後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「思い出のホテル(13)ザ・ウインザーホテル洞爺の思い出」

2024年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム
2014年12月1日に泊まったウインザーホテル洞爺は感動的なホテルでした。
絨毯が厚く、その模様が落ち着いた美しい柄で感銘深い内装でした。その上ホテル内の壁紙や装飾が実に華やかです。ケバケバしくない品の良い華やかさです。
そこでその外観と内装の写真をお送りします。華麗な内装の美しさをお楽しみ下さい。「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」は、洞爺湖を一望できる高台に建っているリゾートホテルです。ロビーやレストラン、そして客室から臨む洞爺湖や内浦湾の美しさと、思わず深呼吸したくなる開放的な大パノラマが魅力です。 

そして朝食の写真です。

このホテルの華麗さのかげには経営の破たんによる有為転変があったのです。
そんな苦難の歴史があったような気配を感じさせない従業員の態度には別の意味で非常に感動しています。
http://biz-journal.jp/2014/05/post_4766_2.html  より抜粋します。
このホテルには有為転変の歴史があり、経営が破綻した北海道拓殖銀行の乱脈融資により生まれた“バブルの殿堂”としても知られる。
カブトデコムの子会社エイペックスが700億円を投じて1993年6月に開業した会員制の高級ホテル、エイペックス洞爺が前身である。
イタリア産の大理石張りのロビーなど贅を尽くした建物は、バブルならではの産物といわれた。
 しかしバブルは崩壊し、同ホテルのオープンを境にして、巨額融資した拓銀とカブトデコムの関係が悪化。
そして97年11月、バブル崩壊で多額の不良債権を抱えた拓銀が破綻、エイペックスも98年3月に自己破産を申請した。負債総額は949億円に上った。
そんな中、同ホテルに救済の手を差し伸べたのがセコムだった。
施設を改装してザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパと名前を変え、2002年6月に営業を再開した。そして2014年7月1日より明治海運グループとなったのです。
このように経営の破たんによる有為転変があったのです。
しかしウインザーホテル洞爺は感動的なホテルでした。

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