私が向おうとしているサイキック・スピリチュアルな領域は、既存の「二重過程モデル」(システム1とシステム2)では説明できないが、その拡大版である「多重過程モデル」(私の最新論文(2018)では「四重過程モデル」と称しているが、さらにサブシステムが増える予定なので、数を限定しない名称にする)では、説明可能であることがわかってきた。
ただしこの話題は、まだ前学問的なレベルなので学術論文にはできない※。
そのため、本ブログで、その幾つかを紹介する。
※→論文にしました!「心の多重過程モデル」(2019)
まずはこの領域の基本である「瞑想」から。
瞑想は、通常の意識状態ではない覚醒状態、すなわちシステム2主導ではない心の状態を実現するものである。
意識(システム2)とその補集合(システム1)しか想定していない従来の心理学(二重過程モデル)に対して、私の「多重過程モデル」ではシステム2の意識に代わる状態を複数示すことができる。
すなわちシステム1(無意識)とシステム3(メタ意識)である。
いいかえれば瞑想を、システム1的瞑想とシステム3的瞑想とにきちんと区別できるところがミソである(→文末に追加情報)。
●システム1(潜在意識)志向の瞑想は、変性意識状態(トランス)を目指す。
システム2(意識)の活動水準を低下させて、潜在しているシステム1を解放するためである。
これは自己催眠状態であり、まさに睡眠時の夢見と同じく潜在意識の活動が主体となる。
ただそこでの異様な体験は、夢でのそれと同じく、潜在意識内の幻影(脳内再生)現象にすぎない。
夢がそうであるように、それは自我で制御できない妄想的体験である。
なので、この体験だけで自己超越ができたと思ってはならない。
オウム真理教で信者が懸命(強迫的)にやっていた瞑想はどうやらこのタイプである。
システム1の体験を受け取る(解釈する)システム2がそもそも妄想的思考に陥っていれば、妄想の悪循環に陥る。
このような悲喜劇はオウム真理教だけではない、今後も繰り返されるだろう。
●一方、システム3(メタ意識)志向の瞑想は、マインドフルネス(気づき)を目指す。
システム2が主体であることを降り、システム2(思考)を眺める高次の視点を実現する(もちろん、システム2が無視していたシステム1もシステム0も眺めの対象となる)。
この瞑想では、意識水準が通常以上にクリアになる(ハイパー覚醒)。
すなわちシステム1的瞑想とは逆方向の状態である(この違いが重要)。
ただし思惟されるのではなく観照されるのみである。
システム3はシステム2の妄想的思考から自由になり、八正道の「正見」を実現することにつながる。
それを実現できた者を「覚者」(buddha)という。
以上から、システム1の潜在意識を解放するには、それを受け取るシステム2が正しく作動していることが必要となる。
そのためにはシステム2を客観視できるシステム3の作動がまた必要になる。
言い換えれば、あやふやなシステム2下での安易なシステム1瞑想は危険ですらある。
回り道のようだが、釈尊(ゴータマ)が示したように、システム3瞑想を先に修得した方がよい。
ただし既存の(仏教的、認知行動療法的)「マインドフルネス」は、システム3の実現が目標で、システム1の解放には関心を示さない(気づくだけのシステム3では解放・開発という能動性は示せない)。
それに対して「心」の十全な活性化を目指すわが「多重過程モデル」では、われわれが本来備えている心の能力であるシステム1(潜在意識)の解放・開発も目標のひとつである。
ということは、システム間の相互作用も考慮する多重過程モデルでは、システム3瞑想とシステム1瞑想は背反的なものではなく、それぞれが目的・役割の異なるともに必要な瞑想で、むしろその使い分けこそが必要なのだ。
その使い分けの原理は、システム3すら対象化するさらに高次のシステム4にある。
ただしシステム4については論文にしておらず、きちんと説明していない(本ブログには言及してある)。
実はシステム4の探究のため、サイキック・スピリチュアルな領域に向っているのだ。
追加: D.クリーガー『セラピューティック・タッチ』(春秋社)に附録されている実験論文によれば、瞑想には従来知られていたα波・θ波主体の瞑想(変性意識状態)があるが、実験の被験者となったクリーガー自身によるセラピューティック・タッチ施術中の脳波は、β速波主体であり、これはセンタリング(意識集中)というもうひとつの瞑想状態によるものであるという。これはシステム3の瞑想(ハイパー覚醒)に相当する。
ところで、先生は、このモデルにおいて、フロー体験はどのように位置づけられるとお考えですか。 もしよろしければ、お聞かせください。
ご質問にあるように、既存の心の現象を多重過程で説明するのが私の課題です。
「フロー体験」は没入する、流れるような、日本語的には”波にのった”体験のことで、われわれにとって特別に意味のあるものです。
フロー体験の位置づけですが、既存の二重過程モデルを論じたカーネマンの『ファスト&スロー』でも言及されていて、「経験する自己」(⇔記憶する自己)の現象とされています。
私個人は、注意集中が主な作動原理なので S(システム)2が主体だと思います。面白い小説に熱中すると、文字を追っていることを忘れて、鮮明なイメージ体験をしますが、これはS2の能力です。(誰でもできる)S2のフル作動でこのような幸福体験を得られるのはすばらしいことです。
S1レベルの感情は、快不快次元の情動にすぎませんが、 S2では、感動や幸福のような”精神的”な感情体験ができます。
S3側に立つマインドフルネスは S2を劣ったレベルと見なしますが、すべてのサブシステムの十全な作動を理想とする多重過程モデルでは、 S2にはS2の最高の作動を期待します。
ただフロー体験(S2)を自覚するのは、チクセントミハイの書にあるように、”現象学”すなわちS3によるといえます。
私としても、フロー体験は、快不快を感じることよりも、むしろ、快不快を感じている自己についての評価や予測が関係しているように思われます(漠然としていますが・・・)。ですので、フロー体験を再帰的認知システムであるS2の作用として位置付けるのは納得できました。ありがとうございます。
ところで、私は、先生の多重過程モデルのように、心の現象を統一的なモデルで説明しようとする試みに強い魅力を感じます。このような試みについてもっと知りたいと思うのですが、どのようなキーワードで調査すれば良いのか分からずにいます。
(このような試みとして、今のところ私が知っているのは、AndersonのACT-Rモデル、Endsleyの状況認識モデル、心の哲学者の信原幸弘の諸作などです。)
恐縮ですが、もしよろしければ、先生がこのような取り組みを始めるに至った動機、また、類似の分野・研究者・文献などをご教示いただけませんか。
拙い文章で申し訳ありません。
お時間がある時で構いませんので、御返信いただければ幸いです。
ご質問の内容については、私の2019年の論文「心の多重過程モデル」(ここの記事にリンクを張りました)で一部、言及しています。
私自身がこの方向への探究に出発したばかりなので、情報提供できる段階ではありません。
本ブログでは、論文にする前段階の、より自由な構想レベルを披露していくつもりです。
承知しました。
先生の多重過程モデルの探求を心より応援しています。また、ブログの更新も楽しみにしています。
この度はありがとうございました。