているが、一段高い所に太鼓櫓があったという緑地がある(弁当持参ならここのベンチで休むといい。木の間越しに大船観音が見える)。
さらに住宅地の中を進むと縄張りのほとんどを占めている清泉女学院の敷地入口に大手門跡説明板がある。
ここから城主の館があったという陣屋坂を下り、城下に下り立ってバスに乗って大船駅に戻る。

ターミナルでバスを乗り換え、今度は横浜市側に北上するバス(こちらは路線がたくさんある)に乗り、「小蓋山」という所(実は田谷の1つ前)で降りて、Googleマップをたよりに長尾砦跡に向かう。

農地と新興住宅が混じっている高台上にあるマップ上の場所には、いくら探してもそれらしきものはなく、あきらめて次の御霊神社に向かう先に、長尾砦跡の説明板があった(帰宅後、Googleマップに修正を依頼した)。

この付近の台地を”長尾台”といい、この長尾を名字の地にした鎌倉武士の長尾氏は、その後関東に拡散し、室町時代の関東管領(山内)上杉氏の家宰として、扇谷上杉氏の家宰・太田道灌とともに混乱する関東の安定に骨を折った(一族の1人、長尾景春はむしろ混乱させる側になったが)。
その遠縁である越後の守護代であった越後長尾氏から長尾景虎こと上杉謙信が輩出される。
上杉の跡目を継いだ謙信は関東管領となり、(名目上だが)関東の主に上り詰める。

といっても越後の謙信はこの長尾の地とはだいぶ縁遠いのだが、説明板は謙信を長尾氏一番の出世頭として繋がりをアピールしている(確かに戦国武将の発祥地は別の場所だったりする。武田は常陸、織田は越前、徳川は上野だし)

砦は看板しかないが、今でも残っている御霊神社は、その長尾氏の始祖である鎌倉権五郎影政を祀っている(写真)。
しかも境内は長尾氏の居館跡にもなっている(説明板あり)。
神社に向かう参道は長いものの、地元長尾台のローカルな鎮守でしなかないこじんまりした神社で、なにもない境内では小学生の女の子たちが一輪車で遊んでいる。

参道を下って「宮の前」からバスで大船駅に戻り、駅前の大船観音を目指して高台に登る。

高台の敷地は寺になっていて(観音像を単なるモニュメントではなく、本尊とするため)入り口で拝観料300円払い、さらに石段を上って、高台上に聳える大船観音と対面する(写真)。

昭和35年に完成した大船観音は、幼少時から家族の熱海旅行で電車が大船を通るたびに見ていて、駅に近づくにつれ、側面から斜めに突き出た頭部がぬっと出てくるのが(特に夜のライトアップで)不気味だったが、正面から見るお顔は優しさに満ちていてホッとする。

昭和期に造られた各地にあるこの手の巨大仏は、近くで見るとアラが目立つものだが、大船観音はむしろこのくらい近くで見た方が美しさを実感できる。
設計・工事ともにハイレベルだった証拠だ(設計および工事指導は彫刻家の山本豊市氏という)。
その意味でも貴重な美観音だ(内部にも入れる)。

結局昼食抜きで3箇所の見学を通してしまった。
空腹を埋めるため大船駅改札内の駅そば(いろり庵きらく)に立寄った。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。