日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

死を招く熱中症の恐怖

2007-08-12 | つれづれ
今年の夏は暑い夏です。
昨日は県内でも工事現場で作業をしていた方が
熱中症で倒れそのまま帰らぬ人となられました。
今回の事故は労災になるため建設会社の管理責任も問われそうです。
今年のように猛暑日が続いていると
私自身が熱中症にかかった時のことを思い出します。

今から十年以上も前になると思いますが
熱中症にかかったことがあります。
原因は、真夏の炎天下、空地の草刈をしたことによります。
当時は知識が無かったこともありますが
真夏の真昼午後一時過ぎからの作業だったと記憶しています。

約70坪の空地に草が茫々に生え
町から再三に渡り、空地の管理の指導が来たものですから
仕方なく草刈機で大きく生え茂った雑草を退治に出かけたのでした。

出かけて約90分後
雑草に敗れた私の姿は自宅にありました。
呼吸がまともにできないのです。
明らかに体調が変になりました。

体温を測ると、やがて39度に迫ろうかという高熱
直ぐに冷蔵庫の氷で冷やした塩水を何杯も何杯も飲みました。
それでも熱が下がらない様子を見て
次にしたのは水シャワーでした。
何分入っていたでしょうか。
頭の天辺から足の指先までずっと水道水を身体中にかけ続けました。

私にとっての気の遠くなるような体温調整機能の回復作業が続きました。
なんとなく落ち着いたのはもう夕方になっていたことを記憶しています。

熱中症は絶対に我慢してはいけません。
素人療法ながら恐らく大きな対処間違いは無かったのだと思います。
ただ、その後数週間、体温調整がしにくい自分を感じたのを覚えています。

先日、保育所の車の中で二歳の子が熱中症で亡くなりました。
恐らく、熱中症の怖さを先生たちは認識していなかったのだと思います。
経験したものは直ぐに体温を下げることを気づきます。
しかも身体の中からです。
脳ミソをです。

この夏は熱中症に気をつけたいと思います。
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長崎を最後の被爆地に

2007-08-12 | つれづれ
下平作江さんという長崎の原爆の被災者がいらっしゃいます。
お母さん、お姉さんは被爆により真っ黒になり死亡
お兄さんは三日後に亡くなったとのことです。
お母さんは黒焦げの遺体の前歯の金歯で
お姉さんは、顔を手で覆っていたため、
その手を外すと手の平分のお姉さんの顔が判別できたとのことでした。
お兄さんは、嘔吐を繰り返し亡くなったそうです。

この6月スペインのゲルニカで原爆展が開催されたとき
原爆の語りべとして参加され
スペインの人たちに「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ」を訴えてこられました。

その時の講和の中で「長崎を最後の被爆地にして欲しい」
即ち、もうこの地球上で核兵器は使わないで欲しいと訴えられました。

戦後60年以上経ちました。
どんどん戦争が遠いものの様に感じられるようになってしまっています。
たった一発の核兵器が
たくさんの人の命を
たくさんの人の夢を
たくさんの人の家庭を
いとも簡単に消滅させてしまいました。

もう直ぐ旧盆です。
久しぶりに顔を会わせる親族との再会も大切ですが
8月15日が戦争とそして原爆で沢山の犠牲の上で成り立っている
終戦記念日だということを忘れたくはないものです。

平和ボケ日本人にはなりたくはないものです。

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