さきの戦争の時、ドイツは日本の同盟国でした。そんなこともあってドイツのヘルマン・ヘッセやトーマス・マンの文学作品は日本人によく読まれました。私も読みました。
今日はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の思い出を書いてみたいと思います。
ヘルマン・ヘッセはシトー修道士達が作った神学校の生徒でした。
このシトー修道士達は別名「白い修道士」とも呼ばれ染料を用いない白い修道服を身に着け、厳しい戒律の中で労働と学習を最も重んじていました。写真でこのシトー修道士達の修道院とマウルブロン村の風景を示します。
このマウルブロンの修道院は堀と塀で外界から隔離され、修道院内には農舎から家畜小屋そして立派な水利システムまであります。マウルブロンの修道士達は自給自足をしていました。そんな建築物がまとめて1993年に世界遺産として登録されたのです。保存状態の良いマウルブロン修道院は、宗教改革の波で破壊されず近代には修道院から神学校へと姿を変えています。
この神学校にヘルマン・ヘッセも通っていたのです。この神学校の生活をモデルに書かれたのが『車輪の下』です。『車輪の下』は1905年に発表されました。私も高校時代に読んで深く感動しました。その感動をもう一度思い出すためにその「あらすじ」と「背景」を示します。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E4%B8%8B#%E8%83%8C%E6%99%AF )
あらすじ、
ハンスという少年は、文学に天才的な才能を持ち、エリート養成学校である神学校に2位の成績で合格する。町中の人々から将来を嘱望されるものの、神学校の仲間と触れ合ううちに、勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を感じる。そして、周囲の期待に応えるために、自らの欲望を押し殺し、その果てに、ハンスの細い心身は疲弊していく。勉強に対するやる気を失い、ついに神学校を退学する。
その後、機械工となり出直そうするが、挫折感と、昔ともに学んだ同級生への劣等感から自暴自棄となり、慣れない酒に酔って川に落ち死ぬ。溺死したようにも受け取れるが、真相は語られてはいない。
背景
ヘッセは、少年時代の神学校在学時に、「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」と悩み、不眠症とノイローゼを患うようになった。その結果、神学校を退学、精神療養を経て、一般の高校に転校する。その後も、どうすれば詩人になれるのかを悩み続け、再び高校を退学、本屋の見習いとなった。しかし、三日でその店をやめて、消息を絶ってしまった。この物語の主人公であるハンスには、周りに誰も支えてくれる人がいない。それに対して、ヘッセには、母親がいた。そして、母親の存在があったおかげで、ヘッセは立ち直ることができた。ハンスとヘッセとの大きな違いである。
長くなるのでこれで止めます。
今日はドイツのヘッセゆかりのマウルブロン修道院をご紹介しました。そしてヘッセの『車輪の下』をご紹介致しました。ついでにドイツの世界遺産の一覧を参考資料として末尾に示しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=========================
ドイツの世界遺産一覧
今日はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の思い出を書いてみたいと思います。
ヘルマン・ヘッセはシトー修道士達が作った神学校の生徒でした。
このシトー修道士達は別名「白い修道士」とも呼ばれ染料を用いない白い修道服を身に着け、厳しい戒律の中で労働と学習を最も重んじていました。写真でこのシトー修道士達の修道院とマウルブロン村の風景を示します。
このマウルブロンの修道院は堀と塀で外界から隔離され、修道院内には農舎から家畜小屋そして立派な水利システムまであります。マウルブロンの修道士達は自給自足をしていました。そんな建築物がまとめて1993年に世界遺産として登録されたのです。保存状態の良いマウルブロン修道院は、宗教改革の波で破壊されず近代には修道院から神学校へと姿を変えています。
この神学校にヘルマン・ヘッセも通っていたのです。この神学校の生活をモデルに書かれたのが『車輪の下』です。『車輪の下』は1905年に発表されました。私も高校時代に読んで深く感動しました。その感動をもう一度思い出すためにその「あらすじ」と「背景」を示します。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E4%B8%8B#%E8%83%8C%E6%99%AF )
あらすじ、
ハンスという少年は、文学に天才的な才能を持ち、エリート養成学校である神学校に2位の成績で合格する。町中の人々から将来を嘱望されるものの、神学校の仲間と触れ合ううちに、勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を感じる。そして、周囲の期待に応えるために、自らの欲望を押し殺し、その果てに、ハンスの細い心身は疲弊していく。勉強に対するやる気を失い、ついに神学校を退学する。
その後、機械工となり出直そうするが、挫折感と、昔ともに学んだ同級生への劣等感から自暴自棄となり、慣れない酒に酔って川に落ち死ぬ。溺死したようにも受け取れるが、真相は語られてはいない。
背景
ヘッセは、少年時代の神学校在学時に、「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」と悩み、不眠症とノイローゼを患うようになった。その結果、神学校を退学、精神療養を経て、一般の高校に転校する。その後も、どうすれば詩人になれるのかを悩み続け、再び高校を退学、本屋の見習いとなった。しかし、三日でその店をやめて、消息を絶ってしまった。この物語の主人公であるハンスには、周りに誰も支えてくれる人がいない。それに対して、ヘッセには、母親がいた。そして、母親の存在があったおかげで、ヘッセは立ち直ることができた。ハンスとヘッセとの大きな違いである。
長くなるのでこれで止めます。
