後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ヘッセの『車輪の下』の思い出とドイツの世界遺産」

2024年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
さきの戦争の時、ドイツは日本の同盟国でした。そんなこともあってドイツのヘルマン・ヘッセやトーマス・マンの文学作品は日本人によく読まれました。私も読みました。
今日はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の思い出を書いてみたいと思います。
ヘルマン・ヘッセはシトー修道士達が作った神学校の生徒でした。
このシトー修道士達は別名「白い修道士」とも呼ばれ染料を用いない白い修道服を身に着け、厳しい戒律の中で労働と学習を最も重んじていました。写真でこのシトー修道士達の修道院とマウルブロン村の風景を示します。


このマウルブロンの修道院は堀と塀で外界から隔離され、修道院内には農舎から家畜小屋そして立派な水利システムまであります。マウルブロンの修道士達は自給自足をしていました。そんな建築物がまとめて1993年に世界遺産として登録されたのです。保存状態の良いマウルブロン修道院は、宗教改革の波で破壊されず近代には修道院から神学校へと姿を変えています。
この神学校にヘルマン・ヘッセも通っていたのです。この神学校の生活をモデルに書かれたのが『車輪の下』です。『車輪の下』は1905年に発表されました。私も高校時代に読んで深く感動しました。その感動をもう一度思い出すためにその「あらすじ」と「背景」を示します。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E4%B8%8B#%E8%83%8C%E6%99%AF )
あらすじ、
ハンスという少年は、文学に天才的な才能を持ち、エリート養成学校である神学校に2位の成績で合格する。町中の人々から将来を嘱望されるものの、神学校の仲間と触れ合ううちに、勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を感じる。そして、周囲の期待に応えるために、自らの欲望を押し殺し、その果てに、ハンスの細い心身は疲弊していく。勉強に対するやる気を失い、ついに神学校を退学する。
その後、機械工となり出直そうするが、挫折感と、昔ともに学んだ同級生への劣等感から自暴自棄となり、慣れない酒に酔って川に落ち死ぬ。溺死したようにも受け取れるが、真相は語られてはいない。

背景
ヘッセは、少年時代の神学校在学時に、「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」と悩み、不眠症とノイローゼを患うようになった。その結果、神学校を退学、精神療養を経て、一般の高校に転校する。その後も、どうすれば詩人になれるのかを悩み続け、再び高校を退学、本屋の見習いとなった。しかし、三日でその店をやめて、消息を絶ってしまった。この物語の主人公であるハンスには、周りに誰も支えてくれる人がいない。それに対して、ヘッセには、母親がいた。そして、母親の存在があったおかげで、ヘッセは立ち直ることができた。ハンスとヘッセとの大きな違いである。
長くなるのでこれで止めます。

今日はドイツのヘッセゆかりのマウルブロン修道院をご紹介しました。そしてヘッセの『車輪の下』をご紹介致しました。ついでにドイツの世界遺産の一覧を参考資料として末尾に示しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=========================
ドイツの世界遺産一覧
アーヘン大聖堂文化遺産1978年
シュパイヤー大聖堂文化遺産1981年
ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場文化遺産1981年
ヴィースの巡礼教会文化遺産1983年
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト文化遺産1984年
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会文化遺産1985年
トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会文化遺産1986年
ローマ帝国の国境線文化遺産1987、2005、2008年
ハンザ同盟都市リューベック文化遺産1987年
ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群文化遺産1990、1992、1999年
ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター文化遺産1991年
ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム文化遺産1992、2010年
バンベルクの町文化遺産1993年
マウルブロンの修道院群文化遺産1993年
クヴェートリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街文化遺産1994年
フェルクリンゲン製鉄所文化遺産1994年
メッセル・ピットの化石地域自然遺産1995年
ケルン大聖堂文化遺産1996年
ヴァイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群文化遺産1996年
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群文化遺産1996年
古典主義の都ヴァイマール文化遺産1998年
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)文化遺産1999年
ヴァルトブルク城文化遺産1999年
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国文化遺産2000年
僧院の島ライヒェナウ文化遺産2000年
エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群文化遺産2001年
ライン渓谷中流上部文化遺産2002年
シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区文化遺産2002年
ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像文化遺産2004年
ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園文化遺産2004年
レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ文化遺産2006年
カルパティア山脈と欧州各地のブナ原生林自然遺産2007、2011、2017、2021年
ベルリンの近代集合住宅群文化遺産2008年
ワッデン海自然遺産2009、2014年
アルフェルトのファグス工場文化遺産2011年
アルプス山系の先史時代杭上住居跡群文化遺産2011年
バイロイト辺境伯のオペラハウス文化遺産2012年
ヴィルヘルムスヘ-エ城公園文化遺産2013年
コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキウィタス文化遺産2014年
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街文化遺産2015年
ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献文化遺産2016年
シュヴァーベン・ジュラにある洞窟群と氷河期 の芸術文化遺産2017年
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的国境遺産群文化遺産2018年
ナウムブルク大聖堂文化遺産2018年
アウクスブルクの水管理システム文化遺産2019年
エルツ/クルスノホリ鉱山地区文化遺産2019年
ローマ帝国の国境線 - ゲルマニア・インフェリオルのリーメス文化遺産2021年
ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)文化遺産2021年
ヨーロッパの大温泉都市群文化遺産2021年
ダルムシュタットのマティルデの丘文化遺産2021年
シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群文化遺産2021年

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