千曲川は長野県、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ヶ岳にその源にして、佐久、上田の2つの盆地を経て長野市のある善光寺平で犀川と合流します。犀川は新潟県に入ると信濃川と呼ばれ日本海へ流れ出ます。千曲川と呼ばれている部分は214 kmです。
1番目の写真は千曲川です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9D です。
千曲川と言えば藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出します。
藤村は明治の後半に7年余、小諸の私立学校の先生をしながら「千曲川旅情の歌」を作ったのです。
私どもも小諸に旅をしました。小諸は美しい城下町です。すぐ後ろに浅間山が悠々と広がり眼下には千曲川が碧く光っています。何となく詩情を感じさせます。
特に城跡は懐古園としてよく当時のままに保存され、本丸の脇の藤村記念館には多くの写真や肉筆の書が展示してあるのです。
千曲川を見下ろす崖頭の上の展望台の脇に「千曲川旅情の歌」を刻んだ碑があります。
下にこの詩情豊かな作品と私が撮って来た小諸城の大手門などの写真を示します。
千曲川旅情の歌 島 崎 藤 村
http://www.geocities.jp/sybrma/292chikumagawaryojounouta.html より。
一
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかにし
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかにし
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
以下は、http://www.geocities.jp/sybrma/292chikumagawaryojounouta.html にあります。
まお上記の「千曲川旅情の歌」の本文は、岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月10日第1刷発行、昭和45年4月10日第48刷発行)によりました。
島崎藤村(1872~1943年)は本名、春樹です。木曾馬籠まごめ(岐阜県中津川市)に生れました。明治学院を卒業します。その後、詩集「若菜集」などでロマン主義的詩風で活躍しました。小説も書きました。「破戒」によって作家の地位を確立します。「春」「家」「新生」「嵐」などの自伝的作品を書きます。
有名な「夜明け前」は大作です。その他、「幼きものに」「ふるさと」などの童話も書きました。
手元にある参考書をあげておきます。
吉田精一著『日本近代詩鑑賞 明治篇』(新潮文庫、昭和28年6月5日発行、昭和29年8月10日3刷)
吉田精一著『鑑賞現代詩 I (明治)』 (筑摩書房・1966年10月20日新版第1刷発行、 1968年2月10日新版第2刷発行)
関良一著『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)
吉田精一・分銅惇作・大岡信 編『現代詩評釈』(學燈社、昭和43年3月20日初版発行)
小海永二編『現代詩の解釈と鑑賞事典』(旺文社、1979年3月1日初版発行、1980年
第2刷発行)
2番目の写真は小諸城の一番重要な追手門の写真です。
この門は上越線の線路を越えた小諸駅の北口公園にあり江戸初期の建造物です。国の重要文化財です。懐古園の扁額のある三の門からは300m位も離れていて小諸城の規模の大きさが伺えられます。家内が走っていって撮って来た写真です。
3番目の写真は懐古園の扁額です。三の門からは300m位も離れていて小諸城の規模の大きさが伺えられます。家内が走っていって撮って来た写真です。
4番目の写真は城内の石垣です。
5番目の写真は城跡の崖の上の展望台から見下ろした千曲川です。
6番目の写真が藤村記念暗です。
7番目の写真は懐古園の扁額が掲げられた三の門です。
今日は「川物語」の(4)として千曲川をご紹介致しました。そして藤村記念館のある懐古園について詳しく書きました。懐古園は以前訪問した懐かしいところです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)