後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美しい日本の教会の写真(10)外観は異様だが内部は美しいニコライ堂

2019年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム
東京、神田の駿河台に明治24年、1891年に作られたロシア正教風のニコライ堂があります。丸屋根を組み合わせた壮大な教会です。日本正教会の本部になっています。
この建物の外観は異様な印象を与えます。日本人はあまり好きになれない外観です。それが証拠には日本正教の教会はニコライ堂のような外観のものが殆どありません。
しかし一歩その内部に入ってみると壮麗な美しさに圧倒されるのです
その内部で行われる歌ミサの音楽的な美しさに感動するのです。
以下に私が2009年に撮って来た写真を示します。

1番目の写真はニコライ堂の南西の角にある丸屋根です。よく見ると屋根の形や窓の作りはイスラム文化圏のものに似ています。モスクワからアジアが始まるという言い方がありますが成る程と感じる外観です。異様な印象はイスラム風なためなのでしょう。

2番目の写真は祭壇の脇の聖歌隊の席です。プロの合唱のような聖歌が会堂に響きます。

3番目の写真は祭壇です。歌ミサの間にこの祭壇にはきらびやかな法衣を着た聖職者たちが並べ祈りを捧げます。

4番目の写真は会堂のあちこちにあるイコン(聖画)です。日曜日には入り口の受付で太いローソクを買って火をつけて聖画の前に供えます。このイコンの前にある数十のカップはローソク立てです。ここに数十本のローソクの火が揺らいでいるのです。

5番目の写真はステンドグラスに描かれた聖人の絵です。

日曜礼拝のことを日本正教会では「聖体礼儀」と言います。神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部の聖体を頂く儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたのです。新約聖書はギリシャ語で書かれたのです。その原典に書いてある内容を忠実に教えています。宗教改革も受けませんでした。キリスト教の正統的な宗派なので正教と言います。
この宗派はギリシャからビザンチンへそしてロシアへ伝わって、1855年函館へ上陸しました。日露戦争の時、ロシア本部から独立し、日本に根付いて日本正教会という宗教法人になりました。しかし教義と礼拝形式は2000年前の通り、一切の変更無しで、まったく同じなのです。

今日はニコライ堂をご紹介しましたのでこれを建てたロシア人のニコライのことを簡略に書いて置きたいと思います。
ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の6年前の1861年、25歳の時日本へ来ました。
1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。
函館着任後に血の滲むような努力をし日本語を習得します。書道も研鑽し、日本の歴史や佛教も勉強しました。古事記や日本書紀も読破する勉強家でした。
ニコライの日本を愛する心は強く、数々の感動的なエピソードが残っています。
今日はその中から一つをご紹介します。
1904年、1905年は日露戦争でした。戦争勃発と共に在日ロシア人は一斉に帰国して行きます。ロシア公使のローゼン男爵もニコライに帰国するように薦めます。ニコライは静かに断ったそうです。そして言うのです、「私はロシアに仕える者ではない。主ハリスト(主キリスト)に仕える者である。」と。
残留した理由は、日露戦争の間、日本人信者が迫害されるのを予想し、彼らを勇気づける為に残ったと考えらています。案の定、ロシア正教の日本人信徒は「露探」(ロシアのスパイ)と罵倒され、聖堂や集会所が暴徒の襲撃を受けたのです。
ニコライは教書を発表し信徒を慰めます、
「我々には地上の祖国の他に、天に国がある。天の国には民族の別無く皆が平等に生きている。なぜなら全ての人々は皆同じ父(神)の子であり、お互いは皆兄弟であるからです。我々の属する国は主である神が作った教会なのです。信者は平等な会員なのです。天の神、すなわち我らの父の一つの家族としてとどまり、その家族としての義務をそれぞれに果たすようにしようではないか!」
ニコライは日本人信徒の一人一人を強く愛していたのです。ロシアへ逃げ帰るなど考える筈がありません。
1912年、持病の心臓病が悪化し、聖路加病院で天に帰りました。駿河台のニコライ堂から谷中の墓地まで、葬列を見送る人垣が沿道の両側を埋め尽くしました。明治天皇からの「恩賜の花輪」を抱きかかえた人が葬列の中に見えます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===ニコライ堂に関するバックナンバー==============
(1)投稿日 2014年04月30日 趣味としての宗教あれこれ(7)お茶の水のニコライ堂へ遊びに行く
(2)投稿日 2009/11/30 豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます
(3)投稿日 2009/11/29 今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました (金田さんの写真が出ています!)
(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改宗)したのか」
(5)2009/11/23日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」
(6)投稿日 2009/11/22 お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます
(7)2009/11/10ニコライも偉かったが、明治の日本人も偉かった!
(8)投稿日 2009/11/09 ブログを書くための私の取材方法と写真の組み合わせ方
(9)2009/11/08私の記事は間違っていました!ロシア正教と書いたのは日本正教会です
(10)2009/11/07ロシアから来た偉大な宣教者、ニコライをもっと知ろう!
(11)2009/11/06日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係
(12)投稿日 2009/11/04 「ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました」

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