今日はドイツのヘッセゆかりのマウルブロン修道院をご紹介しました。そしてヘッセの『車輪の下』をご紹介致しました。ついでにドイツの世界遺産の一覧を参考資料として末尾に示しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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ドイツの世界遺産一覧
アーヘン大聖堂 | 文化遺産 | 1978年 | |
シュパイヤー大聖堂 | 文化遺産 | 1981年 | |
ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場 | 文化遺産 | 1981年 | |
ヴィースの巡礼教会 | 文化遺産 | 1983年 | |
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト | 文化遺産 | 1984年 | |
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 | 文化遺産 | 1985年 | |
トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会 | 文化遺産 | 1986年 | |
ローマ帝国の国境線 | 文化遺産 | 1987、2005、2008年 | |
ハンザ同盟都市リューベック | 文化遺産 | 1987年 | |
ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 | 文化遺産 | 1990、1992、1999年 | |
ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター | 文化遺産 | 1991年 | |
ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム | 文化遺産 | 1992、2010年 | |
バンベルクの町 | 文化遺産 | 1993年 | |
マウルブロンの修道院群 | 文化遺産 | 1993年 | |
クヴェートリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街 | 文化遺産 | 1994年 | |
フェルクリンゲン製鉄所 | 文化遺産 | 1994年 | |
メッセル・ピットの化石地域 | 自然遺産 | 1995年 | |
ケルン大聖堂 | 文化遺産 | 1996年 | |
ヴァイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群 | 文化遺産 | 1996年 | |
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群 | 文化遺産 | 1996年 | |
古典主義の都ヴァイマール | 文化遺産 | 1998年 | |
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島) | 文化遺産 | 1999年 | |
ヴァルトブルク城 | 文化遺産 | 1999年 | |
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国 | 文化遺産 | 2000年 | |
僧院の島ライヒェナウ | 文化遺産 | 2000年 | |
エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群 | 文化遺産 | 2001年 | |
ライン渓谷中流上部 | 文化遺産 | 2002年 | |
シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区 | 文化遺産 | 2002年 | |
ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像 | 文化遺産 | 2004年 | |
ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園 | 文化遺産 | 2004年 | |
レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ | 文化遺産 | 2006年 | |
カルパティア山脈と欧州各地のブナ原生林 | 自然遺産 | 2007、2011、2017、2021年 | |
ベルリンの近代集合住宅群 | 文化遺産 | 2008年 | |
ワッデン海 | 自然遺産 | 2009、2014年 | |
アルフェルトのファグス工場 | 文化遺産 | 2011年 | |
アルプス山系の先史時代杭上住居跡群 | 文化遺産 | 2011年 | |
バイロイト辺境伯のオペラハウス | 文化遺産 | 2012年 | |
ヴィルヘルムスヘ-エ城公園 | 文化遺産 | 2013年 | |
コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキウィタス | 文化遺産 | 2014年 | |
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 | 文化遺産 | 2015年 | |
ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献 | 文化遺産 | 2016年 | |
シュヴァーベン・ジュラにある洞窟群と氷河期 の芸術 | 文化遺産 | 2017年 | |
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的国境遺産群 | 文化遺産 | 2018年 | |
ナウムブルク大聖堂 | 文化遺産 | 2018年 | |
アウクスブルクの水管理システム | 文化遺産 | 2019年 | |
エルツ/クルスノホリ鉱山地区 | 文化遺産 | 2019年 | |
ローマ帝国の国境線 - ゲルマニア・インフェリオルのリーメス | 文化遺産 | 2021年 | |
ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分) | 文化遺産 | 2021年 | |
ヨーロッパの大温泉都市群 | 文化遺産 | 2021年 | |
ダルムシュタットのマティルデの丘 | 文化遺産 | 2021年 | |
シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群 | 文化遺産 | 2021年 |