前記事を受けて、システム2内の二重性を前提にシステム3の話をしたいのだが、「心の多重過程モデル」におけるシステム0から2までの下位過程をおさらいしておきたい。
私は「心」を”生体の情報処理機能”と定義する。
これは人を対象とした心理学の枠を超えた広い定義であるが、人間における”心”の拡大でもある。
私は「心」を”生体の情報処理機能”と定義する。
これは人を対象とした心理学の枠を超えた広い定義であるが、人間における”心”の拡大でもある。
そもそも生物そのものが遺伝情報によって構成され、それを再生産する存在である。
また個体の生活自体も情報を通しての環境との相互作用で、この段階で生命活動としての最も基盤的な情報処理活動としての心「システム0」が作動している。
システム0の主機能は、外界から分離された被膜内の内部環境の維持(恒常性維持)である。
この機能は従来は”心”とみなされていなかったこともあり、あえて0というナンバーになる。
当然ながら、システム0は脳組織に限定されないので、心=脳という図式に限定されない(たとえば免疫系や腸もシステム0。脳でいえば、自律神経・内分泌系を司る脳幹と下垂体・視床下部のある間脳が中心)。
そして動物段階になると、外界の刺激に能動的に反応する機構が創発される(受動的適応から能動的適応へ)。
知覚、情動、記憶を使った学習も可能で、これらは心の基本機能として心理学も認めている(海馬・扁桃体のある大脳辺縁系と皮質の感覚・運動系が中心)。
それがシステム1であり、覚醒時に作動している。
動物一般はもとより、人間においても習慣的行動の大半はシステム1による。
無自覚・周辺意識での反応がこれに該当する(言葉の正しい意味での「無意識」はシステム0である)。
そしてシステム2は、情報の入力(刺激)と出力(反応)の間に介在する内的演算過程の創発によるもので、
とりわけ自我(モニター)と想念(思考・表象)の発達が特徴である(前頭連合野が中心)。
情報を主体的に選択・統合し、現実でない状態を想像することが可能となる。
いわば、生物学的な(生存のための)情報処理過程ではなくなり、情報それ自体が意味を持つ真の情報空間が誕生する。
このシステム2は、ホモ・サピエンスにおける7万年前の認知革命(ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』)から始まり、3000年前にほぼ完成したらしい(ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』)。
そして紀元前6世紀には、現代まで通用する哲学的思考が誕生した。
また個体の生活自体も情報を通しての環境との相互作用で、この段階で生命活動としての最も基盤的な情報処理活動としての心「システム0」が作動している。
システム0の主機能は、外界から分離された被膜内の内部環境の維持(恒常性維持)である。
この機能は従来は”心”とみなされていなかったこともあり、あえて0というナンバーになる。
当然ながら、システム0は脳組織に限定されないので、心=脳という図式に限定されない(たとえば免疫系や腸もシステム0。脳でいえば、自律神経・内分泌系を司る脳幹と下垂体・視床下部のある間脳が中心)。
そして動物段階になると、外界の刺激に能動的に反応する機構が創発される(受動的適応から能動的適応へ)。
知覚、情動、記憶を使った学習も可能で、これらは心の基本機能として心理学も認めている(海馬・扁桃体のある大脳辺縁系と皮質の感覚・運動系が中心)。
それがシステム1であり、覚醒時に作動している。
動物一般はもとより、人間においても習慣的行動の大半はシステム1による。
無自覚・周辺意識での反応がこれに該当する(言葉の正しい意味での「無意識」はシステム0である)。
そしてシステム2は、情報の入力(刺激)と出力(反応)の間に介在する内的演算過程の創発によるもので、
とりわけ自我(モニター)と想念(思考・表象)の発達が特徴である(前頭連合野が中心)。
情報を主体的に選択・統合し、現実でない状態を想像することが可能となる。
いわば、生物学的な(生存のための)情報処理過程ではなくなり、情報それ自体が意味を持つ真の情報空間が誕生する。
このシステム2は、ホモ・サピエンスにおける7万年前の認知革命(ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』)から始まり、3000年前にほぼ完成したらしい(ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』)。
そして紀元前6世紀には、現代まで通用する哲学的思考が誕生した。
そしてこれらの思考パターン自体が情報として人類に共有される(個体間で共有された想念が”精神”)。
共有された想念(精神)は集団的力によって自己増殖して、非現実的な空想的思考となって人々の心を支配するようになる。
その典型が宗教という神話的思考である。
この神話的思考は人の生死を決する基準とすらなる。
共有された想念(精神)は集団的力によって自己増殖して、非現実的な空想的思考となって人々の心を支配するようになる。
その典型が宗教という神話的思考である。
この神話的思考は人の生死を決する基準とすらなる。
現代になって人間の情報処理負荷はますます高度化され、処理をメディアに外部化しても間に合わないほどになり、ついには処理を人間から外した自動化への道を歩み始めている。
かように情報処理機能としての人間の心は飽和状態に達した感がある。
それはシステム2の飽和状態ともいえ、その機能の延長上のメディア(AI)を使うことで、人類はシステム2の進化とは別方向の心の進化が可能となる。
それがシステム3である。
かように情報処理機能としての人間の心は飽和状態に達した感がある。
それはシステム2の飽和状態ともいえ、その機能の延長上のメディア(AI)を使うことで、人類はシステム2の進化とは別方向の心の進化が可能となる。
それがシステム3である。
21世紀の人間の心は、システム2的情報処理能力でAIと競合するか、それとは別の方向(システム3)に進むかの分岐点に立っているといえる。